第3話 幸運の丘

 戦場に小高い丘があると、そこは高確率で「緊要地形」と呼ばれる軍事上の要点となる。


 私はその、小高い丘の防御を任された、未だ新米少尉だった。

 少尉故に、与えられた部隊規模も、歩兵1個小隊に戦車が1両のみ、砲迫火力も迫撃砲が2門のみ指向されるだけの、とても小さいものだった。

 歩兵小隊長である私は、自分の部下だけでも30名ほどはいたが、負傷やら戦病やらで数名は抜けてしまっている。

 

 前方から予想される敵の規模は、戦車に防護された1個中隊(120名程度)、それも恐らくは機械化されていて、こちらの武器では貫通出来ない規模が来ると思われる。

 、、、、要するに、勝ち目のないいくさを強要されたこととなる。

 それでも、歩兵科将校として、戦って死ねることは、運が良い事だと思う。

 

 そうだ、本当に運が良い。


 国民は知らない、戦争の本当の怖さは、戦って死ぬ事ではない、戦場にたどり着けず、人知れず死んでゆく事なんだ。



 深夜の洋上で撃沈される怖さを、皆は知らない。

 暗闇の洋上を、彷徨う怖さを、皆は知らない。

 サメに怯えて、何日も漂流する怖さを、皆は知らない。

 自身が生きたまま、海水で朽ちて行く怖さを、皆は知らない。

 食べるものもなく、飢えて死ぬ怖さを、皆は知らない。

 取返しのつかない事象を目の前にして、ただ立ち尽くすしか出来ない怖さを、皆は知らない。

 疫病にかかり、置いて行かれる恐ろしさを、皆は知らない。



 だから、こうして戦えることの、真に運が良い事を、内地の皆は、きっと理解出来ない。



 前方2000、敵戦車が砂塵を上げて向かって来るのが見える。


 陣前じんぜんには地雷原すらない、とても前線とは言えない陣地。

 こんな鉄条網もない陣地を、我々は塹壕だけ掘って守れと言われる。


 それでも、私は運が良いのだ。


 だから、やってやる。

 あの敵戦車を、全部駆逐してやる!


 益々接近する敵戦車は、横隊に戦闘展開して向かってくる。

 いよいよ、戦いの火蓋が切って落とされる。


 予想していたよりも、敵の数は多い。

 それ故に、この要点は、死守すべき拠点とは言い難い。

 本来であれば、敵を足止めしたならば、後方の本隊と合流し、そこが死に場所となるべきだろう。

 

 しかし、私にも軍人としての意地がある。


 私は運が良い、だから決めたのだ。


 ここを死場として、選んだのだ。

 海没者たちは、今の私を見て、きっと羨むに違いない。

 餓死した兵たちは、今の私を見て、きっと恨んでいるに違いない。

 華々しく、敵と渡り合えるこの名誉を、きっと妬むに違いない。


 故に、逝かせてもらう。


 男の喧嘩は、一生に一度

 ここが私の腹切り場


 

 嗚呼、本当に私は運が良い。


 その幸運の喜びを噛みしめながら、自軍の戦車に命令を下す、「徹甲弾正面射、撃て」と。


 兵も皆、同じ気持ちだろう。

 塹壕内で死ぬくらいならば、最後は潔く、華々しく散りたいだろう。

 敵は、歩兵の下車展開が、もう肉眼ではっきりと見えるほどに接近している。

 美しい散兵線だ、良く訓練されている。

 こちらの機関銃が、いよいよ火を噴く。


 陣地には、敵の砲弾が雨の如く降り注ぐ。

 敵は、自軍の突撃でも、平気で砲弾を降らせてくる。

 もはや私の命令は、肉声で届く事はない。


 自軍の戦車が、敵戦車の砲撃により大破する。

 こんな丘の防御のために、よく奮戦してくれた、感謝しかない。


 自軍の機関銃射撃音が止んだ。

 恐らく砲撃によって、もう戦死しているのだろう。


 ここが潮時。


 私は、軍刀のホックを外し、陣地を出る準備をして、最後の号令を下した。


 私は、本当に運が良い、戦って散れるこの幸運を噛みしめながら、高々と小隊指揮所から号令を発するのだ。



 「突貫とっかんせよ」と。

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