第7話 解け、深まる『ギネン』

「では魔神官殿。お望みの品、納品完了させて頂きました」

 そう述べてさっと恭しく礼をする、長髪を一纏めにした無精髭の冒険者に報告を受けた魔神官とやらが向ける視線が語るは不審、それを極めていた。が、幸運にも目深に被った頭巾の御蔭で、冒険者にそれは届かないでいた。

 もっとも、丁寧だがどこか鼻につく慇懃無礼な態度と台詞のこの男に、それが届いたところでどれほど堪えるかは怪しい。自らは「ただの使い走り」と自称する男だが、そんな訳はあるまいと内心魔神官は疑っていた。

「・・・・・・そう」

「おおっと、これは失礼を。亡き魔神王が任命した魔神官で存命なのは、最早貴女独りでありますから・・・魔神官長殿とお呼びするべきでしたか?」

「・・・どっちでも良いわ、そんなの」

 不愉快と言わんばかりに、魔神官は頭巾の下に隠した柳眉を顰めて眉間にしわを寄せる。

「生憎と、私は前任者や同輩が死に絶えたおかげで得た地位は喜ばないの。ニンゲン風情と違ってね。それに・・・」

「それに?」

「何でも無いわ。それより・・・予定していた人数より何人か、足りないようだけど?」

「これは失礼、報告は来ておりませんでしたか?」

 大げさに肩を竦めるその仕草に、眉間の皺は増々深く刻まれる。そして吐き出す言葉には一聴して明らかな険が混じる、否、険しか無い。

「貴方以外に報告出来る人がいて?・・・・・・で?」

 仮に言葉に形があるのなら、刺されて死んでいる。その時の魔神官のそれはそれほどに鋭く、冷たいものだった。

「ではご説明を。数人逃げ出しました、それだけです」

 そして、その険に晒されて尚そういけしゃあしゃあと述べられるこの男が、ただの使い走りであるものか。

「ぼんくらばかり。そう言って無かった?」

「そのはずでしたが、得てして予想は外れるものです。逃げ出したのは・・・記憶が正しければ、男戦士1、女剣士1、男僧侶1、女魔術師1かと」

「女・・・・・・」

 女剣士。その単語に、思わず柳眉がピクリと動く。

「・・・どうかされましたか?」

「・・・・・・・・・何でも無いわ。それで?不足は無いのね?」

「はい。捕らえた連中に予想より魔術師の類が多かった御蔭で、取り敢えず規定の数値は達成出来そうです」

「へえ・・・その割には、コボルトどもの姿が見えないようね」

 カン、と見えぬ感情を吐露するように、石造りの床を杖で打つ音は大きく響いた。

「ええ。足ると分かったのは、彼らを追捕に出してからでしたので。・・・余計でしたか?」

「調達について貴方に任せたのは私だから、文句は無いわ。けれど、先だっての報告は欲しかったわね。アレは飽く迄、私の手勢なのだから」

「はは、申し訳ありません」

 恭しく首を垂れる冒険者だが、魔神官はもはやそれを見ようともしない。

「まあ良いわ。若し首尾よく連れて来られたら、そいつらも贄に加えて。多くて困ることは無いから」

「御意」

「それと・・・魂を抽出した後の出涸らしの処分は任せるから、その心算で。行って」

「は。では」

 カツンと踵を鳴らし、敬礼してそう告げるとそのまま回れ右してスラリスラリと、まるで猫のように足音を殺して冒険者は立ち去った。

「・・・・・・もう、少し」

 キュッと、手に持つ杖を指が白くなるまで握りしめて。魔神官は呟く。

 そう、あんな胡散臭い人間の冒険者を使嗾せざるを得ないのも、使える手勢が自身の召喚するガーゴイル以外はコボルト風情しかいないのも。

「もう少しの我慢よ、私。新たな魔神王がこの世に甦る一大ページェント、それまでは、もう・・・」


「ほほう、良き天候にて」

 そうロウトがのんびりと言うように、空は雲一つ無い快晴だ。そよそよと草を薙ぐ風も心地よく、外を歩くにはこれ以上ない空模様だ。

「わ、私は少し・・・日差しが」

「おや、お嬢は肌が弱う御座いましたか?」

「と、言う程でも無いのですけれど、その」

 そして、そう言いつつも歩調はしっかりと、かつ周囲を伺いつつ隣を歩くアイネは少し上気した肌を赤らめつつ「ふう」と小さく息を吐いた。

