第2話 動き出す、『セカイ』

「おい」

 それはある日の遅い朝だった。ギルド前の噴水広場で早めの昼食兼遅めの朝食をとりながら、アイネはぼんやりと過ごしてた。

「おい」

 その日は朝からラッキーの連続だった。薬草集めの依頼報酬が何故かいつもより割高だったことがまず1つ。更に、その目当ての薬草が近場で群生していたため思ったより早く依頼を終えることが出来たのが1つ。

 そして、早く終わったお陰であのハイエナ男にカツアゲされる前に金庫へ報酬を仕舞えたことが、最後の1つだ。

「おーい」

 それにしても、あの群生地は盲点だった。薬草はアイネみたいに報酬目的で集める以外に、自分で治療薬をつくる為に集める冒険者も多いから、あんなポイントが残っていたのは本当にラッキーで・・・。

「おいって!」

「ふぇ?」

 よもや自分に声をかけるようなもの好きはおるまいとタカをくくっていた彼女は、だから突然掛けられた声にそれこそ心臓が飛び出るほど驚いた。

「ひゃう!ご、ごごごごめんな、エッホ、エホ!」

 反射的に謝罪を述べようとして食べていたパンが変な所に入ったらしい。大きくせき込み、目尻からは涙が溢れて視界がぼやける。

 そんな1人で大混乱に陥っているアイネを、男は胡乱気な目で見ていたが、

「おいおい・・・大丈夫か?」

 これでは話が出来ないと、どこかぎこちない手つきでアイネの背中をさすってやる。

「コホッコホ・・・はい、あ、ありがとう・・・ございます」

「いや、そんなに驚くとは・・・こちらもすまない」

 などと、いつもの連中なら絶対にしない謝罪をしてくれたので、ようやくアイネはその人が初めて会う人間だと気付いた。

「いえ。それより・・・えっと、誰です、か?」

 ぐしぐしと溢れた涙を拭きつつ男を見上げるが、やはりアイネの記憶の中にはその男の顔は無い。癖の強い長髪をうなじの辺りで一くくりにして無精ひげを生やしたその顔は、全体から漂うこなれた感じも相まってベテラン冒険者の風格すら感じられる。

 この町に来て見知った顔では無いのは勿論、田舎から追い出されたアイネにそんな大層な知り合いはいない・・・はずだ。

「俺のことはいい。それよりお前・・・冒険者だな?」

 コクンとアイネが頷いたことと胸元に光る階級章を確認し、男は安堵したように息を吐いた。まあ、冒険者でございと言うには、彼女の風体ははいささか貧相が過ぎる。

「ならいい。・・・頼みたい仕事があるんだ。依頼を出したい、と言えば分かるな」

「・・・依頼?な、なら、あちらがギルドの建物ですよ?」

 つい、とアイネが騒めくギルドの入り口を指さすと、男は「違う違う、そうじゃ無い」と大げさに肩をすくめた。

「俺が言っているのは、ギルドを噛まさず依頼を出したいと言うことだ」

 ギルドは確かに依頼の仲介をするのが大きな仕事だが、別に絶対にそこの仲介を受けなければならない、という訳では無い。そもそも、ギルド公認の冒険者と言っても、それはギルドの専属であることとイコールではない。ならば、ギルド仲介以外のどんな伝手で依頼を受けようが、それは冒険者個人の自由である。

 勿論、それは『どんな目に遭っても自己責任』ということと同義でもあるのだが。

「え・・・・・・・と?わ、私にです、か?」

「ああ。いや、厳密に言えばお前で無くともいい」

 何とも直截な物言い。あまりにストレートが過ぎるが、ごちゃごちゃと弁舌を弄して誤魔化す輩に比べれば好感が持てる。少なくとも、冒険者には好まれよう。

「ただ・・・依頼人が言うには、兎に角人手が要りようらしくてな。自衛出来る最低限の技量さえあれば、集める人員は誰でも良いらしい」

 つまり、冒険者ならその条件を満たせる、という訳だ。

「え・・・と、つまり?」

「つまり、俺の仕事は人集めということだ。嬢ちゃん、あれが見えるか?」

 そう言って、ガリガリと頭を掻きつつ男が目を遣った方にはいつからだろう、幾台もの馬車が人目を避けるように停まっていた。馬車と言ってもお貴族様が乗るような豪奢なモノでは当然無く、どちらかと言えば荷馬車寄りだが、まあ馬車は馬車だ。

