第6話 あらすじの最後

 時は四月中旬。新学年としての授業の初週を終え、少しずつ春休み気分が抜けてきた頃。

 俺らハイハイ漫研部三名は休日を前に気楽さを抱えながら放課後部室へと集まっていた。

 全員揃いも揃って画面へと向かって各々の作業を進めていた。


「古谷ー。どこまで描けた?」


「ん?もうすぐ正面のやつが描き終わりそうなとこー。でもまだ見せられないよー」


 今の俺は絶賛カイレンの設定画の仕上げを描きこんでいる最中だった。

 それにしても、我ながら素晴らしい出来になりそうだ。特に装飾品の塗りこみに力を入れてみた。質感重視、思いのままのものを詰め込んでいる。

 浪川なひまりちゃんがこの部に加わってから五日が経過したが、依然として新入部員が増えることはなかった。

 この部室は空き教室であるとはいえ、後ろ半分には古めの椅子や机が寄せてあったためこれ以上人数が増えると窮屈になりそうだ。まぁ、その時はこれらをどうにか撤去すればいいのだが。


「それにしても早いですね、古谷先輩。私はまだどんな子にしようか迷っている最中ですのに」


「まぁ、ペースは人それぞれってもんだよ」


 俺と違ってひまりちゃんは元となるキャラがいなかったため、完全に一からデザインをすることになっていた。

 案外無から何かを生み出すというものは難しいのだ。

 こればかりはインスピレーション待ち。クリエイターというのはいつもそういったことと戦っているのだ。


「でもなぁ。俺、三面図を描こうと思ったけどめんどくさくなってきちゃったな。これをあと二つも描かないといけないのはなぁ」


「まぁ、別にただの遊びみたいなものなんだし、そんなにガチにやんなくてもよくない?」


「......そうだなぁ」


 モチベーションはあるにしろ、面倒なことは面倒だ。でも正直正面だけでいい気がしてきた。描いてくれたとしてもこの二人だけだし。着ている服も特に背面に装飾を施しているだけじゃないのでこのまま完成ってことでいいか。


「よーし。あとはテキトーに質感を統一させてっと。......うし、保存したし後は画像に起こすだけだ」


 画像の形式を指定し、出力ボタンをクリック。

 一瞬のロードの末プレビュー画面が表示され、俺は決定をクリックした。すると一瞬で出力は完了され、画像フォルダを開くとそこには先ほど描いたカイレンの設定画が保存されていた。

 すぐさま漫研のイラストをアップするサーバーへとアップロードを始めた。


「......ん?古谷から画像が送信されたって出てきた」


 早速二人に通知がいったのか、浪川姉妹は作業の手を止めてPCの画面操作をしだした。

 記念すべきカイレンの設定画その第一号のお披露目だ。


「どれどれ......」


「わぁ、これが」


 二人は俺が送った画像を目にしたのか、画面を覗き込むように近づけた。

 しばらく無言でまじまじと見つめられていると早く感想が欲しくなるところだ。心がうずうずして堪らない。


「......これ、本当にあの古谷が描いたの?」


「あの古谷が描きましたけど?ほら」


 そう言って俺は二人に証拠となるドローイングソフトの画面を見せつけた。

 だが見せつけてもなお浪川大先生は訝しむような表情を俺に向けていた。そんなにこの絵を俺が描いたって認めたくないのか?


