第16話 そして上がる、新たな『マク』

「よお!」

 パシイ、と掛け声と共に馬借は馬へと鞭を振るうと、それまでも限界近い走りを見せていた馬たちは辛そうに悲鳴を上げる。恐らく、こんな脚の使い方をすれば数日は使い物になるまい。が、そんなことは今の馬借にとってはどうでも良かった。

 何故なら、彼の後ろからは彼らの明日以降を奪い去る存在が迫って来ているのだから。

「ケ―――――――ン」

 微かに、されど確実に。遠くから聞こえるのは、彼らを積み荷ごと狙う猛禽が威嚇にも似た叫び声だ。それを直視すれば、たちまち彼の腕は強張り手綱を握ることすら覚束なくなるだろうことは容易に想像できる。

「く、糞う。おいお前ら、大丈夫なんだろうな!?」

 だから、馬借は必死に目線を前に固定したまま、震える声で問いかける。

「だとよ、アイネ」

 対して、そのかけられた先である荷台にいる冒険者は、まるで真剣みの無い、気の無いやり取りを繰り広げる。

「ふぇ!?」

「はっは。まあ、お嬢が出来ることはありませぬから・・・うむ、大丈夫でしょうなあ」

 その他人事のような声と、ひどくか弱い声と、何とも呑気な声に、馬借の顔面からはますます血の気が失せてゆく。本当に大丈夫なのか、ギルドの口車に騙されたのではないのか、今になって彼の頭の中を取り返しのつかない後悔が駆け巡る。

「そこまでにしなさい。もうそろそろ射程圏内ですわよ」

 ピシャリと窘めるような女の声に、「ようやくマトモな意見が」と思わずホッとした馬借だったが、

「はいはい。しっかしルーサ、本当に見えてんのか?」

「ええ。ワタクシならここからあの倒木に生える茸まで見えますことよ」

 次の大言に、再び心の安心は急落した。まるでプラッパーサル事件の時の小豆相場のように、乱高下が忙しい。

「そ、それより!」

「分かってる、分かってるって。じゃ、オッサン、準備は良いな」

 応!という言葉と共に、荷台がギシリと軋む音がした。

「良し。ルーサ、角タカどもの動きは?」

「変わらず真っ直ぐ。方角は南南東、そのまま飛んできていますわ」

「ほ、ホーンファルケは、その、と、飛ぶ速さ自体はそこまで早くない、です、から」

「我ら絶好の好餌食に追いつこうと精一杯、と。では頭目殿」

「ああ、ルーサの合図を待て。アイネは気付いたことは何でも言え」

「はい!」

 さっきのごちゃごちゃした雰囲気から一転。そこから数秒から十数秒、息を飲む音すら憚られるような緊迫が続いた。

「・・・・・・今ですわ!」

 掛け声と同時にパシンと乾いた音が響く。そして、次の瞬間。

「そうりゃあ!」

 馬が持ち上がるんじゃないかと思うほど、後ろの荷台に強烈な圧がかかる。そして、ビョウという何とも凄まじい風切り音が馬借の耳を襲った。

「どうだ、ルーサ!」

「っ!当たりましたわ!」

 その回答を待つ間に、更に3回、ビュンビュンと風切り音が響く。

「2回目以後は外れました・・・が、ホーンファルケ、止まりましたわ!」

 普通なら届き得ない距離から襲い掛かってきた攻撃に、ホーンファルケたちはバサバサと隊列を崩した。その場で羽ばたき止まるモノ、大きく広がり回り込もうとするモノ、グルグルと円を描くように飛ぶモノと、最早四分五裂。

「ん?逃げ出し・・・否、ロウト、さっきのコースから東寄りに!」

「応よ!」

 その中でももっとも目端が利く、且つ襲撃を諦めず回り込もうとする一団の面先へ、おめでとうとばかりに投石が見舞われる。

「ホーンファルケ、隊列を崩して・・・ああ、諦めたのが帰り始めましたわ」

 列を乱して渋滞を起こしたホーンファルケの一団。仮に彼らにまだ襲撃を諦めない不屈の闘志を持つ鳥がいようと、再び馬車へ追いつけるほどのスピードを出すことは困難だろう。

「うし。オッサン、もういいぞ」

 ほう、と禿頭の巨漢は軽く息を吐くと手に掴んでいた握り拳大の石をそっと荷台へと下した。そんなものが正確無比な狙いで襲い来れば、成程いくら猛禽とてビビッて逃げようものだ。

