7. 空白む森へ
「お前、また馬鹿の為に薬草を採りに行くのか?」
籠を手に楼門に上がれば、背後から呆れたような声。
振り返れば、そこには予想通り不機嫌そうに立っている彼の姿があった。
「おや、珍しいですね。あなたが空の白み始めたこんな時間に、まだ起きていらっしゃるなんて。寝付けなかったのですか?」
無邪気な振りをして態とらしく首を傾げて見せれば、眉間に刻まれる深い皺。
不機嫌さを隠そうともせず、舌打ちを響かせた。
「誰のせいだと思っているんだよ」
「それは・・・私のせいですかね」
「お前なぁ」
「ふふ、冗談ですよ。ちゃんと、わかっています。皆が寝静まったのを見計らって、国境近くまで出かけようとしている私のこと、心配してくださったんですよね」
「ありがとうございます」と言って笑みを浮かべると、彼の眉間にますます深い皺が刻まれる。
きっと、私が思っている以上に心配をかけているのだろう。
そしてそれはおそらく彼だけではない、今は寝静まっている皆にも。
だからこそ、少しでも皆に心配をかけないため、わざわざこんな時間に出かけているというのに。
一番心配してくれる彼に見付かっては元も子も無いが、見付かってしまった以上、背に腹は変えられない。
下手にはぐらかすより、正直に答えた方が良いだろう。
「主上が、怪我をなさったのです」
「怪我?今度は何をしでかしたんだよ」
「少々、馬の機嫌を損ねたようです。受け身も取れずに、落馬されたと聞きました。報告を受けた時に一応の処置はしたのですが、随分と強く打ち付けられていたようで」
「受け身も取れないのか、あの馬鹿は」
「主上は、学問を学ぶ方がお好きですから」
「肩書きだけとはいえ、東軍の将なんだ。馬にも乗れない上に、打身一つで大騒ぎ。挙句、軍師殿に泣きついたのか?」
「まあまあ、主上のお怪我が長引くのは、あなただって望まれないでしょう?主上が病床にある限り、私は主上に付きっきりになりますから」
その言葉に、彼の機嫌が目に見えて悪くなる。
それでも、こういう言い方をすれば、彼はこれ以上は何も言わない。
わかっていて、あえて口にする私は酷いヒトなのだろう。
心の中で謝罪しながら、少しでも彼の心配を取り除こうと笑顔を浮かべる。
「そんなに心配なさらなくても、私は大丈夫ですよ。ちゃんと護身用の短刀は持っていますし、国境近くとはいえ、行き先は鎮守の森です。あの地には暁、ましてや西軍の人間なんて近付きもしませんよ。もし仮に彼らと遭遇したとしても、私は鎮守様に気に入られていますから」
出来るだけ明るい声で、何でも無いことのように口に出すのは理想論。
暁の人間、特に西軍に所属する者は「鎮守の森」を「暗黒の森」と呼び、酷く嫌っているのは事実。
森の住人である彼らに私が気に入られているのも、短刀を持っているのも事実。
それでも、絶対に安心なんてことは言えない。
絶対に安心だったはずの故郷を、私たちはかつて追われたのだから。
「それに、私が人間ごときに怪我を負わされるわけがないでしょう?」
「そうかもしれないが・・・今日も一人で出かける気なんだろう?せめて誰か、アイツでも良いから連れて行けよ。本当は俺が行ってやりたいが、俺は太陽の下には出られない」
憎々しげに白んだ空を睨み付ける彼の活動限界は、とうの昔に過ぎているだろう。
漆黒を宿し、闇に生きるヒトだ。
私に付き合って宵闇の世界にまで出てきてくれたが、本来このヒトは夜深の闇でしか生きられないヒト。
この時間は彼にとって、眩し過ぎるだろうに。
「お気持ちだけは、ありがたくいただいておきます。それに、あなたは
「なら、お前も休めよ」
「はい、もちろん。薬草を採ってきたら、すぐにでも」
「お前」
「この時間に城を出れば、森に着くのは日が昇った頃、向こうでは夜にあたります。こちらでは皆が眠っているように、暁で起きている人間など皆無。今が一番、薬草を採りに行くには安全な時間帯です。それでも私が一人で行くことを危惧していらっしゃるのなら、心配はご無用です。私の影には、いつも通り
その言葉に答えるように、影が歪に蠢く。
彼はいつでも私の影に居て、いつでも私を守ってくれる。
かの実力を知っているからだろう、文句を言おうと開かれた口は静かに閉ざされた。
「お目付役が居るのに危ないことなんて、出来る筈がないでしょう?」
心配するなとばかりに完璧な微笑を浮かべると、全てを諦めたような深いため息が返ってくる。
「・・・気を付けろよ」
何を言ったところで私が聞かないと思ったのか、渋々見送ってくれる彼に頭を下げ、小さく息を吐く。
そして大地の気を取り込み、転変する。
『では、行って参りますね』
龍の姿になったことで見下ろす形になった彼に声をかけ、僅かに赤くなり始めた空に向かって飛び立った。
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