第3話 私だけが覚えることになる違和感

 いろんな種類の蜂蜜を試食してみたり、名産の漬物をつまんでみたり、小物用品を売っている店に立ち寄ってみたり、興味のままにあちこち回っていると空腹の感覚が少しずつどうでもよくなってきちゃっていた。

 味気ないように見えていた世界も、気づけば色づき始めていた。

 でもそんな世界でも私と古谷だけが一番彩り豊かだった。まるで私たちを引き立てているように、道行く人たちは表情を潜めて、景色はスポットライトのように私たちの周囲だけを鮮やかに色づけていた。


「ねぇ、古谷。今のところ私ってどんなキャラクターになってる?」


「そうだな。いつも通りの有佐途乃香ってキャラだ」


「何それ、答えになってないじゃん」


「ま、お前はそれ以上でもそれ以下でもないってこと」


 まぁ、古谷がそう答えるのも当然のことなのかも。だって古谷はいつもの私になるように意地悪な真似をしたんだもの。


 もう少し私というキャラが立派なレディのような感じになるように企んでいたけど、古谷にあっさりと邪魔されちゃった。

 本当に、今までみんなの前ではありのままでいないように頑張ってきたのに、取材のときだけはありのままでいることを頑張らなくちゃいけないだなんて。


 こうなるんだったら取材をするだなんて言わなければよかったと思うのに。そうすれば私もいつもみたいに自然体でいられるのに。


 ――あ、そうだ。いいことを思いついた。


「――じゃあ私も古谷を取材してみようかな~。なんて」


「......」


 すると古谷は何かを考えているみたいに少し下の方を向いていた。

 一瞬の間が、少しだけ気まずい時間になってしまっていた。


「俺を、取材か」


「そう。私から見た古谷秀樹がどんな人なのか、後で私も古谷に送ってみるね」


 そう思って隣の古谷をふと見てみる。


 如何にも無難と言った感じの恰好、黒地のズボンに白い無地のTシャツそして灰色の長シャツ。ひょろ長い手足に灰色のスニーカー、もう少しで片目が隠れそうなほど長い前髪と黒いショルダーバッグ。何も考えてなさそうでいろいろ考えていそうなよくわからない表情と、泣きボクロ。


 改まってみる程の事でもない、いつもの古谷が目に映っているだけだった。


「じゃあ、後でメッセージでも文書でも何でもいいからそうしてみてくれ」


「うん!楽しみにしといてね。あ、でも古谷視点の私も後でちゃんと見せてよね」


「どうして?」


「どうしてって......。またいじわるなことを聞くんだね。だって気になるじゃん。私ってどう思われてるんだろうなーってさ......」


 ――あれ、これじゃあまるで私が古谷にどう思われているんだろうって変に意識してるみたい。

 そんなつもりは一切なかったのに、どぎまぎしてるのは変に意識しちゃってるせい?なんで?


「あの、別に深い意味はないからね」


「ふーん。――まぁ、気になるよな。自分が周りからどう思われてるんだろうって」


 そう言って古谷は地面に落ちた小石をコロコロと蹴り始めた。


「古谷も気になったりするの?」


「俺?まぁ、そうだな。外見はともかく、皆から古谷秀樹はどんな人間って思われてるのか気にならないって言えば噓になる」


「そうなんだ。――ふふっ、案外古谷もそう思うことがあったんだ」


 外見じゃなくて、内面。古谷らしい考え方だと思った。

 私も特に外見についての評価はどうでもよかった。むしろ、私という人間をもっとみんなに知ってほしいと思っていた。

 生まれながらに持ったものだけじゃない、有佐途乃香が持っている目に見えない部分も。

 もしかしたら、異性で古谷だけが仲良くなれたのは古谷が初めて私という人間の全部を見て理解してくれたからかもしれない。


「まぁ、有佐。俺だって今は普通の男子高校生なんだ、そのくらいの感情くらい備わってるさ」


 古谷がぽーんと蹴った小石が側溝へと吸い込まれていった。


「その言い方だとまるで普段は違うみたいじゃん」


「そうさ、普段の俺は違うんだ。例えば魔王の魔の手から人々を救ったり、銃声が鳴り響く戦場で恐れられている狙撃兵になったり、何かしらの主人公になってるから気にしてる暇がない」


