第3話 それくらい……普通、よね?

 なんだか、夢でも見ているみたいだった。


 ――私たち、なりましょう。恋人に。


 彼女の言葉が、浮かんでは消えていく。


 それでそれで……うああああああああああああああっ!



 夜。お風呂に入りながら一人身もだえる私。


 どうしよう……しちゃったよ……キス、しちゃったよ私っ!



 腰が抜けるって、比喩だと思ってた。


 あのあと、本当に腰が抜けてしまった私は、へなへなとその場に座り込んだ。


 そんな私を見て、かがみはクスリと笑って、


「それじゃあね。また明日、学校で」


 そう言って教室を出て行った……



 分からない……かがみの考えていることが分からない。


 だって私、友達になりたいって言ったのに。そうしたらいきなりキスされて、それで恋人になりましょうって。


 気になっていた女の子が私のことを好きだったってこと?



 また明日、学校で。とか言ってたっけ。学校で……なにされちゃうんだろう、私……


 まさかまさか、またキスとか!? それはさすがに困るっ! だってだって……


 ああ、なんか頭がボーッとしてきた。体も熱くて、頭もくらくらしてきたような……あれ……?




七海ななみ~? あんたいつまでお風呂入って……ってなにしてんのあんたはっ!」


 お母さんの声が、妙に遠くで聞こえる。


 考え事に夢中になっていたせいで、私は湯船でのぼせていたのだった。


 うぅっ、これからどうなっちゃうんだろう。


 薄れていく意識の中で、私はそんなことを考えていた――




 お風呂から上がった私は、うれしさのあまり部屋でスキップをする。


 と、ゴツ、


 足の指を本棚の角にぶつけてしまい、その場にうずくまる。うぅ、痛い……



 でも、やった! 綾崎さんと恋人になっちゃった!


 昨日は話せたらいいな~なんて考えてたのに、いきなり恋人になれちゃうなんてまさかまさかだわ!!


 それにキスまでしちゃって……だ、大丈夫だったかしら? 変なところとかなかったかな?


 教室での出来事を思い出して……ふふっ。思わず頬が緩んでしまう。



 綾崎さんに好きって言われちゃった。


 私も好きって言いたかったけど、恥ずかしくて言えなかった。綾崎さん、意外と大胆なんだ。


 そういえば、私、あだ名で呼ばれるのって初めてだ。


 なんかいいなあ、こういうの。恋人! って感じがする。



 う~~っ、これからどうなっちゃうんだろう!


 期待に胸が高まる。私は枕を抱えて、ベッドの上をごろごろ転がって、


「いてっ!?」


 落っこちたのだった――




 正直に言うと、私はちょっと期待してた。昨日あったことは、夢なんじゃないかって。でも……


 夜が明けても、相変わらず私の頭はボーッとしていて、かと思えば昨日の出来事が鮮明によみがえる。


 うん、まあ分かってたけどね。



 あと、分かったっていうか考えてみたんだけど、恋人になりましょうっていうのは、きっと私の聞き間違いなんじゃないかな。


 だって、いきなりそんなこと言われるなんてあり得ないし。きっとそうに違いない。


 友達になりましょうって言ったんだよきっとそうだよ。



「綾崎ってば!!」


「っ!? な、なにっ?」


 ボーッと考え事をしているとあっという間に昼休みになった。


 石田がなにやら焦った顔で私を見ている。坂井もちょっと困ったような顔をしてた。……え、なに?



「どうかしたの?」


「どうかしたのじゃないって! あんたさ、委員長になにかしたの?」


 したっていうか、私がされたんだけど。


 思いつつ、石田の視線を追う。と、そこには……



 じーーーーーーーーーーーーーーーーーっ



 私をガン見しているかがみがいた。



「な、なにアレ?」


 反射的に目を逸らし、私は訊いた。


「いや、それを私らが訊いてるんだけど。なにして怒らせたの?」


 だから知らんて。


「とりあえず、謝っておいた方がいいんじゃない~? ……あっ」


 坂井の顔がサッと曇った。ふたたびその視線を追うと、



「あ、綾崎さん……っ」


 予想よりも近くで声が聞こえる。見ると、そこにかがみがいた。


 どこかソワソワして、心なしか顔が赤くなっている。言いにくそうに口を開いたかと思えば、


「私といっしょに、お昼食べない!?」


 予想外過ぎることを言われた。よくよく見れば、彼女の手には巾着袋が。


 でも、私はいま石田たちと食べてるし……



「お話ししたいことがあるの! ほら、昨日キスしたあと、私すぐに帰っちゃったじゃない? だから……」


「ま、待って待って!!」


 慌てて話を遮る。が、時すでに遅し。


 かがみの声は聞こえてしまったらしい。クラスがざわめき、視線が私たちに集中する。



「キス? いまキスって言った?」「どういうこと? あの二人付き合ってるの?」「あの各務原さんが……」「意外と大胆……」



 ヒソヒソと、そんな会話が聞こえてくる。


「もう、こっち来て!」


 私はかがみの手を掴んで、逃げるように教室を出たのだった――




「ね、ねえ綾崎さんっ。どこまで行くの?」


 困惑した声が聞こえてきて、私はようやく足を止めた。


 気づけば、人気のない階段の踊り場まで来ていた。


 ひとまず、私は安堵のため息をつく……



「あの、手……」


「え? あ、ご、ごめんっ!」


 指摘されて、手を繋いでいたことに初めて気づいた。


 気恥ずかしさから、反射的に離す。と、



「ごめんなさい……」


 今度は、申し訳なさそうな声が聞こえてきた。


「いきなりお昼食べないなんて、迷惑だったわよね」


「そ、そうじゃなくって! いきなりキスしたなんて言うから!」


「え? 言ったらダメだった?」


 キョトンとした顔で訊いてくるかがみ。いやいや。


 またため息をついてしまう。ま、言っちゃったものはもうしょうがない。あとでなんとか誤魔化さなきゃ。それはそれとして……



「えっと、ご飯だっけ? いいよ、食べよ」


 じゃあ教室戻ろっか、と言おうとしたそのとき、


「ほんとっ? よかったぁ……」


 安心したように、うれしそうに言うかがみ。初めて見る表情に、私は見入ってしまった。


 コイツ、こんな顔もするんだ……



「お、大げさじゃない? ご飯食べるだけでしょ」


 目を逸らし、誤魔化すみたいに言う。……うぅん、みたいじゃない。


 私、誤魔化した。ていうか照れた。かがみの笑顔に。


 ちょっと……うん、ちょっとだけ照れただけだ。ドキッとなんかしていない。



「じつはね、綾崎さんの分も作ってきたの。よかった、ムダにならなくて」


「え、私の分? どうして……」


「だって私たち、恋人になったんだもの。それくらい……普通、よね?」


 心なしか、すこし不安そうに訊いてくるかがみ。



 こ、恋人……って言ったよね、いま。


 やっぱり、聞き間違いじゃなかったんだ。どうしよう、なんて言うべき? とりあえず否定する? でも……



 かがみの笑顔を見ていると、なぜか否定する気持ちにはなれなかった――

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