第11話 勝ちの薄い、賭けの『カチ』
「・・・う・・・・う、く」
永遠とも思えるような白色の時間。ようやく現世に帰ってきたヒューの耳に届いて来たのは、パラパラという屑が零れるような音だった。
「何・・・が?」
ぼんやりとした意識を戻すべく、大きくかぶりを振って頭に刺激を与える。
(そうだ、確か・・・・・・っ!)
敵。その1文字を思い出したヒューは急いで体を検める。両手両足胴体にズキズキと痛みは走るが、動作には問題無し。頭と耳もクラクラとはするが、幸いにも大きな怪我は無い様子だ。
そして、あの衝撃の中でもしっかと大斧を手放さなかった自分を褒めつつ、
「おい、大丈夫か!?」
そう呼びかけるも、応える者はいなかった。もうもうと舞う埃煙の中から聞こえるのは敵の攻撃の凄まじさを物語る、前室の壁や柱が砕け、軋む音だけ。
否、応え得る存在が1人いた。
「あらあら、以外に頑丈なのね」
そう、敵である魔神官。攻撃をした当人が無事でないという理屈は無いし、ヒューが無事でソイツがやられていてはギャグもいいところだ。
「お褒めに預かり恐悦至極・・・とでも言えば満足かコノヤロー」
「そちらも、よく口が回るようでお見事ですね・・・とでも評してあげましょうか?」
「要らんよ、嬉しくも無い・・・で、だ。アイツらはどこだ!?」
「後ろで寝ているのが、そうでは無くて?」
その言葉に、漸く働きだした頭にハッと思い出されたのはあの瞬間、ヒューを押し退けて前に出たアイネの姿。
「ケッ、悪趣味が」
されども、敵を目の前にして振り向く訳にはいかない。気持ちと理性のせめぎ合いで苦々しく歪む表情は、このヴァンパイアにはさぞかしご馳走だろう。
「誤解しないで。私はサヂストでは無いわ」
「頭を読むな」
「分かり易いのよ、貴方。でも・・・良いわよ、振り向いても。貴方如き相手に不意打ちなんて、そんな無様な真似はしないから」
本当か?と少し頭を悩ますが、考えてみればコイツが初めからその心算なら、彼が衝撃波に耐えている中を攻撃していたはずだ。ええいままよ、と振り向いて、
「!?」
ヒューは、愕然と目を見開いた。しかし、いくら見開こうとそこに映る光景に変わりは訪れない。現実は非常である。
「アイネ!ロウト!ルーサ!」
呼びかけるも、返事は無い。
ルーサとロウトは折り重なるようにして壁際に倒れており、恐らくはロウトが咄嗟に抱え込んで彼女を守ったのだろう。衝突のものと思われる壁に刻まれたひび割れから、その衝撃のほどが伺える。
そして、アイネだ。一番その衝撃波をモロに受けただろう彼女だが、その位置が丁度真正面だったことが幸いしたようだ。彼女の受けるはずの衝撃波の半分ほどが通路の方へ抜けたため、本来なら肉塊に成り果てていてもおかしく無かった彼女は一応、無事に見える。
だが、見えるだけだ。通路の件で運を使い果たしたか、うつ伏せのまま大小の瓦礫に埋もれており、目に見えるのは上半身と右腕のみ。振り乱された髪のせいでこちらからは表情すら伺えず、状態としては一番悪い。
「クソが」
反応が無い以上、皆が無事かどうかは分からず、矢も楯も無く走り寄りたいところだが・・・。
「ふふ・・・良い、良いわ」
恍惚とした表情でヒューを眺めるこの外道が、流石にそこまでは許してはくれまい。
(何がサヂストじゃあ無い、だ。クソが)
もっとも、ヴァンパイアだか魔神官だかではこれが普通なのだろうか?ふざけやがって。
そんなヒューの考えを知ってか知らずか。魔神官は急に居住まいを正すと、
「ねえ、
そう、裏町の商売女のように笑いながら持ちかけてきた。
「遊戯う?」
「ええ。ルールは簡単、私に貴方が1カ所でも傷を付けられたら、私の負け。逆に、ダウンするか死んでしまったら貴方の負け。どう?」
蠱惑的に小首を傾げてそんな提案をしてくる魔神官に、ヒューの脳内には警告音が鳴り響く。このサヂズトの提案する遊戯だ、どう考えてもまともな勝負なはずが無い。
「貴方が勝てば・・・そうね、儀式を行う前に、貴方たちだけは逃がしてあげる。お土産にガーゴイルの触媒もあげるわ」
「オレが負けたら?」
「生贄」
単純な答えに、ゾッと怖気が走った。間違い無く、何かある。しかし、だからと言って他に皆で生き残る手段があるかと言えば・・・・・・無い。
「・・・1つ聞きたい、その儀式ってなあ、何だ?オレたちを逃がしてまで遂行して、一体何の得がある」
「そうねえ・・・良いわ、教えてあげる。この儀式で私は・・・・・・そう、魔神王に成るの」
「・・・・・・・・・はあ?」
初めは、その言っている意味が分からなかった。
魔神王に成る、とは?そもそも、成ろうと思うだけで成れるものなのか?
