再見のロステッドメモリー

第15話 見えた、有望な『ミライ』

 コツリ、コツリと廊下を歩く音が響く。

 勇者ガンディオ。胸まで伸ばした白髭と腰まで伸ばした白髪をいつも通り揺らしながら早足で歩く彼だったがしかし、その顔に刻まれた皺は明らかに不愉快を前面に押し出していた。特にその顰められた眉間に刻まれた皺は、まるでクレパスを思わせるほど、深い。

 そしてしばらくして、彼は自身の執務室へと辿り着いた。別に、日も沈みかけた時分にもなって片付けなければならない仕事がある訳では無い。彼が用のあるのは部屋に、ではなくその中にいるはずの、1人。

「さて、と」

 手元にある金属片を鍵へと変成させて差し込み、鍵を外してノブを回せば、ガチャリという音が静かな部屋に響く。鍵を魔術で変成させて造り出していることからも分かる通り、この部屋はただの執務室では無い。物理的な鍵は見た通り、それに加え魔導的な備えも存分に仕掛けてある、云わばちょっとした要塞とも呼べるスペースなのだ。

 そして、蝶番が重厚に軋む音の後、ガンディオの目に見えたのは、音も無く作業を続ける家宰、ジン=マだった。その普段と変わらぬ姿にガンディオは少し緊張を解くと「ふう」と大きな溜息を吐いた。

「・・・ジン、か」

「ええ」

 しかし、ジンは話しかけられたにもかかわらず、作業を続ける。普通の主従関係なら、主に呼びかけられて応えも振り向きもしないのは大いなる不忠不敬となるだろうが、彼らについては異なる。

 ジンとガンディオの付き合いは、もうかれこれ5年以上になる。それも魔神王との戦いという剣林矢玉を潜り抜けてきた、戦友だ。互いの求めているモノくらい、目で見ずとも察せなければ戦場では物の役に立つまい。

 そして何より、彼の知るガンディオであれば、どれだけ追い詰められようと決して、「察して欲しい」なんて惰弱は言わないのだ。

「・・・・・・ジン」

「はい」

 阿吽の呼吸、とはこのことだろう。まるで示し合わせたかのようにジンは手にティーポットの乗った盆を持ち、疲れの見えるガンディオの背中へと近づく。

「どうぞ」

 言葉と共に音も無く置かれたティーカップに、撥ねることなく薄茶色の液体が注がれ、そこからふんわりと芳醇な香りが漂う。その匂いに、この部屋に入って初めてガンディオの眉間に刻まれた皺が解れる。

「ほう・・・美味いな」

 新たに封を切った、王からの下賜品である茶葉だ。品質は当然一等級で、それを入れるジンの手順も、時間も一部の狂いなく完璧とあれば、不味くする方が難しい。

「品が良いものですから」

「それに、腕も良い。ジン、お前もどうだ?」

 その言葉にジンは軽く頷くと、そっと正面に腰かける。軽やかで無駄のない動きは、微かに椅子のクッションを軋ませただけ。如何なる貴人の相手として社交の場に出しても、一切恥じることの無い身のこなしだ。

(野育ちが・・・よくもまあ)

 魔神王討伐が終わり、早数年。魔法剣士として勇者ガンディオの両翼を務めていた、『荒野を渡る風』と呼ばれた男が変われば変わるものだと、ガンディオは心の中で感心した風に呟いた。

「それでガンディオ、会議は如何でしたか?」

 しかし、そんな感傷は実務の前に吹き飛ばされる。そういう切り出し方は成程、かつての在り様と全く変わっていない。ガンディオは心を落ち着ける為に自分のカップを一口啜ると、

「埒も無い」

 と、被りを振りながら吐き捨てた。

「価値の低い遺跡如きに、保全の手間は出せんとな。まったく、物の価値の分からん奴らよ」

「しかしガンディオ、あの遺跡は・・・」

「分かっておる」

 ガシャンと、苛立ちを示すかのように荒々しく置かれたカップからは、勢いよく飛沫が零れる。

「だが、儂の思い入れは他にしても、遺跡というのは価値の大小ではない。例え過小と言えども、リスクがある以上はそれに備えねばならんと言うに・・・」

 特に腹立たしいのは出席者の中でもいっとう年若い商工会の代表者だ。

「勇者様ともあろう御方が、どうしてそのようにあたら危険性ばかり言い建てるのです?危険があるからという理由だけで、そうそう気を張っていては終わりがありません。物事の要は投資してまで回収できるリターンがあるか、それが大事なのですよ?」

 いけしゃあしゃあとそう述べる男の顔は青白く覇気も無い、自分から荒れ地を切り開いて結果を出すなぞ、この方したことのないような男だった。

 そして、それを聞いたジンは一見、色が変わったようには見えない。

「それは・・・良く言ったものです」

 しかし、それは飽く迄見た目だけだ。答える言葉遣いこそ変わらないが、そこに潜む殺気は彼が「良い」と言えば直ぐさに殺しに行きそうなほどだ。更に、その男は続けてガンディオを侮蔑するような発言もしたのだが、それはジンには黙っておいた。