「あれに乗せて、作業場に連れて行く」

「作業場?」

「ああ。いっておくが、場所は俺も知らない。俺はただ、こうやって冒険者連中に声を掛けて回る依頼を受けただけだからな。誰でもいいバラ撒き依頼な訳だから、当然に報酬も高くは無いだろうが・・・乗るか?」

「あ、と」

 正直なところ、アイネはあまり乗り気になれなかった。自信が無いのは勿論だが、それ以上に誰かに声を掛けて一緒に仕事、というのが何と言うか苦手だった。だから、2年にもなるのに単独ソロで仲間もいない。

(・・・・・・でも)

 そっと財布袋に触れると、感じる重さから嫌でもその中身が少ないのが分かる。朝一で見たギルドの掲示板にはもう自分がこなせそうな依頼は無かったし、カツアゲを考えると余裕はあまり無い。

 このままでは家賃で精一杯の状況に、アイネの首は考える前にコクンと前に傾げた。

「お!そうか・・・なら、ついて来い。行くぞ」

 そう言うが早いか、男はズカズカと馬車の方へと歩いて行く。

「わ!ま、待って下さい!」

 そう言っても、男が待ってくれる気配は微塵も無い。なので、アイネも食べかけのパンを雑嚢に慌ててしまうと、その後をヒコヒコと追って行った。

 まるで、綱を引かれるがままに連れていかれる、間抜けな驢馬のように。


「・・・やっぱり、止めておけば良かった、かな」

 得てして、そういった決断を考えた時には手遅れなものだ。アイネも本気でそう考えた訳では無いし、そもそも走り出した馬車から飛び降りるなんて芸当が出来るなら、こんな体たらくでは無い。

 あの後、ついて行ったアイネは男にそれこそ猫のように襟首を掴まれると、そのまま荷台へと放り込まれた。そして痛みに目を回していた彼女が我に返った時には既に遅し。馬車は門を出て走り出していたのだから、何とも鈍くさい話だ

「・・・・・・ハア」

 情けなさに、思わず溜息が出る。

「なあ」

 揺れる荷台には、当然知り合いなんていない。と言うより、あの町で知り合いと言えるのはあの人たちだけだから、いなくて良い。

「なあって!」

「ふぇ?」

 だから、膝を抱えて縮こまっていたアイネに話しかけてくる人がいるなんて、思わなかった。見上げた先にいたのは、まるで燃えるような赤毛を逆立たせた男性だった。

 今日はどうやら、記憶に無い人から話しかけられる日らしい。

「な、なななななななな何でしょう!?」

「何だ、聞こえてんじゃねえか。邪魔するぜ」

 駄目、と言いたかったアイネの返答を待つまでも無く、その男はどっかと彼女の隣に腰かけた。

「ここ、空いてたか?」

「・・・座ってから言うことじゃ、無いです」

 そもそも、ここは食堂でもサ店でも無い。

「まあまあ。あ、オレはヒュー。オタクさん誰?」

「・・・アイネ、です」

 消え入りそうな呟きだったが、幸いにもヒューは聞き取れたようで、大げさに「うんうん」と頷く。

「そうかそうか・・・アイネ、ね。・・・ま、いっか。ちょっとお話しようぜ」

「嫌です」

 バッサリと言い切ってから、ハッとアイネは口を押さえた。考える前に思ったことが口に出るなんて、初めての事だ。

(お、怒られる、どうしよう・・・)

 恐る恐る、そろりと前髪の隙間から見上げる。すると、そこにあった顔は初めこそポカンと大きく口を開けていたが、

「はっ、こりゃあいい!」

 ニンマリと笑みを浮かべると、そう言ってアイネの背中をバンと叩いた。予期せぬアクションにその勢いのまま顔からダイブした彼女に、思わず馬車の御者は怪訝な顔で振り返る。

「ただの根暗かと思ったら、中々どうして言うじゃねえか!」

 満面の笑顔でそう言うと、ヒューはリラックスしたように両足をだらりと伸ばす。別の所に座ることも考えたアイネだったが、自分の隣を「オレのココ、空いてるぜ?」と言わんばかりに指さす彼を避けるのは気が咎めたので、