そんな疑問が、頭の中をグルグルと出口を探してさ迷いだす。
「どういう・・・ことだ?」
「魔神王は単なる称号じゃないの。闇を従え、魔を平伏させ、聖を誅するほどの魔力を有する存在、それを皆は『魔神王』と言うの」
「・・・つまり、人間の王侯と違って誰かを従えていった結果王に成るのではなく、膨大な魔力を有する存在に魔性のモノは従う、と。そういうことか?」
「そうね・・・大枠では、その通りよ」
順序が逆な気がするが、人間の常識は魔性の非常識だ。なら、その逆パターンがあってもおかしくは無い。
「そこまで言えば、貴方にも分かるでしょう?貴方が勝っても良い訳が」
「成程な」
つまり、ヒューが勝ち逃げ延びたとするならば、当然ヒューたちは「魔神王が生まれた」ことを報告するだろう。そして、それは当然に人間にだけで無く、人語を介する魔物にも伝わる。
「・・・畜生め、オレたちを体の良いメッセンジャーボーイにでもする気かよ」
「良いでしょう、別に。貴方に損は無いのだから」
確かに、忌々しいがこの魔神官の言う通りだ。それに、仮にこの女がその心算なら、万が一ヒューが勝っても横紙破りはよもやするまい。
なら、賭けに出る価値はある。そうヒューは判断した。
「・・・いいだろう。詳しく聞かせろ」
「素直は良いことよ。・・・怯えなくていいわ、私は手を出さないから」
「本当か?」
「本当よ。だって、私が本気になったら遊戯にならないもの。そう、私はここを動かない。けれど・・・」
そう言って、魔神官はもぞもぞと内懐をまさぐると何かを取り出し、それを床へとまき散らした。すると、そのまき散らされた所からシュルシュルと煙が立ち上る。
「この子たちが、貴方の相手よ」
そしてたちまちの内に、広間にはガーゴイルが4体。どれもこれも爪を尖らせ牙を活からせ、殺意と戦意に満ち満ちていた。
「こいつらを全員倒せ、と」
「倒さなくても良いのよ。貴方はただ、私に傷を付ければいいだけ」
そう言われても、無視して突貫しても包囲され返り討ちに合うだけだ。なら結局、1体ずつ倒していくしか道は無い。
(・・・っても、ルーサの魔術も、ロウトの怪力も、アイネのサポートも無し、か)
正直なところ、1体を相手にすることすら今の満身創痍に近いコンディションには荷がかち過ぎる。だが、
「リーダーらしく、か」
そうとも、オレはリーダーなのだ。ならどんなに薄い勝ち目でも、どんなに遠い道のりだろうと、仲間を救う為ならば挑戦しないという選択肢は無い。
「1つ、確認だ。生贄ってのはオレだけか?」
「そんな決定権、貴方にあるとでも?」
「そうだな。良く分かった」
そうだ、あーだこーだと考えるのは、オレのキャラじゃ無い。キッと忌々しい魔神官を睨みつけると、大斧を大きく振り回す。これが出来るんだから、少なくとも体は問題無い。
「決まったかしら?」
対するは、魔神官が従えし4体のガーゴイル。それを叩き伏せ、魔神官に一撃を与えるだけ。言うだけなら単純だが・・・そうとも、やることはそれくらい単純な方が、単純なオレには丁度いい。
肺腑の空気を全て吐き出すように息を吐きつくし、自分の中にある怯懦を弾きだす。
「いいだろう、やってやるぜその遊戯!」
「・・・・・・・・・本当、馬鹿なニンゲン」
「・・・・・・・・・・う」
気が付けば、自分は冷たい床の上にいた。ザラリとした感触と土埃の臭いを先ず目覚めた触覚と嗅覚が捉え、次いでぼんやりとしていた視覚が次第に焦点を合わせ始め、
「っつ!」
背中に感じる鈍痛に、アイネは小さな悲鳴を上げた。
(うう・・・・・・た・・・し、か)
皮肉にもその刺激で、意識がフラッシュバックのように蘇る。魔神官のあの動き、それが衝撃波を出す予備動作と分かった瞬間だ。自分に出来るとはとても思えない素早さで、この身は動いていた。
その後の事は覚えていない。が、背中の痛みと臥せっている体勢から大凡の予想はつく。恐らくその勢いで吹き飛ばされ、そして壁かどこかにぶつかって、そしてそのまま気を失ったのだろう。
(なら・・・皆は!?)