「ふーん。つまり、ゲーマーってことだから?」


「いいや、それだけじゃない。没入するのはゲームだけじゃなくて、漫画やアニメの世界だったり、音楽や小説の中だったり、色々あるってこと」


 絶賛中二病を抱えている古谷らしい回答だった。

 でも、没入できるものがあるってだけで羨ましかった。

 私は昔から誰かの思い描くようなものを受け入れられない難儀な性格だった。私が周りに馴染めないのはそれが大きな原因だった。


「私も、何かしら始めてみようかな。ゲームとか」


「うーん。どちらかと言うと、有佐は自分の世界を形にする方が性に合っていそうな気もするけどなぁ」


「自分の世界?」


「そう。思いつくままひたすらに、自分の頭の中で考えていることを誰かが見たり聞いたりして知ることができるようなことをしてみるとか」


 そう言う古谷の言葉を少しだけ考えてみた。

 それはイラストのようで、小説のようで、漫画のようで、音楽のようだった。パッと思いつくこと以外にも、たくさんあるように思えた。


「創作活動、ってことかぁ。何だか難しそう」


「まぁ、その道のプロフェッショナルと同等の出来を目指そうとするとそう思うかもしれないけど、形を作るだけだったら始められれば誰でもできるさ。後は自分がどれだけ心血を注げるか、ってこと」


「ふーん」


 ――今までの私って、何をしてたんだっけ。


 小さい頃はともかく、高校生になってからは何かを探してひたすら動き回っていたような。

 自分探しをしてたとも言えるし、自分の居場所を探してたとも言える。でも結局何も私をずっと満たすようなものは見つからなかった。あったのは、その場しのぎの退屈潰しだけ。

 でも、古谷の言葉のおかげで今まで心の満たすことのできなかった隙間を埋める何かが見つかったような気がしてきた。


「ねぇ、古谷」


「なんだ」


「小説って、楽しい?」


「......」


 呆気にとられたような古谷の間の抜けた顔が私を見つめていた。それも当然、私がこんなことを言い出すだなんて思いもしなかったんだろう。


「どうして小説を?」


「ん、だって文章を書くだけだから一番初めやすそうだなって思ったから」


「なるほど。そっか、確かにそうだな。俺も最初はそうだった」


 そう言う古谷は漫画研究部に所属していた。

 本人たちから聞いた話によると浪川と古谷は同じ中学校で、だけども二人して高校生になってから突然漫画研究部に所属したのだそう。

 急に二人して漫研に所属した理由は聞いたことがないのだけれど、てっきり私は二人は付き合っているから同じ部活に所属したんだと思っていた。

 でも実際はそうじゃないらしい。


「ねぇ、そういえばなんで古谷は漫研に入ったの?」


「なんでって、そうだなぁ......。理由は浪川かな」


 ――やっぱり、古谷は浪川から何かしらの影響を受けていたんだ。


「どんなことがあったの?」


「どんなこと、か。うーん、話すと少しだけ長くなるかもだけどいいのか?」


「うん。古谷がどうして自分の世界を形にしようと思ったのか気になるから」


 何故古谷という人間が私をこうまで惹きつける何かを持っているのか、恋愛的感情を抜きにして知りたかった。

 それが何なのかがわかれば、私の気持ちも少しはすっきりするかもしれない。


「じゃあ、まずは俺が中学三年生の頃の話だ」


「うん」


「俺は浪川が美術の時間に描いた一枚の作品にベタ惚れしたんだ」


 ――浪川本人じゃなくて、浪川が描いた作品なんだ。

 少し意外なようで、そうでもないような。


「どんな作品だったの?」


「人の感情を表情で表して描くって課題でな、みんな笑顔ばっかり描いてる中で浪川だけは静かに泣いていたんさ。悲しみっていう感情を、表情を歪ませることなく涙一筋と虚ろな目だけでな」


