第1話 ただ、過ぎる『クラシ』

「・・・えと、あの。問題、無いです、か?」

「え?」

 おずおずと上目遣いでそう問うてくる冒険者に、思わずギルド職員の彼は困惑の声を漏らしてしまう。が、直ぐに我に返るとマニュアル通りの笑顔を彼女へと向けた。

「・・・ええ、納品の量は十分です。まず、これが基本報酬」

 そう言って、彼はカウンターへ銀貨の入った袋を置く。そして、次に彼は傍らに備え付けの鍵付きボックスから金貨を少々取り出すと、それを先ほどの袋の横に積み上げた。積み上げた、と言っても枚数は僅か3枚ばかりだが。

「そして・・・これは納品物の過剰分と状態が良かったことに対する追加報酬です」

 しかし、その追加報酬を加えても総量はそこそこの量の銀貨に僅かな金貨と、冒険者への報酬としてはささやかな額だ。

 だが、目の前の冒険者はそれをさも大事そうに小袋にしまうと、スックと立ち上がり、ペコリと頭を下げる。

「えと、あと・・・はい、ありがとうございまし、た」

「・・・ええ。こちらこそ、どうも」

「は、はい。・・・で、では」

 まったく不要な別れの挨拶を交わしてその冒険者がのたのたと立ち去るのを、そのギルド職員は物珍し気に呆と目で追っていった。

「お疲れさん。・・・どうした?」

「・・・ん?ああ、あれさ」

 どうやら、次の案内もせず呆としていたのを見咎められたらしい。後ろからそう声を掛けてきた同僚に、彼が指さした先ではさっきの冒険者が派手にすっ転んでいた。どうやら、その伸ばしたと言うよりは伸びただけと称する方がしっくりくるボサボサとした長髪が誰かに踏まれたか、何かに引っ掛かったらしい。

「あちゃあ。で、あれがどうした?」

「いや、別に大した意味は無いんだけどさ。あの娘って・・・ここに来てもう何年だっけ?」

「んっとな・・・記録が確かなら、2年になるか。それが?」

「それなら、僕の記憶とも合うな。それでさ、2年になるけどあの娘、一向に昇級しないなあ、と思ってさ」

「そりゃ仕方ないだろ、大した仕事してないんだから」

 ペラペラと同僚がめくる帳面には、冒険者の経歴やこなしてきた依頼クエストが記載されているらしく、

「リーヌ村のアイネ、冒険者歴2年。こなしたのは薬草、素材、果物の納品依頼が殆ど。荒事はせいぜいが害獣駆除で、モンスター退治なんて1件も無し。これでどうやって昇格出来るってんだ?」

 と、若干辛辣な物言いでその内容を述べた。もっとも、彼もそこについては同意見なので咎めることはせず、むしろコクリと首肯した。

「ああ、それは分かるさ。けど・・・なら、何であの娘は、それで生活出来ているのさ?」

「あん?一体何の話・・・ああ、そういう事か?」

「そう、その類の依頼の報酬は安い。必要経費を考えたら赤字もいいとこだ」

 と言うより、ハッキリ言えばその手の依頼は飽く迄メインの、モンスター退治や遺跡探索のついででこなすようなもの、所謂追加依頼サブクエストだ。勿論その採集物をそのまま売るよりは収入は良いが、だからと言って商人が10ダーラーで買い取るものに、10000ダーラーの値が付く訳も無い。

「確かに、それ以外の採集品を売ったり、さっきみたいに追加報酬を得たりはしてるみたいだけど・・・それも焼け石に水程度だろうし。いったい彼女、それでどうやって生活してるのかなって?」