目を巡らせれば、倒れ伏すロウトとルーサの姿が見えた。血が流れている様には見えないから、きっと無事なんだろうが、自分と異なり動く気配は無い。
「ふん!」
と、ようやくそこで、剣戟音が鳴り響いていることに気が付いた。
(誰かが、戦って・・・)
いや、残っているのはただ1人しかいない。そっと、首を動かさぬよう気を付けて、キョロリと目玉だけを動かして様子を探ってみれば、思った通り。戦っていたのは彼女たちのリーダー、ヒューだ。
「せい!」
ブンと振り回される大斧の一撃は、されど空しく空を切る。当たり前だ、3体ものガーゴイルに囲まれての同時攻撃。いなし続けるだけでも大したものなのに、その中で反撃を続ける彼の労力は並大抵では無い。
だが、しかし。
(・・・上手い!)
再度、とばかりに大きく振りかぶる、そう見える動き。だからガーゴイルの1体がその振り抜いた隙を狙うべく、その後ろにつけた。その瞬間、
「ガ!?」
スルリと刃を返し、振りかぶったままの勢いでそのガーゴイルへと大斧を叩き込む。予期せぬ攻撃に構えすら取れなかったソレは刃を顔面に受け、そのまま塵と消えた。
だが、それでも未だ2対1。
(助け、に!?)
その時、アイネがそのまま走り出せなかったのは、体に積もる瓦礫のせい・・・では無い。
(あ・・・・れ・・・?)
助けに行かなくては。そう考えた途端にビクン、と背筋に電流のような感覚が流れた。自然と指先がわななくわななく、ブルブルと震えだす。
怖い、怖い、怖い、怖い。理屈なんて無い。ただ、怖い。
『自分が剣を取って加勢しても、意味なんかあるのか?』
『むしろ迷惑では無いか?』
『そっと抜け出して他の仲間を介抱しに行く方が良いのではないか?』
そんな迷いがグルグルと頭の中を駆け巡る。いや、それよりも。
『このまま死んだふりをしていれば、見過ごされるのでは?』
その理屈はとても魅力的で、とても心地よくて、飛び込みたくなるほどに甘美で。
『ヒューも、倒れ伏すルーサとロウトも皆、昨日会ったばかりの人たちだ。救わなかったところでなんになる』
『自分は役立たずの惰弱者。助けるどころか足手まといだ』
『恐ろしいことに挑戦せず、生き延びてきたのが自分だろう。今更格好つけてどうする?』
『助けたい、助けたいと思って、それで救えた命がこれまであったか?動けたことが、果たしてあったか?』
ベタリベタリと足元に纏わりつくように、体を雁字搦めに縛り付けるように、それでいてまるで温かく包み込むように。
『そうとも、仲間なぞ持ってもいつかは失うだけだ。ならばここで、縁の深くなる前に失っておく方が、心への傷は浅い』
『そうして、これからも今までと同じように。独りで出来る事を淡々と、ただ粛々とこなせばいい。今までそうだったのだから、これからもそうで悪い筈が無い』
いつしか、それは人の形となり、そっと自分へと手を差し伸べる。
それを掴み、抱きしめることが出来たなら、それはどれほど心地よいものだろう。それは、どれほどまでに自分を慰めてくれるだろう。
(でも・・・でも・・・)
何故だろう?怯える心はそれにむしゃぶりつきたいと渇望するのに、どこかで何かがそれを押し止める。
『どうした?お前は村を追い出された無駄飯ぐらいの役立たずだ。生きて生きて、怖いことからは逃れて、ニンゲンらしく生を全うするのが何故いけない?』
それは再び、ドロリとした一塊になった。そのままにじり寄ってそれは自分をドプリドプリと呑み込んで、包み込んで―
(・・・嫌だ!!)