「では馬借殿、目的の町まではあと如何ほどで?」

「あ?あ、ああ・・・このまま走り続ければ日が暮れる前には着くだろう」

 無理をさせた馬たちも休ませなければならない。だが、緩めたスピードのままでも日が暮れるどころか夕暮れにはだいぶお釣りが出るだろう。

「しっかし・・・つくづくホーンファルケに縁があるな、オレら」

「ですわね。ただでさえ珍しいファルケの群れですのに・・・これで4度目ですわよ?」

「で、あるな。流石に対処法も身に染みつくというもの」

 その会話に、馬借も「ハズレじゃなかった・・・」と密かに胸を撫で下した。

「ですが頭目殿、いくら拙僧の筋骨が優れたると言えど、流石にこれ以上は厳しゅう御座るぞ?」

「そうか。・・・ま、そうそう敵が来ることも無いだろうし、あとはノンビリ―」

 過ごそうか。そうリーダーの男が言いかけたのを遮るように、「ひゅ、ヒューさん!」と、吃音気味の、気弱な女の声が響く。

 馬借にとって、この少女の存在が初めは一番の謎だった。戦士の風体だが強そうでなく、斥候かと思えば妙にどん臭く、当然魔導士では無い。だが、今となっての一番の謎は、

「どっちだ!?」

「え、ええと・・・右かな、と」

「右・・・右・・・見えましたわ、土煙!」

 この、いかにも自身なさげな少女の発する警告へ、パーティ全員が疑うことなく対応することだ。そして、信じられないことにその警告はどれも正しく敵襲を掴んでいた。

「草原に土埃・・・な、なら、馬かケンタウルスでしょう、か?」

「後者ですわね」

「む?・・・作麼生」

「説破。馬首が見えませんから」

 立つ土埃も半裸の上半身も見えるし、カポカポとした蹄の音も聞こえてくる。にもかかわらず、当然あるはずの馬首だけが見当たらない。

 とくれば、答えは1つだ。

「ケンタウルスねえ・・・どっかの金持ちが雇った傭兵じゃなきゃ良いんだが」

 先の魔神王討伐戦争以降、人並みに装うことを学んだケンタウルスの一部が雇われとして領主や首長の私兵となっているケースはそれほど珍しいものでは無くなっている。『そんなのに手を出しちゃ拙い』という、パーティのリーダーらしい思慮の働かせだ。

 しかしそれを、視力が自慢らしい魔術師の女は首を振って否定する。

「いいえ。大人数の割に旗も無ければ記章も無し、一直線に向かって来ることからも、十中八九は夜盗の類、根無し草ですわ」

「なら、手加減は要らねえが・・・俺たちの依頼は討伐でなくて護衛だ。適当に追い払え!」

「なら、ワタクシの出番ですわね!」

 お任せあれ、とばかりに揺れるほど強く胸を叩いてみせる魔術師の、何とも頼りがいのあることよ。

「ふむ・・・なら、拙僧の出る幕は御座いませぬな。おやすみ」

「確かにそうだが、サボるな」

 どさりと寝転がる巨漢を窘めるように、リーダーの男はパンと軽く熱い胸板を叩くが、休むこと自体は否定しない。要は、言い方を考えろということだ。

「それと・・・アイネは前を見てろ。可能性としちゃ薄いが、待ち伏せや罠も考えられる。馬借さん、良いな?」

 いきなり何を言われたのか馬借には分からなかったが、おずおずと少女が御者台へと近づいてきたことで「ああ」と理解を得る。確かに、前を警戒するのなら荷台よりここの方が適当だ。

「ど、どうも・・・」

「悪いが、手は離せん!勝手に座ってくれ」

 そう言って、馬借はもぞりと尻を動かしてスペースをつくる。と、それを待って彼の横に、ちょこんと少女がその薄い尻を落着させた。

「お、おじゃまし、ます」

「構わん。あと居るのは良いが、大声はあまり出すな。馬が驚く」

「は、はい」

 コクコクと、少女は音が出るんじゃないかと思うくらいに首を縦に振る。

「それと、ここは良く揺れる。落とされたくなけりゃ、しっかりと枠でも何でもいいから握ってろ」

 分かりました、と震える声で頷く横顔をチラと見ても、やっぱりそれは初めに見た時の印象そのまま変わらない。か弱そうな、冒険者としての剣と皮鎧より家娘としての包丁とお玉が似合いそうな少女だ。

 正直、彼とて少なくない冒険者へ護衛を頼んできた経験上、見る目はある。いや、今となってはあった心算だ。目測誤りに、少々矜持を傷つけられた気がしないでもない。

(ま、だからと言って、誰が悪いでもないがな)

 当然、彼女は絶対に悪くない。ただ、その少女はそれが誤りだったと結果で示しただけなのだから。

「・・・取り敢えず、何かあったら言ってくれ。駄目ならせめて、止まるよう努力はするから」

「は、はい。分かりました」

 ちゃんと、彼が言った通りに声を抑えて返事をする少女。彼女が冒険者として過不足なくやっているならば、彼としてもキチンとそれを信じなければ馬借の名折れだ。


 それから数時間後、馬借とその護衛は何の問題も無く目的地へと辿り着けたことはまあ、言うまでも無いことだろう。


「う、あ~あっと」

 馬を厩に繋ぎ、馬借は欠伸と共に大きく伸びをした。緊張で強張っていた筋肉が解されていくのは、何とも心地よい。それも、2度ならず命の危機を脱した行程の終わりとあれば猶更だ。

