第4話 だって、見つめてきたから
「はい、綾崎さん、お口開けて……どう? お口に合うかしら」
私に卵焼きを食べさせてくれたかがみが、どこか不安そうに訊いてくる。
おいしいと言うと、表情がすこし柔らかくなった。
「よかった……あっ」
なにかに気づいた様子のかがみ。その直後、
ぺろっ
私の口元を、温かい感触が通り過ぎた。
舐められた、ということに気づいた瞬間、顔が赤くなったのが見なくても分かった。
「ちょ、ちょっと……!」
「ごめんなさい、ついていたから」
慌てる私とは対照的に、落ち着き払ったかがみ。
その彼女と、ふと視線が重なった。
アーモンド形の大きくキレイな瞳。それがそっと伏せられる。
整ったその顔が、ゆっくりと私に近付いてくる。唇と唇が、重なりそうなくらいに。
そして――
――ピピピピピピピピピピピピ。
ハッと目が覚めた。
目に入ったのは見慣れた天井。何度か瞬きをすると、だんだん頭も冴えてきた。
な……な……
なんつー夢を見てるんだ私はぁああああああああああああああ~~~~っっ!!
真っ赤になっているであろう顔を両手で押さえて、ベッドの上をゴロゴロ転がる。
恥ずっ! いや恥ずっ! 恥ず過ぎでしょ私っ!!
たしかに昨日かがみはお弁当作ってくれたけど! でもこんなことなかったじゃん! 普通に食べたじゃん!
し、しかも……キ……キ……っ。
「あーーーーっ! あーーーーーーっ! あーーーーーーーーっ!」
ふたたびベッドの上をゴロゴロ。
脳裏に蘇るのは、ついさっき見た光景。
夢って起きたらすぐに忘れちゃうのに、今日に限って鮮明に覚えてる。
うぅん、それだけじゃなくて、この間、実際にキスされたときのことも……
温かくて、ピリピリして、腰まで抜けちゃって……
うわぁああああああああああああああああああああああああんっっ!!
「七海ー! 朝からなに騒いでるの? 静かにしなさいっ!」
結局、お母さんに怒られるまで、私は一人で悶々としたのだった。
「はぁ……」
知らず知らず、ため息が漏れてしまう。
なんだか朝から疲れちゃったな―。
朝食をすませた私は、街へ出ることにした。あのまま家にいると、なんか変なことばっかり考えちゃいそうだし。
本屋にでも行こっかな。好きなマンガの新刊が出てるかもだし。
と思ったけれど、とくに出ていなかった。どうしよ。せっかく来たんだし、なにか雑誌でも買ってこうかな。
なんてことを考えていると、ある一冊の本が目に入った。
二人の女の子が見つめ合っている。頬を赤らめて、唇は触れ合いそうなくらい近い……
……ってなにココ!? ゆ、百合コーナーっ!?
いつの間にかとんでもないところに迷い込んでた! ボーッと考え事してたから。
本棚にはそれ系の本がギッシリと収まっている。
それを呼び水として、私の脳裏にはあの日の出来事、そして今朝の夢が……
ダメダメダメダメ!!
頭を横に振って浮かんできた光景を振り払う。
落ち着こう。スタバでフラッペでも買って飲もう。
そう思って出口に向かう途中、私の目に留まったものがあった。
そこに、かがみの姿があったから。
あれは……参考書コーナー? おお、いかにもかがみっぽい。
一冊を手に取ると、レジに向かうかがみ。私には気づいてないっぽい。そこで、私にちょっとしたイタズラ心が芽生えた。
白のワンピースを着たかがみは、普段の制服姿とはまた違った雰囲気だ。
なんていうか……大人っぽい。黒髪ロングとワンピースって合うなー。
なんて思いながら、私はかがみのあとをこっそりつける。
どこ行くんだろ……って、コンビニ? ちょっと意外。かがみもコンビニ行くんだ。
なにを買うのかなーと思っているといきなりレジへ。紙コップを受け取った。コーヒーでも買ったのかな?
それもちょっと意外かも。かがみはなんか紅茶ってイメージ。
コーヒーを入れて一口……あ、咽た。熱かったのかな? あ、砂糖入れてる。苦かったのか。
一つ、二つ、三つ、四つ……結構入れるな。五つ、六つ……え、入れ過ぎじゃない? 七つ、八つ、九つ……に手が伸びたところで、その手がピタリと止まる。
今度はミルク入れてる。これもどんどん入れていく。すげぇ。
ていうか砂糖大丈夫なのかな? ホットみたいだけど、さすがにその量は溶けなくない? 下のほうザラザラしてそう。あれはコーヒーって言えるんだろうか。
どうせなら最初からカフェオレでも頼めばよかったのに。そう思う私の目のまえで、かがみはコーヒー(?)を一口。
さっきみたいに咽るんじゃ、と思いきや、かがみは満足そうな顔をしていた。えぇ……ホントにおいしいのそれ?
かがみって、休日はなにして過ごしてるんだろう?
私がかがみのあとをつけ始めたのは、そういう疑問があったからだ。でも……
「ちっちっちっちっ、おいでおいで~~」
これはさすがに予想外だ。
視線の先では、路地裏で地面にしゃがみ込むかがみ。そして……
「にゃ~~ん」
一匹の猫がいた。よく見えないけど首輪はついてないっぽいし、野良猫かな?