―それを、私の心は撥ね退ける。利益も、理由も、損得も無い。ただ、弱い心のホンの真ん中、そこにある感情が叫ぶのだ、『嫌だ』と。
そうだ、私は弱い。助けられるような『力』があるなんて、言えない。だけど、
(嫌だ!嫌だ!嫌だ!嫌だ!)
目の前で窮地にある命、逃げずに戦う仲間を見捨てて逃げる。それだけは『嫌だ』と心が叫ぶ。今更なんだと笑わば笑え、もう二度と『仲間を失うことは御免だ』と。
「う・・・く!」
ズキリと痛む体を無視して、目の前に転がる愛用の剣へと手を伸ばす。何故がついさっきまでは見えなかったそれへ、じわりじわりと尺取り虫の歩みのようにゆっくりと、しかし確実に。
わななく震える指も、カチカチと音を鳴らす奥歯も、その手を伸ばすという決心を押し留めることは出来ない。そうして、いつしか左手はしっかと柄を握り込んでいた。
(あとは・・・皆を救うような、『力』があれば・・・)
そうだ、今ほどに自分の非力が恨めしく思う時は無かった。世界を救う、なんて言わない。せめて目の前で戦う仲間を救えるくらいの『力』が・・・。
<力が、欲しいか>
頭の中に、声が響いた。
「え・・・?」
<口に出さずとも良い。それより汝、力が欲しいか?>
言われた通り「はい」と頭の中で思う。
<そうか。それは何の為だ?誰の為だ?>
何の為?それは今戦っている仲間を助ける為に。助けるまではいかずとも、一緒にあの人と戦えるように。
<左様か。しかしよ、アイネ。本当にそれで良いのか?助けたとして、それを見て汝を評する者は誰もおらぬぞ>
誰も、という響きにアイネは言い様も無い冷たさを感じた。しかしその声は極めて淡々と言葉を紡ぐ。
<彼の者はおろうが、たった1人の証言なぞ軽いものだ。このままではアイネ、汝の評価は愚図の駄目冒険者から変わらずぞ>
そして、その紡がれる言葉は一端の真実を表していた。
<・・・してアイネ、汝に1つ提案がある。汝は察知出来ぬであろうが、今まさに捜索隊が踏み込もうとしておる>
それが何だと言うのだろう。
<そ奴らが来るまで待つのだ、アイネ。さすれば、そ奴らが汝の力を、私が与えた力を見る。そすれば儂と、汝の冒険者としての評価も鰻上りに・・・>
ならば、要らない。私はその言葉を最後まで聞くまでも無くバッサリと切り捨てた。
<ほう?私からの力が要らぬ、と>
そうだ。私は、今、ヒューを助けたいのだ。皆を救いたいのだ。助けられず救えず、力だけを与えられて他の誰かから評価されても嬉しく無い。それなら、力なんて無くても今すぐ行くから。
<だから、放っておいて!>
<・・・ふ、ふふふふ・・・はっはっはっは!>
アイネが心中で断言した途端、冷徹な声音は爆発したような笑い声に変わった。
<え?え?え?>
<良いぞ、良い、それでこそ、よ!損得で無し、礼賛で無し、ただ救うが為にこそ『力』を振るうのが、汝だったからな!>
何故だか、さっきまでとはうって変わって快活な声で、それこそ手を叩いて喜ぶが如き様相で。そのあまりの変わりように呆気に取られた私は飛び出す事も忘れ、しばし惚けていた。
兎に角、その力とやらは貰えるのだろうか?