「こ、こんなに遠出したことは、その、無かったもので」

「その割にゃ、よく足が持つもんだ」

 ポリポリと癖なのだろう、頭を掻きつつ2人の後に続いて歩くヒューが茶々を入れる。その隣にはルーサが居るが、

「・・・ねえ、ワタクシは・・・気遣ってくれません、の?」

 息も荒く額に汗し、フウと吐く息も深い。

「そんな暑っ苦しい格好してっからだろ?脱げよ」

「これは・・・ワタクシの・・・アイデンティティ、ですわ!」

 しかし、そう言いつつもフードを外し前を開け放っていることから、やはり黒い紗のローブで炎天下を歩くのは辛いものがあるのだろう。もっとも、歩くペース自体が遅れる事が無いのは流石冒険者、と言ったところか。

 そして、そこにはもう1匹。

「で、だゲ・ベ。その根拠地ってのは、まだか?」

 そう、先の戦で虜囚となったコボルトのリーダー格、ゲ・ベだ。初めは知っていることだけ聞いて殺してしまおうという話だったが、「親玉の所まで案内するから命だけは」と平身低頭し懇願するので連れてきた次第だ。

「さあテ・・・どうだっタか?」

「ロウト、回していいぞ。10回くらい」

「い、いエ!あと半分くらイでス。はイ!」

 無論、彼らとてゲ・ベに全幅の信用を寄せる訳にはいかない。何せ、寝首を掻くくらいはやってのけるのがモンスターのモンスターたる所以だ。

 さりとて、運ぶ監車など有りはしない。なので、さあどうしたもんかと全員で頭を悩ませた、その結果。

「あ、あの!ロウトさんの、その棒に縛り付けて運べば・・・」

「「それだ!」」

「・・・それだ、じゃあ無いと思いますわよ」

 残念ながら、そんなルーサの常識的な発言は届かず。哀れゲ・ベは罪人の如く磔にあった挙句、首印の如く高らかに掲げられて今に至るのである。そして、先の反応から察するに反抗的な態度の結果グルグルと回される目に幾度と無く遭わされたのはまあ、間違い無かろう。

「と、ところデ!本当ニ場所まデ案内したラ、逃がしテくれるンだろうナ!?」

「ゲ・ベ殿・・・これでも拙僧は一廉の僧侶にて。言葉を違う真似なぞする訳が無かろう?」

「そ、そうカ!」

 そして、昨夜その僧侶の身から追い出されたと言ったばかりの大男は、一体どの口でそんな誓約を口にするのか。

「まったく・・・ありゃ僧侶ってより詐欺師の方が似合うんじゃねえか?」

「同意したアナタが言うことでは無くてよ」

 そんな2人の会話を聞きつつ、アイネは頭上から時折注がれるゲ・ベからの助けを求めるような視線に苦笑しか出来無かった。

 なにせ、彼を襲うこの状況の発端は間違い無く、彼女の発言なのだから。


「ところでお嬢。昨夜の話ですがな」

「何です?」

「ナニ、昨夜何故冒険者をしておられるかを伺いましたな?そのことで」

「それは・・・」

 言ったはずでは?という疑問を口にし終える前にロウトが差し込んだ「本当にそれだけで?」という爆弾発言に、アイネは「ひ!?」と小さく肩を震わせた。

「確かに・・・お嬢の仰る通り、生計たつきの為に冒険者となられたのは、間違い無いとして。その理由だけで2年も続けられるとは思いませんでな」

「ふうん、オッサンも気付いてたか」

 その発言から察するに、どうやらヒューも感づいてはいたらしい。

「でしたかしら?アナタの放言で吹き飛んでしまってましたわ」

 尚、そのヒューの放言とは、動機をについての「モテる為」という一言である。アイネへだけで無く皆にも自信満々にそう言ったということは、少なくともその俗物的な理由が彼にとっては一大事なのではあるのだろう。

 尤も、それに対して白眼視するのもまた、他者の自由ではある。実際、された。

「で・・・なにかありまするかな、お嬢?」

 物腰と言葉遣いは丁寧ではあるものの、声に含まれる重圧感は仲間内の語り合いと言うには重々しすぎる。個人的に言い難い話ではあるし、第一自分でも良く分かっていない話であるのだが、

(・・・これは、言わないと・・・・・・・・・駄目、ですね)

