8. さざめく森の中で
白み始めた空を、出来るだけ速度を上げて森へと翔ける。
心配性な彼に見付かったことで、予定よりも随分と遅れてしまった。
これでは、あの子が目を覚ます前に調合が終わらないどころか、城に戻ることすら難しいかもしれない。
そんなことを考えながら森の入口を越え、中央辺りでヒトの姿となり、森に降り立つ。
「・・・何だ」
降り立った瞬間、襲ってきたのは言いようのない不快感。
明らかに、何かがいつもと違う。
森の上を飛んでいた時は違和感程度だったが、今は肌で直に感じる。
妙に森がざわついていて、まるで異物を追い払おうとしているかのよう。
鎮守様に好かれているとはいえ、あまり長居は出来そうにない。
『出直すか?』
影から聞こえてきたのは、いつもより硬い陽炎の声。
彼の言う通り、今日は薬草を諦めて、明日また出直すのが最善なのだろう。
だが、今回は引くわけにはいかない。
このまま帰れば、あの子の怒りが側仕えの二人に向いてしまう。
「いえ、早急に必要分だけ採取して、全力で飛ばして帰ります」
『しかし・・・』
「今回の怪我、皆は大したことがないと言っていましたし、私もそう思います。ですが、あの子にとっては大怪我なんですよ」
かすり傷でも、温室育ちのあの子にとっては大事で、ましてや落馬をして背中を強かに打ち付けたとなれば、それは想像を絶するものなのだろう。
怪我をすると、あの子はいつにも増して感情的になる。
気が立っているあの子が、側仕えの彼らに手を出す前に、早く戻らなくては。
選別もそこそこに荒い手付きで薬草を摘んでいれば、「ハク」と先程よりも低い声で陽炎が名を呼んだ。
「もう少し待ってください。あと一種類ですから」
『薬草の件ではない。侵入者のことだ。どうする?』
「無知な暁の人間など、捨て置けば良い。既に鎮守様の怒りは買っているようですし、彼らが対処しますよ」
『そうか』
「それよりも、今は一刻も早く城に戻ることです・・・よし、これで全部揃いました。陽炎、戻りますよ」
言いながら籠に手を伸ばすと、聞こえてきたのは囁き声。
この声は、おそらく鎮守様のもの。
注意深く耳を澄ましても聞き逃してしまう程小さな声だが、確かな怒気を孕んでいる。
呼び止めるようなソレは、きっと侵入者を排除しろと言っているのだろう。
薬草を持って帰りたくば、力を貸せと。
『ハク』
心配そうな陽炎の声と、怒りに満ちた鎮守様の声。
鎮守様が侵入者をこちらに誘導しているのか、気配が徐々に近付いてきている。
しかもこの感じ、相手は抜き身の刀を手にしている。
これでは、鎮守様が怒るのも当然だ。
呆れながら短刀を手に構え、薬草を採っている素振りをして見せる。
おそらく、あちらからはもう私の姿が見えているだろう。
「あの髪の長さと体格・・・女か?」
呟くように発せられた声から相手の位置を把握し、気が付かれないよう姿を窺う。
明るい茶色の髪と同色の瞳、高価な着物を身にまとい、手にしている抜き身の刀には王家の紋章。
あぁ、あの人は駄目だ。
東軍の私は、王家の人間には手を出せない。
彼が傷一つなく城に帰らない限り、戦争が起きる。
『鎮守様、あの者はいけません。私には、宵の民たちを守る義務があります』
人間には知覚できない周波で言葉を発すると、不服そうに森がざわめくものの、それ以上のお咎めはないようだ。
あちらも私と接触するつもりは無いようだし、このまま気が付かない振りをしてこの場を去ろう。
そうすれば彼も大人しく来た道を戻るだろうし、彼の付き人が心配して迎えにくるはず。
手にしていた短刀を袖の中に忍ばせ、籠を手にして立ち上がろうとした瞬間、森に響き渡った音。
抜き身の刀が木の幹に当たったのだろう、こんな大きな音で気が付かないのは不自然過ぎる。
仕方が無いと小さく溜息を付き、ひと目で驚いているとわかるよう、大袈裟なくらい驚いたように立ち上がる。
「誰!?」
振り返れば、そこには目を見開き、しまったと言わんばかりに立ち尽くす人物。
そんな顔を見せるくらいなら、早く立ち去ってくれれば良かったものを。
思わず出そうになる溜息をかみ殺し、数歩後ろに下がれば、彼が慌てたように姿を現した。
「あ、怪しい者ではない。ちょっと、この森に迷い込んでしまっただけだ」
そう言って姿を現したのは、太陽を纏ったような一人の少年だった。
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