<ああ!と言いたいんだがな。『力』であれば、汝には既に与えられている。ただ・・・そう、それに足ると見なされておらんだけだ>
<・・・はい?>
<まったく、厄介な・・・まあいい。私の声が聞こえたということは、己が依って立つ基を見定めたと言うこと。だから私もそこへ干渉出来る>
「痛!」
パキンと音がして胸の辺りに痛みが走ったかと思うと、剣を持つ左手が燃えるように熱い。
<私の存在と、汝の眠りし本望を以て、その道標の代わりとする。永続とはいかぬし、アンチキショウに奪われた『力』の八半分程にしかならんがな。まあ、あの化物退治くらいになら十分だろうさ>
剣の熱と、胸の痛みが同化する。熱いし、痛い、しかし、不思議と不快ではない。
<さあ呆としている暇は無いぞ。立ち上がり、剣を構え、汝が本懐を告げるが良い、!>
「っはあ!」
吸っても吐いても一向に追い付かず、ガンガンと痛みが頭や肺腑を駆け巡る。しかし、それに意識を持って行かれる訳にはいかない。
「グウ!」
間一髪、横殴りの一撃をヒューは頭を反らして躱す。その勢いでビッショリと汗で濡れた頭髪から放水のように汗が飛び、同時に顔まで滴る気持ち悪さに思わず顔を顰めた。
あと残るは2体。しかし開幕奇襲と不意打ちで仲間が倒されたからか、そのガーゴイルたちは慎重に、それでいて間断なき攻めを繰り出す。一気呵成の攻めで無い代わりにこちらから攻め入る隙も無く、このまま続けられるほどの体力は残されていない。
「あらあら、大変そうね」
その2体の後にいる魔神官は、公正のつもりか手出しはせずリラックスして眺めるのみ。しかし彼女に一太刀入れなければ、いくらガーゴイルを倒そうとこの遊戯に勝ったことにはならないのだ。
(仲間のこともある、時間はかけてられんか)
一か八か。勝負をかけるべく、ヒューは両脚に力を入れ直す。まず狙うは自分からは遠い、翼で自分を守る1体だ。
「で、えやあああああああ!」
振り絞った力で一気に踏み込むと大きく、振り上げた大斧を丁度その前に覆った翼に当たるよう、振り下ろす。
「グ、グ」
そして、そのガーゴイルは翼を開き、ひらりと退がって躱した。大斧は「残念でした」と言わんばかりに舌を出す、小憎たらしいそいつの顔の前を空しく通り過ぎる・・・はずだった。
「つらあ!」
しかし、その動きこそ期待した通りの動き。そしてヒューの大斧はハルバードを模したものだ。即ち、
「伊達にこんな形してる訳じゃ無えんだ!」
斧の先にある、丁度槍の穂先のようなパーツは鋭く研がれ、その用に足る。ヒューはあらん限りの力を込めて振り下ろすのを途中で止めると、そのままガーゴイルの喉元へとその切っ先をぶち込んだ。
「ガガ!?」
狙い通りその切っ先は、ガーゴイルの喉元へと突き刺さる。驚愕に歪む顔、口から血反吐が出ないのが大きく顔を近づけたヒューからすれば有り難かった。
「グ!」
「読めてんだよ!」
そして、突き刺さった大斧をそのままにパッと手を放すと、そのままスルリとそいつの背後に回って思い切りその背中を蹴りつけた。当然、ヒューの蹴りくらいで石の化け物が砕けるはずはない。
「ガ!?」
彼の狙いは、その後ろ。蹴りつけられた勢いに従って後ろに伸びた大斧の石突が、挟撃を企図して攻めて来たもう1体の腹の辺りにぶち当たる。
「そい!」
蹴りという渾身の力で突き付けられた石突は、そのままガーゴイルの腹を突き破った。そして、同時に喉物に突き刺さっていた穂先は更に突き入れられて、そのまま延髄を突き破る。
「ゲバ!?」
その悲鳴は、果たしてどちらのガーゴイルから発せられたものだろうか。その2体のガーゴイルたちはほぼ同時に崩れ落ち、大斧はガランと派手な音を立てて床に落ちた。
「やったか」
ただその代償か、衝撃で穂先は根元から折れてしまった。が、命を思えば安い犠牲だ。
「はあっ・・・はあっ・・・どうだ、コノヤロー!」
「ええ、見事ね。もっとも・・・最後のは結構卑怯だと思うけれど」
「卑怯も糞もあるか。4対1だぞこっちは」
疲れ果てているせいか、言葉使いも端的で荒々しい。もう1歩も動かずせめて座り込みたいと主張する体を彼は最後の根性で押し留めると、酸欠で震える腕で大斧を拾い上げた。
「はあ、はあ。さあ・・・あとはお前の番だ!」
棒のようになった足を一歩一歩動かして前へと動かす。グッと割れんばかりに奥歯を噛み締め、ギュッと握った拳はフルフルと震える。