「さあな」

 しかし、同僚はそんなことには興味も関心も無いようで、さっきの帳面で彼の頭を軽く叩いた。

「そんなことより、お仕事お仕事。受付待ちの連中がまだ一杯いるんだ、余計な事考えてる余裕はねえぞ」

「痛ったいなあ!・・・分かったよ、まったく」

 確かに不思議ではある。しかし、そんなことはどうでもいいと言う同僚の意見もまた、正しい。ギルドは別に冒険者の母親で無し、面倒を見てやる義理も義務も無いのだから。

 だから、彼はその疑問を抱えつつも、取り敢えずは目の前の仕事とばかりに「どうぞ!」と列をなす冒険者たちへと呼びかけることにした。


「・・・うう」

 フラフラと、地面に打った後頭部を擦りながらアイネはギルドの建物を後にした。

「痛たたたた・・・うん、大丈夫、だよ、ね?」

 転んだ時に何かで打ったのか、ぽっちりと赤くなっている鼻頭をこすこすと手の甲で擦るも、幸いなことに折れてもおらず鼻血も出ていなかった。

「良かった。・・・ふう」

 そして、結構な大音がしたにもかかわらず周りの冒険者たちが遠巻きに眺めるだけなのは、彼女がこの町に来て早2年。その素っ頓狂が、最早この町の日常に溶け込んでいるからだろう。

「あら、大丈夫かい?」

「え・・・と?あ、はい」

 しかし、今日のその日はいつもとは違っていたようで。

「そう?気を付けなきゃだめよ」

 何故か、見知らぬ老女にそう話しかけられた。人の好さそうな顔で心配そうにこちらを見上げられれば、アイネとて「いつものことです」とは口が裂けても言えなかった。

「あ、ありがとう、ございます」

 嘘を吐く罪悪感に目を泳がせつつ、そうはにかみつつ謝辞を述べてお茶を濁した。

「え、と。それより・・・あれ、何です、この人だかり?」

 外に出たときには気が付かなかったが、老女と話をしているアイネたちの前には黒山の人だかりが構築されていた。そこに集う人々は皆ワイワイと活気に満ちており、中には父親に肩車される子供の姿もある。

「御存じない!?」

 しかし、首を傾げるアイネに対し、老女は信じられないとばかりに大きく目を見開いた。

「ポスターが町中にあったでしょう!?この町へ、あの勇者様が来られるんですよ!」

「勇者・・・様?」

 ポカンと頷いたアイネに、老女は音がするかと思うほどにブンブンと大きく首を縦に振る。

 キョロキョロと視線を町の壁に移せば、確かにそんなポスターがあちこちに貼られていた。

「へえ・・・見たいなあ」

 どんくさい彼女でも、流石に勇者様のこととなれば食指が動く。

 勇者ガンディオ。熟練した老魔術師でもある彼は幾星霜とも言える修行と数多の冒険の果てに、とうとう魔神王を滅ぼした立志伝中の人物である。冒険者の端くれとして、アイネも憧れを抱く人物の1人だ。

「・・・・・・あ、あの!・・・あれ?」

 詳しく老女に尋ねようと振り返るが、いつの間にやら老女は人だかりの奥へと消えていた。恐らくは、曲がった体躯を有効活用して列の中へもぐり込んで行ったのだろう。その身のこなしはアイネより冒険者に向いているのではなかろうか。

「どこ?どこ?」

 再びキョロキョロとアイネが視線を泳がせていたそのとき、彼女の前にそびえる人だかりの向こうからワッと大きな歓声が上がった。

「おお!」

「勇者様あ!」

「世界の至宝!」

 その歓声から察するに、この群衆の先に勇者様がお通りになっているのだろう。

「わ、わ、わあ」

 そうと分かると、アイネは矢も楯もたまらず。せめて、ひと目でもその偉大なお人を見たいと思い、ピョンピョンとその場で飛び跳ねた。

 しかし、悲しいかな。彼女のジャンプ力で見えるのは、せいぜい前の人の頭くらいであった。

「ん・・・しょ!」

 だから、大きく屈んで大ジャンプ!としたのが悪かった。

「あわ!?」

「おおん!?」

 そうまでしても見えなかったのに加えて着地の際にバランスを崩し、ドンと後ろにいた人にぶつかってしまう。たちまち、苛立ち混じりの罵声がアイネを襲った。

「あん!?テメエ、痛えじゃねえか!」

「あ、わわわ。ゴメンな・・・さ、い」

 その人へ下げた頭を上げた彼女は見覚えのある、そして見たく無かった顔に表情は凍り付いた。そして見覚えがあるのは当然に相手も同じで、まるで獲物を見つけたハイエナのように、その口角は三日月状にキュッと吊り上がる。

