第2話 雨季の寄り道

 この国の独立を目指し、意気揚々と越境してから、既に2年が経過していた。

 雨季のジャングルは、土地勘のある軍隊なら戦闘を避けるのが慣例だ。

 あまりの酷さで、戦いにならないのだそうだ。

 私達は、こうして作戦の無い雨季には、ジャングルに住む現地住人の村や国境沿いに広がる難民キャンプを移動することが多い。


 この時は、先輩もまだ生きていて、私は先輩と先輩の戦友、現地ゲリラ部隊と行動を共にしていた。


 雨季のジャングルは、独特の匂いがする。

 日本で、こんなに長く雨が降り続いたら、連日ニュースになることだろう。

 とにかく乾いた布が少ない、全部濡れている。

 貴重な燃料で服を乾かす事が出来ないため、結局雨季の間はずっと湿っている。

 だから当然、あらゆる布製品はカビが生える。

 革で出来た拳銃ホルスターは、真っ白にカビが生え、それを白人の戦友にバカにされて腹が立った。


 汗で濡れた戦闘服は、異臭を放ち、怪我はいつまでも治らない。

 ハマダラ蚊がマラリアを媒介する、難民キャンプは病人が多いから、マラリアが伝染しやすい。

 私もこの時既に4回以上は感染していた。

 高熱が出ると、とにかく怖い夢を見る。

 少女が、巨大なカブトムシを食べている夢を見た時は、もう死にたいとさえ思った。

 マラリアだけではない、デング熱や赤痢に悩まされ、衛生状況は最悪だ。

 蚊に刺されて掻き毟る、当然傷になって、それでも痒いから、また掻く。

 すると、化膿して膿が流れ出す。

 雨季のジャングルは、あらゆるものが乾かない。

 故に、一度化膿すると、完治に時間がかかる。

 経験上、化膿した傷が二つ以上になると、もうその傷は治らない。

 雨季が終わるのを待つしかない。


 この村も、そんな臭いに溢れていて、もうトラウマ寸前だ。


 それでも、私達を歓迎してくれて、村の人たちが集まってくれた。

 子供たちは、国を問わず、皆無邪気で可愛い。

 民族衣装でお洒落をした5歳くらいの少女が、妙に私に懐いてくる。

 顔を見ると、まるでコアラのように鼻が大きく腫れているが、少女は痛みもないのか、とても楽しそうに私に遊んでくれとせがむ。


「その子、あと2か月だな」


 先輩が言う。

 何のことかと思いきや、その少女は、あと2か月程度しか生きられないと言われた。

 鼻の腫れは、悪性腫瘍だ。

 肌の色艶も良く、鼻以外は健康そのもので、とても末期のガンには見えない。

 

 私には、この時、何ができただろう。


 今でもそう思う事がある。

 小銃で武装し、軍服を濡らした、ただのゲリラ、ただの傭兵。


 自分がどんどん、人の生死に無頓着になって行くのが解る。

 私達だって、生き物を殺して食べる、罪を犯さない人間はいない、何かの犠牲の上に自分が存在する、だから、次は自分の命の上に、誰かの命がやってくる。

 

 それは、単に順番なだけだ。


 そう思っていた。

 でも、この少女はまだ5歳くらい。

 順番で行けば、私の方が先のはず。

 でも、この命の順番を、私は変える事が出来ないのだ。


 だから、その少女と、一所懸命に遊んだ。

 私に出来る事は、もう何もないのだから。

 明日、もしかしたら自分だって死ぬかもしれない。 

 誰かをあやめるかもしれない。


 だから、それは順番なだけなんだと、自分が生き物の中で特別なのでは無いのだと、そう言い聞かせた。


 翌朝、私達の部隊は、その村を後にした。

 少女は、最後まで無邪気だった。


 当たり前だが、あの少女はもう、とっくに死んでいる。

 

 それでも、あの頃の私は、何かを信じて前に進んだ。

 あの村に、ほんの少しだけ後ろ髪を引かれながら、部隊は前進を続けたのだ。


 私は、絶対に泣かないと決めていたから、やっぱり泣かなかった。

 

 もうすぐ雨季が終わる、激しい戦闘が待っている。

 だから、前を向いて進もうと自分を鼓舞し続けた。



 後年、あの地域一帯の村は、ことごとく政府軍によって襲撃を受け、村人は冬を越せずに多くが死んだと聞く。


 そう、私達の命の火は、順番に消えて行くだけなのだ。

 だから、躊躇わずに進む事しか、どうせ出来ない生き物なんだと、自分たちは。



 ジャングルの奥からは、聞いた事のない大きな鳥の鳴き声が聞こえる。

 

 とても不快な鳴き声だった。

 

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