だが、もう少しだ。この大斧であのそっ首を叩き落として、それでこの遊戯とやらもお終い。その一心のみで歩を進め、魔神官まであと数歩の距離まで迫る。
「あらあら。私を見つめてくれるのは嬉しいけれど・・・後ろは良いの?」
「あ!?」
と、果たして発することは出来ていただろうか。不意に背後から与えられた衝撃に、限界だった両足は踏ん張ることなど出来ず、ヒューの体は大きくふっ飛ばされる。
何とか受け身をと願って前に出した両腕が支えとなって、幸いにも床と接吻をかますことからは避けられたが、そのまま支えきる力は残っていない。
「がは!」
気付けばヒューは、壁へとぶつかっていた。ゴロゴロと転がったらしい体は土埃で一杯で、かき回された三半規管はクラクラと視界を回す。
「う・・・う・・・」
虹色に光る視界がようやく収まった時、彼を見下ろしていたのはニタニタと下卑に笑う2体のガーゴイルだった。
「・・・ひ、卑怯な」
その言葉に、ガーゴイルの背後にいる魔神官は不服そうに口を歪める。
「酷い言いようね。私は1度も、ガーゴイルを4体倒せ、なんて言っていないわよ?」
「ああ?ああ、そうだ、確かに」
そうだ。そう言えばコイツは『私に傷を付ければいい』とは言っていた、それに『ガーゴイルを全員倒す』と言ったオレの言葉は否定した。否定はしたが、
「何と言うか・・・卑劣だな」
「魔神官に卑怯は褒め言葉、と言いたいけれど・・・今回の場合は、貴方が単純に迂闊だっただけよ」
迂闊、と言われればそうかもしれない。やることを単純に考えすぎて、相手がつくようなルールの隙間にまで思いが至らなかったのだから。
「分かったよ、降参だ」
だから、ヒューは清々しい気分で降参を告げた。疲労で両手を上げることが出来ないのが悔やまれる。
「あら?悔しく無さそうね」
「悔しいさ。だが、己の不注意の責任を他人に押し付けるほど、腐っちゃいないんでね」
唯一の心残りは、仲間の行く末だ。今思い返せば、『生贄』についてもコイツは言葉を濁していたか。
(そろそろ、ロウトの奴あたりは目が覚めても良いもんだがな)
この状況を見れば、流石のアイツも聖職者だからとか言って挑みかかる真似はしないだろう。アイネとルーサの軽そうな女性2人くらいなら、担いで帰ることもあの筋肉ならお茶の子さいさいのはずだ。
「やれやれだ」
こういった、誰かの為に犠牲になるのを求められるのが嫌で家を飛び出した、結果がコレか。だが、それが例え出会って数日の仲間だとしても、その為ならばこれでも良いかと思ってしまう。
「・・・ふっ」
「何よ、いきなり笑いだして。素晴らしい反撃の手段でも思いついたとでも?」
「いや、そんなモンは無い。ただ何となく、可笑しくてな」
不思議そうに首を傾げる魔神官には、それを言っても理解出来まい。第一、男のロマンを理解してもらおうとも思わない。
「さあ、もういいだろう。・・・・・・殺れよ、一思いに」
だからせめて、不敵に笑って退場しよう。そう思ったオレは表情を整え、キッと魔神官を睨みつけた・・・のだが。
「おい・・・どこ見てんだ?」
何故か、魔神官もガーゴイルも彼には目もくれず、丁度反対の方向を見つめているではないか。
「おい!・・・おい!・・・何だよ、ったく」
折角の格好つけを無視されて、悪態をつきながらも奴らが見ている方へと視線を向けた彼は、
「・・・おい」
唖然。そこに、信じられないモノを見た。
「おい・・・馬鹿野郎が!」
そんな汚い言葉が出るのも無理は無い。さっきまで瓦礫の下に埋もれていた仲間が、1番死んだふりでもしていて欲しいと思った仲間が、仁王立ちしていたのだから。
「あらあら、大人しく寝ていれば見逃してあげたのに」
まったくだ。その言葉が本当かは兎も角、それが彼女からしてみれば一番生存の可能性が高い振る舞いのはずなのに、立った。
「でも、起きてしまったなら仕方ないわね。さあお嬢さん、貴女も遊戯、する?」
意外そうに。それでいて余裕の姿勢を崩さずに、魔神官はそう嘯く。絶対に負けないという不遜とも言える実力差が、そう振る舞う権利を与えているのだ。
駄目だ、駄目だ、駄目だ。ホーンファルケにすら勝てないアイネが、この性悪に勝てるわけが無い。
そう思った途端、ヒューは喉が枯れんばかりに叫んでいた。
「や、止めろ――――――――!」
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