「お、雑魚アイネじゃねえか。丁度いい、顔貸しな」

 そう言うとハイエナ男は近くにいたキツネ顔の男2人に声をかけ、アイネの腕を掴んで路地裏へと連れ込む。

 アイネは、めのまえが、まっしろになった。


「・・・ん?」

 湧き上がる歓声の中、人だかりの向こうに何かを感じた勇者ガンディオは、思わず立ち止まった。

「おや勇者様、どうされました?」

「いや。なにやら見知った気配のような・・・気のせいか」

 もう一度、気配のした方へ目を遣るが、そこには変わりない雑踏が在るだけだった。

 しかし、案内を担当する長官は「意を得たり」とばかりにポンと手を叩くと、

「ああ、恐らくはあれでしょう。あそこなるは、勇者様の発案で設置された冒険者ギルド、その1番地にて」

 そう言って、その雑踏の奥にある建物を指さした。

「そうでは・・・・・・まあ良いか。それより長官殿」

「ええ。首長様も首を長くしてお待ちです。ささ、こちらへ」

 そもそも、この町へ来たのは公務の為である。いつまでも己の我儘で立ち止まってはおれぬと、代官の案内に従ってガンディオは歩き出した。

 最後に未練がましくもう一度振り返るが、やはり何も感じることは出来ない。

「ふうむ・・・何だったのであろうな」

 白髭を扱きつつ、ガンディオはそう独り言ちた。


「・・・うう」

 呻き声と共に、アイネはバッタリとベッドへ倒れ込んだ。皮鎧を脱ぎ捨てる気力も無く、予期せぬ重さに安普請のベッドはギシと小さな悲鳴を上げる。

「酷い目に・・・遭った」

 彼女を路地裏へと連れ込んだのはいつも彼女からカツアゲをする冒険者・・・と言うよりかは町の無頼漢と呼ぶ方がしっくりくる男たちだ。ましてや、今回は一応彼女の側に非があるという建前からか、その行動には一切の躊躇が無かった。

「・・・はあ」

 溜息と共に取り出した財布袋を逆さに振れば、そこから飛び出したのは銀色の輝きが数枚と、あとは銅色のビタ銭で金色の光は1枚も無い。それらが悲しいチャラチャラ音を立ててサイドテーブルに積み重なる。

「取り敢えず・・・はっと」

 ごそりとベッドの下に手を伸ばして取り出したのは、この部屋を借りる際になけなしの金で買ったごつたらしい金庫だ。危うい手つきでそのロックを解除し、その中へ辛うじて残った銀貨をしまい込む。試しに振ってみれば、そこから響く音は空しく、軽い。

「もう・・・2年、かな?」

 ごろりとそう呟きつつ寝返りをうてば、目に入るのは初めてこの屋根裏部屋を借りた時と同じ、薄汚れた天井だ。あの日、最底辺の成績で認定試験をパスし、数日の野宿の後に今いるパン屋の2階を借りて、それから出来る限りで働いて、それで2年。

 それから今までの結果、日々の積み重ねがさっきの音だとすれば。

「私・・・何をしてきたんだろ」

 勿論、自分がバリバリ稼ぐ冒険者にも、いろんな一党から引っ張りだこの戦士にも成れないことは初めの数カ月で分かったことだ。そして、自分の出来る限りではその日暮らしがやっと、というのも1年経った段階で分かったことだ。