「おいで~。怖くないでちゅよ~……よ~しよしよし」
猫なで声で猫をあやすかがみ。
す、すごい。めっちゃ顔が緩んでる。普段、学校で目にするのと同一人物とは思えない。
「いい子だね~。ん、ここが気持ちいいの? そっかそっか、よかったでちゅね~……あっ」
ちょっと構い過ぎたんだろうか。野良猫は泣き声を上げたかと思うと、かがみに背を向けて走っていってしまった。
「ま、待って! 行かないでっ!」
まるで恋人に縋るような、悲痛な声を上げるかがみ。……いやいや、大げさでしょ。
が、かがみの不幸はそれだけに止まらなかった。
追いかけようとしてバランスを崩したかがみは、ドテッ、とその場に転んでしまった。
コーヒーは落としてしまい、勢いそのままにワンピースの裾が捲れて、下着まで見えてしまってる。
人通りがすくない場所とはいえ、もう見ちゃいられない。
「大丈夫? かがみっ」
私は物陰から飛び出して、彼女に駆け寄ったのだった。
「はい、これでよしと」
ベンチに座ったかがみ。私は彼女の膝に絆創膏を貼った。
「ありがとう、綾崎さん」
言いながら、かがみは軽く膝をさする。そこはすこし赤くなっていた。
「綾崎さんて、いつも絆創膏持ち歩いてるの?」
「え? うん、まあ一応ね」
滅多に使わないけど、なんとなく入れてある。役に立ってよかった。
「ねぇ……もしかして見てた?」
いつかとおなじように訊いてくるかがみ。ドキッとした私だけど、
「え? なんの話?」
今回は自然に否定することができた……と思う。
かがみは「なんでもないわ」と安心した様子だった。
まあ、アレをクラスメイトに見られたっていうのは、ちょっとキツイものがあるんだろう。私だったらしねる。
「綾崎さん? どうかしたの?」
「えっ? えーっと、その……」
ま、まずい。なんとか誤魔化さなきゃ。
えっと……えっと……そうだっ!
「せっかく会ったんだし、お茶しない?」
「な、なにこれ……すごい……」
運ばれてきたパンケーキを見て、かがみは驚いたように大きな目をさらに大きく見開いていた。
ふっくらと焼きあがった、生クリームたっぷりでバターの添えられたストロベリーパンケーキ。
「かがみ、パンケーキ食べたことないの?」
「うん。テレビで見たことはあるけれど、実際に見るのも初めて」
マジか。いるんだそんな人。
「綾崎さん、なにしてるの?」
私がスマホで写真を撮っていると、かがみが不思議そうに訊いてきた。ちなみに、私のはブルーベリーパンケーキだ。
インスタにあげると説明すると、あんまりしっくりきてなさそうだった。ま、かがみはSNSとかあんまりやってなさそうではある。
ちなみにパンケーキを食べたかがみの反応は、
「~~~~~~~~っ! おいしい……」
感動した様子だった。
やっぱり甘いもの好きだったか。コーヒーがアレだもんね。おススメしてよかった。
「本当においしい。ありがとう、綾崎さん」
そう言って、かがみは微笑んだ。やわらかい、お嬢様みたいな笑みだった。
「べ、べつに……私が作ったわけじゃないんだし。そんな気にしないで」
妙に照れくさくて、私は視線を逸らしつつ答えた。
……学校でのかがみはクールだけど、本当はかなり表情豊かなんだよね。ドジなところもあるし。
学校でもこうなら、みんなももっと話しやすいと思うのに。それとも……
私が相手だから、気を抜いてくれてるのかな?
(――「だって私たち、恋人になったんだもの」――)
私たちは恋人じゃない。かがみが勘違いしちゃってるだけ。
でも、こうしてかがみを見ていると、なんだか胸がドキドキする。
本当は、否定しなきゃなんだけど……
「それでも、ありがとう」
この笑顔を見ていると、やっぱり否定ができない私だった。
「今日はありがとう、綾崎さん」
カフェを出たとき、外はもう夕暮れだった。結構長居しちゃったな。
「もういいって。私はただおススメしただけだし」
「パンケーキのことじゃなくて、これのことも」
そう言って、かがみは自分の膝を指さす。そこには私が貼った絆創膏がある。
「ああうん。いいよ、それも気にしなくて」
律儀なやつ。普段結構適当な石田たちといるから、こういうの新鮮かも。
思わずかがみの顔をジッと見つめてしまう。すると……
その顔がどんどん近づいてくる。え、なに……と思った直後、
ちゅっ
唇に、やわらかな感触が。瑞々しくて、あたたかい……っ!?
キスされたことに気づくのと、かがみの顔が離れるのはほとんど同時だった。
「ブルーベリーの味がする」
かがみは唇を軽く舐めて言った。
「な、なにを……」
「? だって、見つめてきたから、キスしたいのかなって」
私は口をパクパクさせる。顔もたぶん真っ赤だし、金魚っぽいかも。
「じゃあね、綾崎さん。また学校で」
かがみは軽く手を振って、その姿は夕焼けの中に消えていった。
私はといえば、
「はぁああああああああああああ~~~~…………っ」
感情が溢れて、その場にしゃがみ込んでしまうのだった――
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