「うう・・・うんしょ、っと」

 ぶつけた顔を擦りつつ不承不承、元の位置且つヒューの隣へと腰かける。いつの間にか、見上げた太陽は天辺に差しかかろうとしていた。


「で、だ」

 アイネが座ったことを確認すると、ヒューは親しげに切り出した。

「どんな伝手で、アイネはこの仕事を?」

「えと、その・・・広場で、話しかけられ、て」

「そうか。オレと一緒だな」

 え?と思わずアイネはヒューを仰ぎ見た。落ち着いて見れば平均より高い身長に鍛えられた筋肉が自己主張する肉体は、戦士として自分なんかより遥かに強いはずだ。

 きっと、実入りのいい依頼なども選り取り見取りだろうに。

「なんで、この依頼を?」

 ポツリと漏れたその当然の疑問に、ヒューは白い歯を光らせる。それだけ見れば、まっこと好男子。その身に纏う鎧も彼女のそれとは雲泥の差で、革鎧をベースに鋼鉄製のバーツでデコレートしたそれは、1品物では無いにしてもカスタムメイドなのは間違い無い。

 武器として背中に背負う大斧もハルバ―ドのようなゴタゴタした見た目で、少なくとも店売りの数打ちでは無いことが見て取れた。

 しかし。

「決まってるだろうが。ギルド仲介じゃない直接の依頼なんて格好いいだろ、なんかベテランみたいで」

 その発言で、全ては台無しだ。

「はあ」

「格好いい、なら即ちモテる。男としてそれに勝るものがあるか?」

「聞いた私が馬鹿でした」

 おいおい、と大げさに肩をすくめる仕草も堂に入ったもので、鼻筋の通ったマスクも相まって舞台役者でも務まりそうだ。

「何だ?アイネはそうじゃ無いのか?」

「ち、違います!」

 同類にされては適わないので、アイネにしては強い口調で否定する。第一、アイネは男では無い。

「私は・・・その・・・嚢中が乏しくて、ですね」

「ああ。金が無いのか」

 そう不作法にあっけらかんと言い切る言い方は捉えようによっては恐ろしく不愉快にも聞こえるが、その言い方が似合っているからかアイネはそれが嫌いでは無かった。

「・・・はい。じゃ、無ければこんな」

 怪しい、と小声で付け加えて、

「依頼、受けません、よ」

「ふうん。意外に鼻が良いんだな」

 え?とヒューを見上げたアイネに、彼は「見ろよ」と同じ馬車にのる冒険者たちを指さす。

「他の馬車は知らんがな。ここにいるオレ意外の連中の顔、どうだ?」

「はい?・・・ど、どうだ、とは?」

「皆一様に、ぼんくらばかりだ」

 その言葉に、アイネも改めてまじまじと見てみる。どの冒険者もほぼ一様に店売りらしい鎧やら外套やらを纏っていて、しかもそれらは同じく使い込まれてすらいない新品同然の代物だ。

「かと言って、まったくの駆け出しじゃあ逆にこんな依頼は受けやしない。にもかかわらず、あんな店売りの品物をピカピカさせてんのは・・・器量悪しの出来損ないさ」

「か、考えを読まないで下さい、よ」

 そして、その冒険者たちはその明け透けな会話は聞こえているだろうに、反駁も憤激もしてこない。幾人かが恨めしそうな視線を送るばかりで、残りはただ恥ずかしそうに俯くだけである。

