朧月夜の姫にしくものぞなき

すきま讚魚

朧月夜の姫にしくものぞなき

 ––––むかし賀茂の大路をおぼろ夜に車のきしる音しけり。


 ––––出てみれば異形のもの也。


 人ひとり通らぬ丑のこく。さわさわと、ただ少しばかり水音の激しさが耳につく川沿いと。その月とほんのりとした街灯のみが灯る中を、蝋燭の揺れる小さな炎がゆらゆらと人の足の調子を取りながら進んでゆく。

 少しの震えだろうか、炎は時折惑うような動きを見せながらもその場所へとまるで吸い寄せられるかのように歩みを早めた。辺りに響くのは、ただただ水音ばかり。


「橋姫さま、橋姫さま。どうか、どうか––––」


 震える声に応えるかのように。蝋燭の炎がゆらりと蠢いた。




***




 ——春となると騒々しいことこの上ない。

 どこかで知った顔が鬱陶しそうに呟いていたなと、そう物思いに耽りながら筒井綱春は教室の隅で眠たげに目を伏せた。

 訳あって九州の地からこの京都の宇治の高校へと昨年の春進学した。平成を生きる「剣豪の生まれ変わり」とさえ評された彼が、数多の強豪校からの特待生の誘いを断ってまで入学したのは、特段勉学に優れてるわけでも名のある大会を総なめにしているスポーツ校でもなく、平々凡々な中の中レベルの公立高校。

 中学時代の数々の優勝歴がそのまま縫いつけられたかのように眩しい、金の刺繍に彩られた紺色の竹刀袋を肩に担ぎながらも、彼は特別な野望や夢を語るわけでもなく日々当たり障りのない学生生活を謳歌していた。

 無名の学校から全国大会へと勝ち上がる、そんな漫画のようなストーリーを生み出すのかと思いきや、「大会には出ない」と彼は入部早々に言ってのけた。曰く、勝利や誉には何の興味もないのだという。

 故に——彼の過去の名声なんて、この教室にいるクラスメイトのほぼ全ては知らない。だがそれが逆に綱春にとっては心地がよかった。

 どこか大人びた雰囲気のある彼は、模範生のような静かさで日々を過ごしていた。まるで、この世に——浮世のものには興味がないとでもいうように。


「知ってる? 橋姫の呪い」

「何人もの人が行方不明になってるって」

「でもさ、それって噂やて。マジの話やないんでしょ」


 そう、京都の宇治。ここははるか昔にこの日本の中心を担った場所でもあり、歴史的に価値のある数々の建造物や、その歴史に準えた伝説に——ゆかりのあるものと、何かといわくつきの土地である。

 この土地に大きく流れる宇治川も、その昔は源氏の争いで川の水が血の色に染まるほどであったという。現代に生きている人間にはもう観光地のひとつ……もしくは、ただ生まれ育った土地でしかないのだが。


 宇治の橋姫——丑の刻参りでも有名な伝説である。

 その昔、嫉妬に駆られた貴族の娘が鉄輪や松明を身につけ一心に祈り、宇治川に21日間浸って鬼になったという。憎んだ相手を呪い殺し尽くした鬼女は、橋の神といつの間にか同一視され、今や縁切りで有名な神社のひと柱として祀られている。