「それで、どうですか?俺のカイレンちゃんは?」


「......絶妙に描くのが面倒くさい服装と装飾だね。鉱石がはめられたネックレスとか、フリルみたいのがついたシャツとか。てか、なにこのブーツ。最初写真張り付けてるんかと思った」


 相変わらず、浪川大先生は俺の絵を褒めているのか貶しているのかわからない口ぶりで評価をしてくれていた。だが俺のこだわったポイントを事細かに指摘してくれているので、描いた側の立場としては少しだけ嬉しかった。


「まぁ、今までは背景ばかりを好んで描いていたから、今回はその技術を応用して塗り方に落とし込んでみた。どうかな?」


「......まぁ、正直なことを言うと......」


「と言うと?」


 俺が浪川を見つめるも、浪川はぷいと視線を逸らせてしまった。俗に言うツンデレってやつだろうか。


「古谷先輩、お姉ちゃんのこの顔は相手を認めたくないときにする表情ですよ」


「ちょっ、ちょっとひいちゃん!?」


 さすが浪川妹。お姉ちゃんの心の内など当然のように見透かしていた。それにわかりやすく反応する浪川も浪川で可愛い。以前だったらこんな反応をしてくれなかった。


「だから俺は前に言っただろ?満足いくまで去年までとは違う俺を見せられないってさ」


「......でもまさかこれほどまでとは思いもしなかった」


 遂に浪川大先生のお墨付きを頂くことができました。まったく、嬉しい限りだ。

 今までデジタルで頑張って描いてきた甲斐があったものだ。心のどこかに潜んでいた、浪川をぎゃふんと言わせたい俺が喜びの声を上げていた。


「それにしても古谷先輩が描いたカイレンちゃん、確かに塗り方が特徴的で素敵なのですが一般的なアニメ塗りと違うので描くのが少し難しそうですね」


「でた、アニメ塗り」


 イラストの塗り方は超大まかに分けて二つ。

 一つ目が、俺のように上から色を塗り重ねていく厚塗りというもの。ペタペタと気ままに塗っていくので仕上がりがいつも微妙に違う。だが質感に深みが出るのでイラストの雰囲気によってはこういった塗り方をするという人も多い。


 一方でひまりちゃんが言っていたアニメ塗り。

 これはその名の通りアニメのように最低限の配色で色を塗っていく技法だ。とは言っても色の境目にエフェクトを掛けたりすることで、見た時に単調にならないような工夫を施す人がほとんどだ。

 最近はこの塗り方の人の方が多い気がする。

 どちらも極めれば描き終えるのに必要な時間も手間も一緒であるため、こればかりは描き手の好みだ。


「俺も最初はその塗り方だったけど、気づいたら厚塗りになってたなぁ」


「そうだったんですね。私はよくノートの隅っこに落書きをしていましたので、その影響もあってかアニメ塗りなんですよね」


 そんな俺らの塗り方トークをぼーっと眺めてタッチペンを握っていた少女が一人いた。――デジタルであるのに未だに白黒でしか絵を描いたことがない浪川大先生だ。


「......楽しそうだね、二人とも」


「楽しいよ?ほら、浪川も色のある世界においでよ」


「それはいいや」


「そんなに色塗りが面倒なのかよ」


 とは言ったものの、浪川は本当に漫画を描くことに特化した人間で、俺と同じく去年あたりからデジタルに移行したのにプロ顔負けの描きっぷりを見せつけていた。

 なんでも好きな漫画の絵柄を真似していたらいつの間にか習得できていたのだという。さすが鬼才浪川来藍だ、メインヒロインに相応しい実力。


「......まぁ、これだったら部誌の表紙と裏表紙は二人に任せればいっか」


「あぁ、確かに。去年は先輩たちが描いてたもんな」


 去年までいた先輩たちはこの部室で遊んでいただけの人がほとんどだったが、意外にも全員趣味で絵を描いていた人たちだったため部誌のイラストは俺たちが描かずに任せていた。とはいえ今年はひまりちゃんが入部してくれたおかげで俺が全て描かなくてはいけないという事態にならずに済んだ。

 ちなみに、ひまりちゃんの絵は滅茶苦茶上手い。

 なんだか見ているだけでいい匂いがしそうなタッチの絵だった。


「じゃあひまりちゃんが表紙で、俺が裏表紙だ」


「えっ、古谷先輩が表紙じゃなくていいのですか?」


「うん。だってひまりちゃんの絵の方がパッと目を惹きやすいし」


 俺は背景を描くのが好きだが構図を考えて描くのが苦手だ。中央に人物を置いた正面からのイラストしか描けない。だがひまりちゃんは違う。例えるならばラノベの表紙みたいな絵を描ける。そうならば絶対ひまりちゃんが表紙の方がいい。