 腕は兎も角、気概も無いそのザマは彼の評を自ら裏付けているようなものだ。

「そ、それに・・・それって、私も入ってます?」

「いんにゃ。そう言えるなら、少なくともぼんくら連中よりゃ百倍マシだ。それに、話して見りゃそれほど馬鹿でも無いようだしな」

 そう言って、ヒューはワシワシとアイネの頭を掻きまわす。

「それよか、気になんのは依頼の中身だ。人手が欲しいって話だったが・・・それにしても、こんなぼんくらばかり集めて何しようってんだか」

「うう・・・そ、それより」

 あまりぼんくらぼんくらと周りの人を言うヒューに、流石に話題を変えようとしたアイネだったが、

「!?」

 微かに遠くから聞こえた音に、うなじの辺りに怖気が走る。ぞわり、ぞわりと湧きたったソレに産毛が一斉に逆立つ。

「お、おい。どうした!?」

 急に黙り込んだアイネに思わずヒューも声をかけるが、アイネはそんなことには目もくれず立ち上がると、一目散に御者の元へと走った。

「あ、あの!お願いです、止めて下さい!」

「何だあ、藪から棒に?」

「だ、だ、だから。ば、馬車を止めて!早く!」

「ああ?」

 御者は胡乱気な目で振り返り、さっき馬鹿騒ぎした女であると分かると、

「馬鹿を言うな」

 と無情にも、かかずらっておれぬとばかりに切り捨てた。

「あ、ああ、あの。ダメ、ダメなんです!」

「何がだよ」

「そ、それは、その・・・兎に角、あの!」

 しかし、何か危険が迫っていることは分かるが『それが何か』は分からない。かと言って元から口達者で無いアイネは上手く説得も出来ず、結果、彼女はただまくし立てるしか出来なかった。

「ふざけんな!俺の仕事は、お前らを遅れず目的地まで連れてくことなんだよ!ビビったんなら、勝手に降りろ!」

 だから、御者はそう言い捨てると前を向き、止めるどころか今の騒ぎで遅れた分を取り戻そうとピシリピシリと鞭をふるう。周りにいるぼんくら冒険者たちも、そんな彼女の味方をする気は無いようで、各々が気まずげに視線を逸らすばかり。

「・・・うう」

 じんわりと、アイネの目蓋の端に涙が溢れる。こんな時、上手く回らない口が恨めしい。つう、と零れた涙が頬を伝った、その時。

「分かった」

 後からポンと肩に手が置かれるのと同時に、そんな声が聞こえた。

「え?」

「あん?」

「じゃ、降りさせて貰うわ」

 そう言うが早いか、その声の主は彼女の胴体をその二の腕でしっかりと抱えると、

「ひゃ!?」

 ダンダンと馬車を軋ませ、そのままの勢いで飛び降りる。アイネの視界には驚いて後ろを見る御者の顔が一瞬入り、そしてそのままグルグルと天地が回転する。

「・・・きゅう」

 そこで、彼女の意識は一旦途切れた。


「・・・い、おい」

 頬に触れる触覚と共に聞こえる声が、意識を蘇らせる。

「おい、起きろ」

「ふぇ?ね、寝てません!?」

「おい馬鹿!」

 ハッキリしない意識の下で、反射的に否定の大声を出そうとしたアイネの口をしっかりした手が抑え込む。それはさっき自分を抱え込んで飛び降りた男、確かヒューと言ったか。

「むぇ!?」

「いいから。あれ見ろ」

 そう、自分を押さえていたヒューが小声で注意しつつ指さした先には、宙を舞う荷台の姿。そして、それが自分の意志で飛んでいないことは、それを持って飛ぶ鳥ならぬ影が証明していた。

「オレがお前を担いで飛び出して直ぐだったよ。アレが―」

「ガーゴイルです」

「そう、そのガーゴイルが襲ってきた。オレがこうして物影に隠れた時には、あの状態だった。・・・危機一髪だったな」

 しかし、その解説の半分しか、彼女の耳には入っていなかった。何故なら、飛び去る荷台にはうっすらとだがさっきまで相乗りしていた冒険者の影が見えたからだ。

「・・・ん!」

 それを見た瞬間、ぼんやりする頭が働き出す前にアイネの体は物陰から飛び出そうと動き出していた。

「わっ!馬鹿!」

 それを、ヒューは慌てて肩を掴み留める。

「馬鹿お前、何考えてんだ!」

「えっ?だって・・・だって、助けない、と」

「今飛び出しても間に合わん。それに、あそこまで高く飛ばれてしまっては、下手に手を出す方が危ない」

「でも」

 だが、そんな未練がましいアイネの思いを、ヒューはバッサリと断ち切った。

「でも、じゃ無い。兎も角、アイツが飛び去ってから状況を調べる。助けるにせよ何にせよ、話はそれからだ。いいな?」

「・・・は、はい」

 アイネとて馬鹿では無い。落ち着いてしっかり聞けば、ヒューの考えが正しいことは考えるまでも無く染み渡る。だが、

(・・・おかしい、な)

 何故だろうか。あの一瞬、飛び出そうとしたあの時だ。あの時、自分はあのガーゴイルから『助けられる』と、何故だか確信を持てた。存在をしっかりと認識した今は怖くて恐ろしくて、とても手出しすらしようとも思えないのに、だ。

 飛び去るガーゴイルを眺めながら、アイネの頭からはそのことが離れなかった。

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