 さて、その橋姫伝説。縁切りの神様として著名な橋姫が、人を呪うとは一体どういった事なのか。


一、紫色の単車が跡形もなく消える

一、その大路は丑三つ刻には通ることができない

一、ぎいぎいと夜中に音がする。けれども人っこひとり通ってない

一、その夜は辺りが霞んで見えずらい

一、その夜に橋姫に祈れば、必ずや願いが叶う

一、「春はあけぼの」と言いながら印を結ぶこと


 どれもこれもが、ちぐはぐなただの噂話のようである。どうしてこれが橋姫の呪いなものかと、内心綱春はそっとため息をついた。

 しかし、それを信じて夜中に橋姫神社を訪れようとする者が後を絶たぬのだと言う。このクラスメイト達とて例外ではなかった。


「筒井、今日部活帰りの皆で、肝試しに行かへん?」

「ほんに、そんな噂話があるんかーって言っててな」

「もしかしたら、蝋燭頭に差した姿の女の人が立ってたりして……」

「もー何言ってんの、筒井くんはそんなのに興味は」

「……行く」

「っっはぁ!?」

「なんだ……? 俺も行くって言っただけだけど」

「い、いや。筒井そんなん興味あんねやって」

「じゃーさ、今日いっその事夜遅い時間に集合しようよ! 宇治橋沿いに、22時集合で」


 ぷつん、ぷつん、ぷ…つん。

 綱春の目には視えていた。クラスメイトの身体から伸びる見えない糸のようなものが細く細く、まるで消えてゆくように切れていく光景が。


 春は騒々しいことこの上ない——。

 京に来たばかりの頃に聞いたその声を、綱春は周りの喧騒の中ひとり思い起こしていた。




***




 おおおおん、うぉぉおおん。

 その真夜中の小路には不思議な音が反響していた。

 綱春以外、そう彼以外は一人としてこの夜、この路に辿り着けすら・・・・・・・・・・しなかった。


 キィキィと、耳障りな音が響く。上から、下から、まるで路全体を埋め尽くしながら近づいてくるかのように。


 するりと彼は竹刀袋からひとつの木刀を取り出した。本来であれば真剣をひとつ持っておきたいところではあったのだが、高校生の腕で真剣なんて持ってしまっては今の世の中大変な事になる。

 そう、彼、綱春には人ならざる者達の姿が視える。そしてその討伐ができる人間でもある。しかし彼に特殊な術は使えない。

 はるか昔に手放した愛刀は、今どこにあるのかすらわからない。

 第一、現代の世の人間はとても脆い。文明の発展の結果なのか、一見強いようでいて、未成年の自分という立場はもの凄くひ弱で仕方がなかった。けれども……。


『春はあけぼの——』


 そっと囁くような声が、耳元で聞こえた。


『春は、あけぼの』


 キィキィ、キィキィと。

 靄のかかった小路に音が響く。


『奪いましょう、奪いましょう。あるじの路を妨げるもの』


 キィキィ、うぉおおおん———。


 身体中が総毛立つような冷気の中、軋む音と共に姿を現したのは異形の車。

 人の身体をあちらこちらに接いだような。

 そう、それは人の妬みと奪い合いの恨みが生み出した怪異の姿。


「そんな事言っても、もう今の世に車争いも牛車もないんだ」

『あるじに、あるじに良い場所を、あのよき春の日の』

「もうお前の主人はいない、それにアイツの名を借りて念を漁るのはやめたほうがいい」


 ぴたり、とその気配が止まる。


 ちがう、ちが、ちが、ちがううううう。


「何も違わないぞ。お前がどれだけ人の妬みを集めたって、主人は還っては来ないんだ」


 キィキィ、キィキィ、うぉおおおん———。

 うぉぉおおおおおおおおおおおおんんんんん。


『お前も仕えし者ならばわかるはずだるぉおおおお!!!!』


 憤怒の形相で突っ込んできたその怪異、"朧車"に綱春はキッとその木刀の切先を向け構えた。

 嗚呼、未成年の姿とは。何ひとつ持たぬ人の身とは、なんとか弱く不憫なことか。しかし——。


「……生憎と、今世じゃ俺は自由の身なんでね」



 りん——と、澄んだ鈴の音のようなものがひとつ。

 淀んだ冷気を晴らすように小さく鳴る。


「なんじゃ、お主は主人あるじに"あけぼの"を見せたかったかの?」


 あか、鮮やかすぎるほどの赫色が綱春の視界を覆った。

 否——まさに、衝突せんとしていた怪異と綱春の間に、スッと割って入った者がいたのである。


「そのような身に堕ちてしまわば、あけぼのなぞ恒久に訪れやせぬわ。現にお主の主人とやらはいづこへと逝った? 主人の為を想うふりをして、魔に身を堕とすとは愚かなものよ。春の夜はな、人々の思念で朧に霞む雑多なこの夜にはな、月を眺め見るのが風流というものぞ?」