「ってことで、どうかな?」


「......古谷先輩がそう言うのなら」


 まるで俺が圧力をかけているような構図じゃないか。正面の浪川の顔が怖い怖い。なんで無言でにこやか笑顔を俺に向けているんだ。


「まぁ、もしどうしても嫌だったら俺が描くよ」


「あぁ、いえ。別にそういうわけじゃないんです。ただ、先輩を差し置いて下級生の私が描いていいのかなと思っただけなんです」


 なるほど、気遣う優しさが故の反応だったわけか。

 正直言うと描くのが面倒という気持ち半分と、ひまりちゃんがどういった絵を描くのか楽しみな気持ちが半分だった。


「ほう、優しいんだね。妹の方の浪川は」


「なーに?当然でしょ。私の妹なんだから」


 本当に、浪川はすっかり姉としての立場が板についていやがる。つい一週間ほど前まで赤の他人だったのに。さすが世界の設定に干渉できるほどのメインヒロイン力だ。


「さて、俺はとりあえずやりたいことが終わったことだし、いよいよ明日から『ハイハイ青春怪奇譚』のための取材に出かけてくるか」


 初週の平日は相手側も忙しいだろうと思って取材をしなかった。いくら半分崩壊したような世界だからといって、それが当たり前として普段と変わらない生活を文脈異常共イレギュラーズは送っている。

 既にそのうちの何人かには取材をする旨を伝えてある。

 皆、口をそろえて面白そうと言って協力してくれることとなった。何せ自身らが生活する場所が舞台となるのだ、それに自分がモデルの登場人物が出てくるだなんてあいつらにとっては楽しいことこの上ないだろう。


「それで、古谷は誰を初めに取材するの?」


「ん?あぁ、初めに取材するのは俺ら二年二組の黙って座っていれば美人ランキング第一位のあいつだ」


「あぁ、―― 有佐のことね」


 どうやら俺の中でのあいつに対する概念は浪川も同じだったらしい。

 有佐は俺と浪川の共通の知人でもあった。

 去年の文化祭の際に運営班に所属していた一年生として度々この部と連絡を取り合っていたからだ。一年時、俺と有佐は同じクラスだったためその後いろいろあって仲良くなったが、今は浪川も俺も有佐も全員同じクラスなので教室では他のメンバーも合わせて教室の隅で駄弁っている仲になっていた。


「女の子と二人きり、随分といいご身分だね」


「なんだその言い方は。取材してこいって言ったのはお前だからな?それに俺は既に何度も有佐にあちこち連れまわされてるんだ、今更ってやつだろ」


 有佐は探検家気質があったが、何でも一人で行くのは退屈で嫌だそうだ。本人曰く、他の連中は皆部活やバイトで忙しくしているらしく、都合のいい人間として俺が抜擢されているらしい。暇人冥利に尽きると言うべきか、虚しいばかりと言うべきか。


「ふーん。まぁ、古谷が取材してこないと私の計画は一つも進まないから頑張って美人さんに振り回されてきてね」


「へいへい」


 お前も美人だろ浪川。こんなメインヒロイン系の見た目をしておいて、他の文脈異常イレギュラーに嫉妬してしまうとは。

 それにしても、今日はツンデレヒロイン回なのか?今まで浪川が俺に執拗にあれこれ言ってくることなんてなかったのに。まぁ、取材が始まればしばらく浪川は出てこないだろうから、今のうちに浪川成分をたっぷり摂取しておけるのならそうしておこう。