 これだけを聞いただけで分かった。――浪川という女子は、私が想定していた以上に古谷を惹きつける何かを持っている。

 あちこち古谷を自分のためだけに連れまわしている私とは大違いだった。


「それから俺は気が触れたように絵を描き始めたんさ。受験勉強そっちのけで」


「でもハイハイには入学できたんだ」


「それは......。とある野望のために、勉強を死ぬ気で頑張っていたからな。――まぁ、とにかく。高校生になったときに体験入部で漫研に行ったときに偶然浪川と再会したんだ」


「ふーん。何だか運命の導きってやつみたいだね」


 まるで偶然じゃなくて必然的に二人は巡り合ったみたいだと思ってしまう自分がいた。

 いいな、私もそんな運命の出会いのようなものをしてみたかったなぁ。

 ちょっとだけ、古谷に何かを与えることができた浪川を羨ましいと思った。


「いいなぁ。浪川は」


「どうして?」


「だって、誰かの人生に影響を与えることができただなんて。すっごく素敵なことじゃない?そう思うと、私なんていつも私の在り方みたいなのを探してばっかり」


 普段じゃこんなこと絶対に言わないのに、中途半端に色づいた坂から見える色褪せた景色を眺めてると不思議と心の内がこぼれてしまう。

 さっきまではあんなに色鮮やかだったのに。今じゃ半透明な部分が多く目立ってきちゃている。


「そう言えば、話すと少し長くなるって言ってたけどまだ話の続きってあるの?」


「あるにはあるんだけど、よくよく考えたら俺が漫研に入部した理由に直結する部分はだいぶ少なかった」


「なんだそれ、変なの」


「はは、男ってのは秘密が多ければ多いほど魅力的ってやつさ」


 その言葉は普通女性が使うものなのに。でも、私には話したくない何かがあるんだ。それが浪川に対する特別な気持ちなのだろうか、私のことを気遣って言わないようにしていることなのか。どちらの場合もあるし、どちらでもないように思える。古谷はそういう不思議な人なんだ。


「あれ、もう戻ってきちゃったね」


「本当だ」


 気づけば坂が始まる地点まで戻ってきていた。スマホの画面を見ると、バス停を出発してから一時間以上は優に経過していた。

 目の前には、あまりにも質素すぎるけど思わず足を運んでみたくなるようなアウトレットモールが見えていた。


「結局、お昼ご飯らしいものは食べなかったね」


「食べ歩きはしてたけどな。まぁでも、フードコートとかでテキトーに何か食おうぜ」


「そうだね」


 古谷は私のことをわかっているから、私が先にしっかりお腹を満たしておきたいこともわかっていた。

 すたすたと、青に変わった信号を古谷が少し前を歩いていく。

 その真後ろに、何となく張り付いてみる。

 別に触れてるわけじゃないけど、後姿を見ているだけで何だか体温が伝わってくるような気がした。

 近くまで来ると、25cmくらい見上げなくちゃいけなくなる。女子の中だと私は背が高い方なのに。


「なんでさっきから俺の後ろにいるんだ?」


 当然古谷はそんな私のことが気になる様子で振り向きもせずそう言ってきた。


「ん?日差しが眩しいなぁって」


「太陽はほぼ真上だろ」


「じゃあ風をしのぐため?」


「軍魔の方が強いだろ」


 特に理由はなかった。――けど、いいなぁ。背が高くて。私もこれくらい身長があればいろんなことができただろうに。男性みたいなかっこいい服を着てみたり、スポーツで大活躍したり。





【――いっそのこと、古谷が私よりも小さな女の子になればいいのに】





 そうすれば今まで意地悪してきた分をお返しできる。――そうそう、ちょうどこれくらいの小ささだったらよしよしって撫でたりすることも......。


「......あれ?」


「――ん?どうしたの?」


 ふわっとした、古谷の柔らかな長い髪の毛が振り返る動きと一緒になびいた。


「古谷、古谷ってその......だったっけ?」


 つぶらな瞳が二つ、私を捉えていた。


「ん?何変なこと言ってるの?あたしのどこに男みたいな要素があるわけ?」


 そう言う古谷は自分の体を見まわすような仕草をしていた。


 ――私よりも背の低くて子猫のように可愛らしい古谷の姿が、私の目に焼き付いたままだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る