 ふふふ、と朱色の肌に悍ましいほどの笑みを浮かべた水干姿の女が、そこには佇んでいた。


「橋姫への祈りを拝借して人攫いをしていたまではよい。お主のような三下を見抜けぬ人の仔らの祈りなぞ、所詮その程度……」


 しかし……と女はそのちろりと牙の覗く唇から笑みを消し、金色の瞳を刺すように細める。


「妾のおもちゃに手を出すのならば、話は別じゃ」


 しゃん、しゃん、しゃんしゃんっっっ、と。

 弦を張るような音が辺りに響く。

 車輪の軋む音ひとつさえ出せぬほど、雁字搦めに糸で縛られた朧車の姿がそこにはあった。


「照りもせず」

『や、やめろ……』


 じっっ、と思わず後ずさろうとした朧車の輪郭に、ぴしりとヒビが入る。


「曇りも果てぬ 春の夜の」

『ぐぎぃっ、ぎっぎッ、ギィいいいいいいい』


 ぴしゃん、と高い琴の音のような音が辺りに響くと共に、断末魔すらなくその怪異は散り散りになって霧散していった。


「なんじゃ、舞の詠も最後まで聴けぬのか。その程度の怨念で橋姫を騙ろうとは」


 あゝおもしろや、おもしろや——。


 スッ——と。くるりと振り返った女の扇の先が、木刀を構えたままでいた綱春の喉元に触れた。




***




「ねえ知ってる? 行方不明の単車や男の人、見つかったんやて」

「今朝のニュースで見た! でも全員、何が起こったか全く覚えとらへんって」

「まるで神隠しみたいだって」


 春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際——。

 昨夜の出来事なぞ知りもしないクラスメイト達は、夜に出歩こうと待ち合わせしたことすら覚えていないような口ぶりだ。

 あけぼのすら通り越して、人間は何気ない日常を過ごしている。その夜更けにどんな出来事が起きていようがお構いなしだ。


(いってぇな〜)


 その中でひとり、喉元に薄赤くついた切り傷のような痕を押さえては、綱春は不服そうな表情で席についている。

 皮一枚、それを裂かれて命に別状はないものの、何だかしてやられたようで悔しい。それも避けられなかったのではなく、あの女の雰囲気に呑まれてしまったからだと自覚しきってる故にだ。

 あまり言葉を交わす前に、彼女は去ってしまった。おもちゃだとか何だとか言われたのも正直変な気持ちで何だか気に喰わない。

 盛大なため息が口から出てしまったが、幸いな事に担任の教師の入室による合例でそれは誰にも悟られずに済んだらしい。


「んじゃ、転校生を紹介するぞ。はい、君、入ってきなさい」


 ん? んんんんんんん!?


「おっ、おまえぇっっっ!?」

「おお、どうした筒井、知り合いか?」


 思わず声を上げてしまった自身に、クラスメイトの視線が集中する事すら気にならなかった。

 人の姿にどうやって化けたのか、けれどもあの赫く長い髪、金色の瞳は見まごうはずもない。少し幼く見せた容姿すら懐かしい。


「いば、いばらっ……」

「よぅ綱! 今日からよろしくな」

「大江いばらさんだ。筒井の遠縁で、海外に住んでたんだってな。ご家族の都合で新学期始まった後の転校となったが、今日から皆仲良くしてくれ」

「なっっっ?」


 何だその無理矢理なこじつけ。アイツどんな術を使いやがった。


 スッと彼女が綱春の隣を通り過ぎる際に、する……と光る糸が彼の首に絡みつく。


「剣はどうした? そんなんで夜道を歩けば昔と違って異形共の餌食だぜ?」

「何言ってる……この平成の世に高校生が刀なんか持てるわけないだろ」


 口調変わりすぎだろ……と睨めば、「ふーん」と彼女は金色の瞳を細めて嬉しそうに笑った。


「オメーは弱っちいからな。しばらくそばに居て守ってやんよ、感謝しな」

「……誰も頼んでないっ」



 筒井綱春、平凡を装っている……ちょっと剣道の強い男子高校生。その正体は、一千年以上前にこの京都を守護した伝説の武将、渡辺綱の生まれ変わり。


 そして彼に絡むこの赫髪の女こそ。

 宇治の橋姫——そして伝説上では渡辺綱に討たれたとされる大江山の鬼の副大将。茨木童子その者なのであった。




 とざいとーざい。

 これより語られまするは、京都の夜の異形が視える因縁の二人のモノガタリ。

 縁を結び縁を切る鬼の姫と、地獄より戻りし四天王がひとり。

 一千年の時を経て、彼らに残るは因縁か、それとも絆か。

 そんな両者の怪異奇譚。

 隅から隅までずずずいっとこいねがい上げたてまつりまする。

 

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