「そうだ、取材期間は一週間ほどを目安にしているけど、もしかしたら長引くかもしれないし短くなるかもしれないとだけ伝えとく」


「ん」


 取材期間の長さはその生徒に合った背景というやつを探すのに苦労した時間と言っても差し支えないだろう。よくよく考えると、普通に難しいことを浪川は要求していた。人物の取材だけならまだしも背景までって。そしてその背景はどこで使うのだろうか。まぁ、漫画の背景担当は俺なのだが。


「あ、そうだ。古谷、渡したノートに描いてもいいけどデジタルで描いてもいいよ」


「え、デジタルでもいいのか?」


「うん。さっきの感じで描けるんだったらそっちでもあり。でも私的には紙に描いてほしいけどね」


「じゃあ紙に描こう」


 せっかく浪川から貰った高級そうなノートだ、使わないのはもったいない。それに俺も久々に原点回帰してシャーペンで絵を描きたくなってきた。

 俺のシャーペンを使った描き方は少し特殊で、輪郭を描きこんだ後は指先に滲ませた黒鉛によって陰影を着けていくのだ。こうするといい感じに質感が出る気がするからだ。

 そのせいあってか、中学生の頃はよく指先や手の側面がまっくろくろになっていたっけ。


「まぁ、古谷の自由でいいよ。あ、あともう一つ。何人かの取材が終わったら脚本もよろしくね。前みたいに小説風に書いてよ。その方が私が描きやすいし」


 注文の多い漫画家だ。俺はこの後浪川に美味しく料理でもされて食べられちゃうのか?


「なんだか俺だけやる事多いな」


「だって古谷と違って私たちは暇じゃないんだもん。ひぃちゃんは明日からバイトが始まるし、私は友達と遊びに行く予定があるし」


 ひまりちゃんはともかく、浪川、お前は全然暇だろ。むしろ俺と同類だ。

 そんなことを言ったらあの見つめられただけで何かに目覚めてしまいそうな冷ややかな視線を向けられそうだったのでやめておこう。


「はぁ、わかったよ。というか、ひまりちゃん採用してもらえたんだな。おめでとう」


「ふふ、ありがとうございます。はぁ、初めてのバイトなので今少し緊張してるんですよね」


 その気持ち、よーくわかる。俺も去年の夏休みに調子乗ってプールの監視員のバイトを野郎共と一緒に応募した時は死ぬかと思った。

 あれは緊張というより、灼熱に焼かれて頭がおかしくなりそうになったというべきなのだが。


「じゃあ明日こっそり訪ねてみようか?有佐ってやつと一緒に」


「えっ、それは......えへへ、少し困りましたね」


 困ってしまうのは俺が来るのが嫌なせいなのだろうか。

 まぁ、考えてみると出会って間もない異性の先輩に押しかけ宣言されたら誰だって困った顔をするだろう。

 それにしても、ひまりちゃんの困り顔は可愛いな。なんかこう、小動物のような愛くるしさがある。でも困らせすぎると隣の猛獣に食い殺されそうになるので控えめにしておかないと。とは思いつつも、俺は即刻有佐に明日カラオケ行こうと連絡した。

 するとものの数秒で既読と表示されて「いいよー」と気の抜けたような返信がきた。別に有佐はいつもスマホをいじっているわけではないのだが、返信だけは誰よりも速かった。


「ま、とにかくひまりちゃん頑張ってね」


「はい、頑張りますっ」


 お日様のような笑顔が向けられた。この笑顔で接客されたらそれだけでその店に通いたくなってしまうだろうな。

 最近思ったのだが、ひまりちゃんは確実に魔性を秘めている。俺の精度を高めた少女アイフィルターを易々と貫通してくる人はそうそういない。さすが文脈異常共イレギュラーズの一人だ、何せあのメインヒロインの浪川の庇護下に置かれたのだから。


「あれ、古谷もう帰るの?」


「あぁ。今日は少し家でやらなくちゃいけないことがあるからな」


 時間にしてはまだ六時手前だったが、俺はそう言って席から立ちあがった。

 ちなみにやらなくちゃいけないことというのはゲームに誘われたからという理由ではない。まだ、あの黒い影にも伝えていない、打ち明かすつもりもない計画を実行に移すための準備をするのだ。