 流石のアイネでも、逃げられない雰囲気、というものは分かる。だから、スウと大きく息を吸って乏しい胸部を上下させると意を決し、シャンと背を伸ばす。

「えと・・・その・・・わ、笑わないで、下さい、ね?」

「笑うなぞ。仲間の語る事を馬鹿にすることがありましょうや」

「・・・へえ。では、ワタクシへのアレはどういうことですの?」

「ありゃ馬鹿にしてんじゃねえ。本気でそう思ってんだ」

 再度、仲間内で武力衝突が起こりそうなやり取りに「わ、分かりまし、た」と呟いたアイネはどこかバツの悪そうな顔で呟くように口を開く。

「私は、その、何で冒険者になったかは、確かにその・・・それしかなかったから、ですが・・・」

「・・・が?」

「はい。で、あと、その・・・」

 言って良いか。この期に及んで逡巡するように口が重くなるが、それを振り払うようにしてアイネは次の言の葉を紡ぎ出す。

「私には、ええと、記憶が無いんです」

「ほう、記憶が」

「え、ええ。と、と言うより、その。確かにむ、村を出されたとか苛めらえたとか親を亡くしたとか、そ、そう言うのは憶えてるんですけ、ど。その、実感、と言うんでしょうか?それが、その、何も無くて」

 たどたどしく紡がれる言葉を、ゲ・ベも含めた全員が静かに待つ。普段なら茶々を入れそうなロウトもヒューも、おふざけどころか一言も口を開かない。

「で、でも、その・・・薬草みたいな素材と、か、モンスターなんかについては、その、何故か詳しくて、です、ね。ええと・・・おかしいですか?」

 ポツリポツリと語られたアイネの言葉に初めに口を開いたのは、珍しいことにルーサだった。

「ええ。おかしい・・・と、言うより珍しい話ですわね」

 それも、いやに真剣な面持ちで。

「そうなのか?」

 ええ、と学術的な話になるからか、ルーサも珍しく素直に答える。

「記憶阻害や記憶喪失に陥らせる魔術や病気は、あるにはあります。けれど、それに陥った場合、記憶は全くの白紙となるケースが殆どですの。勿論、偽りの記憶を押し付けるような魔術も無い訳ではありませんけれど・・・普通はしませんし、出来ませんわ」

「ほう。何故に?」

 顎髭を擦りつつ追及の矛先をルーサへと向け直したロウトに対し、彼女は「簡単ですわ」とまるで教鞭を執るかのように発言を続けた。

「無理やりに記憶を押し付けるくらいなら、綺麗さっぱり消してしまう方が手間がかかりませんもの」

 竹を割るように、そうきっぱりとルーサは言い切った。

 彼女の言うところによれば、記憶に係る魔術は頭の中にある器官へ介入することで行われるらしい。そして、その器官を真っ白にしてしまうこと自体は下法であり外法であるものの、不可能では無いとのことである。

「しかし、そこに『新たな記憶を押し付ける』となれば話は変わってきますの」

 言うなればそれは、誰かが途中まで書いたカンバスに全く別の絵を描くような代物で、余程上手くやらねば定着するようなものでは無いのだとか。

「しかもですわ。アナタの場合はモンスターなんかに詳しい理由は、分からないのでしょう?」

「え?え、ええ、はい・・・」

「知っている内容に違いが無いことは、昨日からの話で分かりました。ですから、若しワタクシが述べたような魔術で記憶が書き換えられたとするならば、理解は出来ます。しかし、そうと仮定するならば・・・」

「記憶の中身が中途半端、と」

「ええ。そういうことですわ」

 正解、と頷く様子は成程、確かに学があると感じられる振舞いだ。普段からそれぐらい理知的であれば苦労は少ないのだが、とは言わぬが華だろう。

「で、だ」

「あらアナタ、聞いていらして?」

 すっかり黙りこくっていたヒューが発したいつもの台詞に、少し難しい話になって緊張していたアイネもホッと息を吐く。

「まあ、そんな変わった身の上なのは分かったが・・・何で冒険者なんだ?」

「えと、それは、その・・・勿論ですよ、そう思ってあの町に来たって、その、そういう記憶があったから、では、あるのです、が・・・続けていれば、その、そうなった理由、とか、本当の私を、その、知ってる人とかに、出会えるかも、と」

 それに加え、腰に佩く剣から示されたからでもある。が、そこまで言ってしまうにはまだ、彼女にしても躊躇はあった。

「だからってなあ」

 ボリボリと頭を掻くヒューの声音は、どこか合点のいっているようないないような。

「して、お嬢の位階は?」

「言いませんでしたっけ?・・・・・・・・・・・・17位下セブンティン・アンダー、です」

「ケツから2番目か」

「言い方!下品ですわよ!」

 もっと言えば、最下位の18エイティンは新人が暫定的に付く位階で、数回でも依頼をこなせば位階は半自動的に17位下に上がるものだ。だからその位階は、アイネのように数年の経験のある冒険者としては最低ランクと言えるだろう。