 そもそも、多少悪くなった物や雑草を食べても問題無い頑丈な体で無ければ、2年どころか半年すら保たなかっただろう。

「なのに・・・なんで私は冒険者なんて」

 続けてるんだろう?言葉の末枝は口の外へと出ずに転がり消える。その言葉を言ってしまえば、きっと心が折れてしまうだろうから。

「ん・・・」

 彼女が寝ころんだまま目をやるのは彼女の愛剣、半ばより断ち折れた1本の折れた剣だ。どんな目に遭おうとも決して疎かにせず、キチンと手入れし立て掛けたそれは「いざ冒険者」と成れた際に鍛冶屋から押し付けられた1振りだ。なんでもその鍛冶屋曰く「この剣がお前に持たれたがっている」とのことだった。

 初めは不良在庫の体のいい厄介払いだと思ったが、確かに彼女にもその剣が語りかけてくるような感覚があった。簡単に一言、『人を助けろ』と。

「でも・・・でも・・・助けに、なってるの・・・かな?」

 震える声で、そう漏らす。確かに助けにはなっているのだろう。しかしあの程度の仕事なら、それは自分で無くとも良いはずだ。その虚無感と申し訳なさで、目蓋からは1条の涙が零れる。

「まあ・・・いいか」

 そんな悲しみを振り切るように、ワザと言い捨てるような口調で呟く。

 そうとも、自分程度は所詮、何にも成れないのだ。数多くの冒険者がいるが、その多くは冒険だけで一生の生計をたてることなぞ出来はしない。大抵の冒険者―ただし、生き永らえられたと冠詞が付く―はその報酬で農地を買って地主になるか、指導教官としてギルドに雇われて一生を終える。

 そして、自分はそのどちらにもなることは出来ないだろう。生計の為に細々と生きる以外の道は、自分には選べない、選ぶ権利も無い。

「どうなるんだろう・・・私」

 もう一度ちらと剣を見るも、その剣は何も答えてはくれない。もっとも、『剣が語りかけてくる』というのが彼女の妄想であるならば、答えてくれるはずが無い。

「・・・・・・・・・お腹、減った」

 暗く沈んでも、腹は減る。自分の単純さに嫌気がさすが、だからと言ってクウクウと悲鳴を上げる胃袋を放置できるほどの堪え性も無い。窓から空を見れば、いつの間にか世界は闇の帳に落ちていた。

「貰って来よう」

 この部屋を借りて良かった点の1つが、売れ残ったり失敗作だったりしたパンを捨て値で貰えることだ。しかし声をかけねば捨てられてしまうため、アイネはいそいそと皮鎧を脱ぎ捨てるとさっきの小銭を掴んで部屋を飛び出した。

 その背後で、折れた剣が意味深に光ったことにも気付かずに。


 やれやれ、何とか持ちこたえてくれたか。

 こちらが語りかけた『意図』は察せても、その『内容』が聞き取れなければ意味が無い。そんなところか。

 ああいや、主が悪いんじゃあ、無い。何せ、お前さんのように他所から覗き込んでくるデバガメような奴にさえ聞こえるものが聞こえないんだからな。

 それほどにあの魔神王とやらの細工、その強度が強いということだろうさ。と言うより、最早これは呪いだな、呪い。

 まったく、あの鍛冶屋の爺がいなければ、私は今頃鋳溶かされてインゴット、主もとうに野垂れ死んでいたところだ。危ない、危ない。

 あとは・・・せめて、己の力が依って立つ、その礎さえ取り戻してくれれば良いんだがなあ。

 ・・・ん?いや、怒ってなどはいないさ。そう思えたなら訂正しておこう。私としては主が私を手放してしまわない限り、民草を救う一助となる限り語りかけ続けるだろうよ。例え、このまま何年経とうと、な。

 それにな・・・ああ、そうだな。ここで全てを言ってしまうのは、これからを見るお前さんに酷か。だから・・・そうだな、これだけは言っておこう。


『これはいずれ、世界を救う物語になる』とな。

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