「古谷にやらなくちゃいけないことってあったっけ?」


「とある野望のために、な」


 意味深なことを言ってみせると浪川は可愛く首をこくりと傾げた。対照的に俺は不気味に笑みを浮かべていただろう。


「ってことで、じゃあねー」


「ほーい」


「お疲れ様です」


 俺は荷物をまとめると手を振る浪川姉妹を後に部室を出て行った。


 ――こうして、《エピソード・コラン》その序章となる話は幕を閉じた。

 俺の野望という物語のあらすじ、いや、冒頭とも言うべきだろうか。

 とにかく俺は、俺が一度手放した世界を思いのままに書き連ね、描き上げていく存在を主観に織り成されていく物語の登場人物としてこの世界を生きていく。

 ――なに、物語に一区切りがついたらまた戻るさ。

 《エピソード・コラン》、それに内包するサブエピソードの数々、主観というのはいつだって読み手が手に取るその話に寄りけりだ。ってことで、まだちょっとだけ俺の話があるから聞いてくれ。


 ―――俺の、野望の話を。――





――――――





「――ただいま」


 愛自転車を走らせて、不自然な白い直方体が突き刺さった我が家へと戻った。

 返事はなかったが、リビングには明かりがついていた。

 リュックから弁当箱を取り出し、食洗器にぶち込もうと扉を開ける。

 するとそこには我が家のリビングの主、在実あるみが掛布団に包まってスマホを眺めていた。


「あれ、母さんたちは?」


「んー?遅くなるから二人でどっか食べに行ってだって」


「ふーん」


 と言いつつも、俺は冷蔵庫の扉を開けた。

 中には食材がぎっしり、卵に焼き豚、野菜室には長ネギ、そして冷凍庫には冷凍ご飯。

 こうなればあれを作るしかない。俺が最も得意とする料理、――炒飯だ。

 正直今は家を出る気分じゃなかった。


「アルミー、今日の晩飯俺の炒飯でいいか?」


「いいよー。でも量少なめにして。お腹空いてカップ麺食べちゃった」


 備蓄棚に目をやると、俺がやっとの思いで見つけ出して買った限定のカップ麺が姿を消していた。


「......」


 どうしようもない虚無感が、じわりじわりと俺を蝕んでいったが、それを掻き消すように俺は卵を割って溶いてご飯をチンしてネギを刻んで油を温め卵とにんにくそして生姜を入れてご飯を入れて焼き豚をぶち込んでネギも入れて塩と胡椒そして化学調味料と鶏ガラで味付けをして皿に盛りつけた。

 これだけじゃ味気ないので、贅沢にウォーターサーバーのお湯を使ってインスタントスープも用意した。

 これにて完成、秀樹特性の濃い味炒飯だ。


「「いただきます」」


 完成した頃にはすでに在実は席についてスプーンを持っていた。

 俺は皿洗いの手間を考えてフライパンから直接炒飯を口に頬張った。

 熱い、旨い、濃い。これがたった十分でできてしまうだなんて、中華の歴史というのは偉大なものだ。


「「ごちそうさー」」


「ってことで、洗い物よろしく」


 そう言って俺は脱兎のごとく在実の文句を振り切って自室へと向かっていった。――途中まで足にしがみつかれていたので、その点は振り切れてはいなかったのだが。


 階段に置かれた荷物を回収して、聖域へと一直線。

 扉を開けば何ということでしょう、広々とした撮影スタジオに俺の部屋がおまけ程度にくっついているじゃありませんか。

 俺は明かりをつけるとどこもかしこも明るく照らされる影無き空間に明かりをつけた。


「......あれ、いない」


 てっきり黒影ちゃんが俺のことを待ちわびていると思ったが、空間中を見渡すもそれらしき存在は確認できなかった。

 そのまま俺は荷物を置いてゲーミングチェアの方へと向かった。

 するとデスク上に綺麗な筆跡で書かれた一枚のメモを見つけた。


「......なにこれ?――探さないでください」


 こんなことをするのはきっとあの黒い影だけだろう。妹はもっと丸文字だし。

 それにしても、一体どういうことなのだろうか。急に黒影ちゃんが家出をするだなんて今までなかった。――まぁ、わからないことは考えても仕方のないことだ。そう思って俺はPCのスリープモードを解除した。