 許可が無くとも、流石にそれを聞いて黙っておる男では無いからだ。

「それに、奴の言うことにも一理はある。ただ、その理由づけに危険性の観点が抜け落ちておるだけだ」

 加えて言えば、その危険性を判断する前提条件をガンディオたちの方で秘匿しているのだから、察して動けというのも無理難題に近い。そうガンディオは考えているのだが、ジンは別のようだ。

「しかしガンディオ。そのことと、その男がそう嘯くのとは、別の問題です」

 ジンの思考はシンプルだ。専門の事項は専門家へ、ただそれだけ。そんな彼からすれば、専門家に口を挟むド素人なぞ、阿呆以外の何者でもなかった。

「その若造、一度遺跡に放り込んでみれば如何です?そうすればきっと、『危険性を避けること』の重要性が身に染みることでしょう」

「それでは、そ奴が死ぬだけだ。意味は無い」

 曲がりなりにも代表者なのだ。ならば、その意見は奴1人のものでは無く、組織の意見と見るべきだろう。

「では・・・何か、事件が起こり、それを解決する・・・というのは如何でしょう?」

「悪くない・・・が、その場合の問題は、誰が解決するのか、だな」

「・・・ですね」

 それを解決するのが兵士であれ冒険者であれ、手練れの武士もののふでも軽々に解決出来ないのであればマッチポンプとしては大きすぎるし、『勇者は自分のお膝元すら満足に管理できないのか』と要らぬ差し出口を挟まれかねない。武による実績以外の裏付けのないガンディオの統治にとって、鼎の軽重を問われて良いことなど無いのだ。

 しかし、逆にそこらの木っ端冒険者でも解決できたのならば大山鳴動して鼠一匹で終わり、マッチにすらならない。

「加えて、我々に近い冒険者であれば、誰であれ当然に我々の関与を疑うでしょう」

「うむ。それなりに名が売れていて、且つ我々とは縁遠い人材・・・難しいな」

 しんとなった部屋で、愚鈍とは程遠い両名がうんうんと考え続けて、入れた紅茶が冷たくなる頃。

「・・・む!」

 突然、ガンディオがガバと立ち上がった。

「ガンディオ?若しかして・・・見えたのですか?」

「うむ、頭を走った」

 それは勇者ガンディオの特異技能の1つ、未来視だ。パタパタと窓に歩み寄ると、サッとカーテンを開ける。そこからは遠く、彼が治める都市の入り口の門が見えた。

「うむ・・・間違いない、ここからだ。ここからの光景だった。そこでは2人の男性・・・知らぬ顔だ、それらが積み荷を降ろしておった・・・うむ、護衛だ」

 それは一瞬の白昼夢に近いものだったが、この技能のお陰で数多の危機を乗り越えてきたガンディオだ。その映像は絵画のようにクッキリと、彼の脳内に記憶されていた。

「近くに・・・馬車、か。それに乗って・・・この雑多な装備は民兵ではあるまい。十中八九は、冒険者だろうな」

「それは重畳。護衛をこなすのならば、そこそこ以上は手練れでしょうし、ガンディオが知らない顔ならば、他所から来た冒険者でしょう。あとは・・・『それ』が『いつなのか』ですね」

 未来視は文字通り未来が見えるのだが、それがいつなのかはガンディオにも分からない。数か月後か、数秒後か、はたまた数年後ということもあり得るし、そういうケースは前にもあった。

 しかし、眉間を抑えつつも風景の中にヒントを探していたガンディオは、ある1つの答えを導き出す。

「ジンよ。統一王の誕生日は、いつだったか」

「林月の第15日かと」

 ならば間違いない。彼が見た風景の中ではその門の上に、たなびいていたのは赤一色の祝旗で、それも金の縁取りが使用された祝旗の使用用途はただ1つ。

「うむ。では、準備を急げ。儂が見た風景は恐らく・・・3日後だ」


 ・・・ん?ああ、お前か。

 ふん・・・まったく、まさか本当に戻って来るとはな。あんな言い方をされて尚、ひょこひょこ戻って来るとは、そんなに続きが気になるのか?

 何だと?気にならない方がおかしい?クリフハンガー?・・・何の話だ、まったく。

 知らないのか、だって?俺だって全知全能でもなければ、異世界からの来訪者でも無いんだ。知らない単語だって、まあ、あるさ。

 まあいい。いつまでそこに突っ立ってる心算だ、座れよ。体が無いのは知ってるが、気分の問題だ。ああ、良し。それでいい。

 さて・・・どこから話そうか・・・そうだな、あそこが良いか。

 ん?ああ、あの続きじゃない。悪いが、ある程度は端折らせてもらう。盛り上がりも何もない日常を延々と聞きたいのなら別だが・・・何?それでも良い?

 ・・・駄目だ。お前が良くても俺が嫌だ。嫌なら帰れ。

 ・・・・・・帰らないな。OK、じゃあいくぞ。これは・・・そうだな、題するならこうだ。ズバリ、『再会の話』だ。


 何だと、ダサいだと?煩い、黙って聞け。


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