「ご苦労さん。使って悪いが、荷物は中へ運んでくれ」

「承知、承知。それも依頼の内ですからな。では頭目殿」

「んだよ。疲れてんだけどなあ、俺」

「アナタ、何もしてないでしょう?さ、キビキビ働きなさい」

 そんな彼の後ろでは、護衛に雇った冒険者たちが荷下ろしの最中だ。男2人はその外観から分かる通りの筋力を有しているようで、彼がヒイヒイ言いながら積んだ荷物を軽々と運び入れている。つとに、道中にその腕力を存分にアピールしていた禿頭の僧侶は両腕に軽々と木箱を担いでおり、本当に同じ人間か疑いたくなる。

 そして、そんな2人を顎で使うフード姿のナイスバディと、このパーティの力関係はどうやらそういうヒエラルキーで出来ているらしい。まあ、古今東西、男が女に勝てる道理は、

「・・・無いんだな、これが」

「ふえ?」

 思わず独り言が漏れただけなのだが、それを聞き咎めたかパーティの様子をおろおろしながら見守っていた少女冒険者がビクンと背筋を震わすと、

「な、何か?」

 と、慌ててパタパタと近づいてくる。

「ん?ああ・・・そうだな、アンタは人の上に立つような柄じゃ、無いな」

「え?・・・あ、はい」

 追い払っても良かったが、馬借としても荷運び先の商人との話がある。いささか?頼りないが、この少女をメッセンジャーとしてしまおう。

「そっちのリーダーに伝えておいてくれ。依頼の報酬は明日中、俺が納入金を受け取り次第ギルドに預け入れるから、それを受け取って欲しい。とな」

「えと・・・えと・・・はい」

「金額は、依頼金から前金とギルド手数料を除いた全額。それと、無事な荷物の数だけインセンティブがあったはずだから、それをプラスしておく。・・・いいか?」

「え、ええと・・・はい、分かりまし、た。・・・・・・多分」

 頭を何度も上下させる少女に「大丈夫かな?」と若干不安になった馬借だったが、そもそも依頼内容自体は出発の時にあの赤毛の男に言ってあるのだ。最低限さえ伝わってくれれば、それで良いと思い直す。

「ああ。あと、俺はこの町からも荷物を運ぶ予定になってる。所謂、往路便って奴だ」

「ん・・・ん・・・」

「それでだ、腕は確かめさせてもらったから、その護衛をまた頼みたいと考えてる。一応ギルドに依頼は投げておくから、嫌じゃなければ受注してくれ。・・・どうした?」

 特に難しい話では無いはずだが、何故か少女は怪訝な顔つきで自身のうなじをしきりに擦っている。

「・・・おい」

「ひぇ!?あ、あの、その、ええと、その・・・あの建物は?」

「あん?」

 そう言って彼女が指さしたのは、町の中央に建つ城西の一角にそびえる尖塔だ。

「あれって・・・ありゃ、この町の官公舎だが?」

 それがどうした?と重ねて問うが、それに対して彼女は「い、いえ。何も・・・」と明らかに何かあった風な様子で首をブンブンと左右に振った。

「ま・・・良いけどよ」

 気になるのは確かだが、追及する気も時間も、今の馬借には無い。

「じゃ、忘れずに伝えといてくれよな」

 だから、それだけ釘を刺しておいて馬借は彼女へ背を向けると、荷運び中の倉庫の方へと歩いて行く。そんな彼を呆と見送りながらも、尚もアイネはうなじを擦りながら呟いた。

「官・・・公舎。でも、どうして・・・そんな所から?」


「・・・ええ。荷運びを行う冒険者2人、はためく祝旗も見えますから、御覧になった通りでしょう。ただ・・・」

「どうした?」

「いえ。どうやら、勘の良いのがいるようで。しきりにこちらをチラチラと見ています。・・・装備から考えれば、斥候でしょう」

「ふむ。まあ、売り出し中の一党ならば腕の良い斥候の1人はおろう。そう言えば・・・その、ウチの『腕の良い斥候』はどこに?」

「・・・?ああ、ルスタですか。私も、先の作戦以降は把握しておりません。彼のことですから無事ではあるのでしょうし、必要とあれば招集をかけますが」

「いや、いい。それよりも・・・」

「はい、準備は問題ありません。あの冒険者たちへは直ぐに?」

「うむ。・・・・・・ああいや、待て。この時間はまだ、人目を惹きすぎる。もうしばらく後、日暮れまで待つのだ」

「ええ。では、そういたしましょう。・・・・・・・では」

 バタン、と重い扉の閉まる音を背後に、男はじっと、さっきまで部下が見ていた窓の外を見つめていた。

「まさか・・・いや、まさかな」


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