 それを誰よりも知っているアイネはさっきとは違う理由で「うう・・・」と俯く。

「恥ずかしい、です」

 きっと馬鹿にされるだろう、今までもそうだったから。だから肩を竦めて足元をじっと見る。

「なんのなんの」

 しかし、返って来たのは今までにない反応。

「死んでおらぬということは、それだけで価値があるというもの。下卑することはありませんぞ」

 生きている駄馬は、死んだ駿馬より素晴らしい。そんな格言を、ロウトは励ますように口ずさむ。

「え!・・・でも、その、それは誰でも出来る地味な依頼ばかりだったから、その」

「あら。では皆そうでなくて?」

「だな。その人にしか出来ない依頼ばっかなんて、それこそ勇者様ぐれえだろ」

 だからな、と再び俯きかけたその背中を今度はトンと軽く小突かれる。

「あんま、気に病むことはねえぞ」

「左様。世評を気にするな、とは申しませぬが・・・まあ、それはそれで良いではないですかな?」

 軽い物言い、且つロウトについては適当にまとめた感のあるコメントであった。

「・・・わ、分かりまし、た」

 しかし、その言い様が、まるで長らく苦楽を共にした仲間のようで。それが何故だか無性に嬉しくて。

「ありがとう、ございます」

 だから、そうだけ返して前を見据える。今の私を見てくれるから、せめて、求められる役割はこなさなくては。そう思った。


「で、だ」

 思わず口を吐いて出たその言葉は小さかったものの、隣の魔術師は聞き咎めたようで無遠慮な視線を送って来た。反射的に「何でも無い」と返しつつ、眺めるのは眼前に揺れるボサボサの長髪。動きやすいようにと後頭部で一纏めにした青みがかった黒髪は、彼女が動くたびに馬の尾のように左右に揺れた。

 冒険者アイネ。馬車で名前を聞いてオレは、気づかれなかったようだがハッとしたんだ。

(・・・気にはなっていたんだよな)

 地味な採取依頼をこなすだけの、そんな名前のひ弱な冒険者がいるらしい。そんな噂話が耳に入ったのは半年前、オレが15位に上がって直ぐの頃だ。

 正直言って、それを聞いて思ったのは「気に入らない」だ。それは自分が身を危険に置いて頑張っているのに簡単に暮らしていることへの嫉妬などでは無い。少なくとも自分は。

 ただ、そんな風でもやっていけると思って、実際は無理で冒険者稼業をリタイヤしていった先達や同輩のことを考えれば・・・。

(やっぱり、僻みか?)

 されど馬車で名前を聞いて、そしてその姿を見て納得した。この冒険者は『それ』でしか生きられないのだと。そして、それでも冒険者を続ける理由も聞いたから、それで解決―

(しかし・・・ならば、どうして俺は知らない?)

 ―なら、良かった。

 しかし、さっきの話によれば彼女のハッキリした記憶があるのは2年前、あの町に来る直前かららしい。そして、ルーサの言う通りに記憶がその時点で植え付けられてとするならば、彼女が魔物なんかの知識を得ていたのはそれ以前からという話になる。

(しかし・・・しかし、若しそんな凄えヤツがいたんなら)

 少なくともこの狭い世間において、なにがしかの評判にはなるはずだ。しかし、彼女が言う『追い出された村』やこの辺りの村々にそんな人材がいたなんて噂は、寡聞にしてヒューは聞いたことが無かった。若しやあの町から遥か遠く、噂なんて届かないほど遠方の出身やもとも考えたが、今度はそこまでする理由が分からない。

(それに・・・だとしても・・・)

 それに加え、疑問はもう1つ。それはアイネ自身の存在についてだ。

 腕が足りないし、恐れもある。それは分かる。しかし、腰が引けている割にはその足は震えてはおらず、咄嗟の折には怯えてオレやロウトに隠れるでも無く、むしろ前に出る。

 そう、言ってしまえばアンバランスなのだ。怯える心と勇敢な心が同居している、そんな感じだ。それも、勇敢な中に怯えが混じるのでは無く、その2つが両立しているアンビバレント。

 若しもそれが、ルーサの言う通りに前の人格の残り香だとするならば尚の事、そんな人物をヒューが知り得ないということがあり得ようか。

「何者なんだ、お前は」

 そんな言葉は幸運にも、外に出る事無くヒューの口の中を転げて、消えた。

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