「さて、セーブポイントはとりあえず今日まででいっか」


 モニターには俺が今までコツコツと書いてきたこれまでの出来事が文字として表示されていた。と、まるで俺が一から打ち込んで書いたように言ったが、それは俺が手を触れることなく自動的に文章を書き連ねていた。今も進行形で文量を増やしていっている。


「それじゃあそろそろ始めるか。――ライカ」


 俺が画面に向かってそう言うと、文章はぴたりと止まって画面いっぱいに【うん!】と元気のいい返事を表示した。


 対黒影世界保全計画、それは黒影と対を成す存在の『白光』、――通称ライカと共に進められていた。

 黒い影はまだライカを認識していない。いや、認識できないと表現するのが正しいだろう。

 影と光、両者は対となっているが故、概念としては同格。

 しかし光無くして影は生まれないため、いわば光は影よりも上位の存在と位置付けることができる。ライカ曰く、これが黒い影が自身の存在を認識できない理由だそうだ。

 もっと簡単に表現すると、三次元に存在する者は、四次元といった超次元の事象を観測できない。こんな感じだ。

 そしてこのことが、俺が今密かにやろうとしていることと深く関係している。


「ライカ、明日から主観は俺から対象の文脈異常イレギュラーに移して書いてくれ。それで話が一区切りついたらその都度主観を俺に戻してくれ」


【――わかった。でも、もし途中で黒影が邪魔してきたらどうするの?】


「その時はそのままでいいさ。別に俺はこの世界に執着しているわけじゃない。それにライカが物語を書いてくれれば、後は俺の方でなんとかできるだろうし」


【――そう言って、失敗した時に大変なのは私なんだからね!今まで書き連ねた分の苦労が水の泡になっちゃう】


「まぁいいじゃん。不完全で複雑な異世界ファンタジーも悪くない」


【――はぁ。その言い方だと、まるでこの世界を諦めてるみたいじゃん】


「はは......。でもまぁ、この計画のおかげで俺はまだ物語を創り続けることができるんだ。だから互いに互いを忘れることになるかもしれないけど、その時はもう一度俺を見つけ出してくれ」


【――まったくもう、わかったよ。それじゃあ私はここら辺で】


「うい」


 俺が返事をするとライカはウィンドウを閉じて消えてしまった。

 短いやり取りの末、俺はふと壁に掛けてあった時計を見た。

 時間にして午後八時四十分。残り三時間ほどで主観が切り替わる。――その瞬間が、俺と浪川の計画の開始だ。


「それにしても、一時的な改稿能力の制限か」


 この計画で重要なのは、俺が高位の存在として位置づけられたまま物語が進行しないことだ。

 メインヒロインである浪川以外の登場人物全員がちょっと不思議な力を有したフラットな存在であることが必須。そうでなければ俺が主人公になってしまう。こうなると俺の計画が台無しとなり、最悪俺はこの世界を最後に存在がなくなってしまうかもしれない。


「ま、暇だし世界の設定でも考えるか」


 そのまま俺は無気力にベッドの上へと倒れこんだ。

 程よい疲れと共に目を閉じると、意識はあっという間に暗闇へと落ちていった。

 ――目が覚めた時、俺はどうなっているのだろうな。その思いを最後に、――古谷秀樹は日を跨ぐほどの深い眠りについた。




【――四月十五日零時零分。この時を以って《オペレーション・対成ツイナス》ならびに《エピソード・トノカ》は本格始動した】

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