9. 王室育ちの迷い人
この少年は、世間知らずなのだろうか。
抜き身の刀を手にした状態で、怪しい者ではないと言い募ろうと、説得力など皆無だろうに。
おそらくこのままでは私が宵に逃げていくと考え、姿を現したのだろうが、あまりにも浅はかだ。
溜息を噛み殺しながら更に後退すると、彼は慌てて刀を鞘に戻し、両手を上げた。
「俺は暁、西軍に属する朱虎だ。驚かせてしまったのなら、すまない。だが、少しで良いから話を聞いてほしい。俺はそなたの国を偵察に来たわけでもないし、敵対の意思も全くない。抜き身の剣を手にしたまま姿を現しておいて、こんなこと信じろというのは確かに無理な話かもしれないが。どうか、信じて欲しい」
深々と頭を下げる少年からは、確かに敵意は感じられない。
彼の言う通り、森に迷い込んだというのは事実なのだろう。
不安げな表情を浮かべながら足を止め、真正面から彼の表情を窺う。
子供時代の白虎王によく似た容姿に、朱虎という名前。
間違いなく、彼は白虎王第三王子、朱虎。
第三王子は未だ戦場に立ったことがなく、国を出ることすら稀と聞いていたのだが。
なぜ、そんな世間知らずの子供が、一人でこんな国境近くに居るのだろうか。
「あなた様は偵察に来たのではないと仰いましたが、敵情視察ではないとすれば、いったい何用で国境を跨ぐ森に参られたのですか?暁の中でも、特に西軍に属する方々は、甚くここを嫌っていると聞き及んでおりますが」
「あぁ、実は一度「暗黒の森」が見てみたくてな。だが想像以上に国境が遠く、これでは日が落ちるまでに戻れないので、中立地帯であるこの森で夜を明かそうかと思った次第だ」
その言葉に唖然として、思わず口元を覆う。
当惑している様子から察するに、嘘は付いていないようだが、彼は噂以上に世間知らずのようだ。
西軍の人間が森で夜を明かすなど、これでは鎮守様の怒りを買うのも当然。
しかし、無知故に罪を犯す愚かさはあれど、彼自身は痴れ者ではないだろう。
こちらを気遣う余裕があるのなら、森の事情を説明すれば、案外簡単に森から出て行くかも知れない。
「早く始末しろ」と急かすような森の住人たちを制しながら、彼を説得すべく口を開く。
「あなた様の仰る通り、暁では既に夜が更けていることでしょう。ですが、この森で一晩を過ごすというお考えは、改めた方が宜しいかと存じます」
「何故だ?」
「このままですと、あなた様は殺されますよ」
下手に遠回しな言葉を使うよりは話が早かろうと、少しばかり直球過ぎる言葉を放てば、彼の顔から血の気が引いた。
王室育ちのお坊ちゃんには厳し過ぎる言葉だったかと、改めて言葉を足そうとする前に、呻くような低い声が。
「な、ぜ・・・」
「え?」
「何故、だ?・・・ここは、この森は、中立地点ではなかったのか?両国間で、争い事が禁じられているはずだろう?俺が、殺されるだと!」
声を荒らげるその姿は、まるで聞き分けのない子供だ。
都合の悪いことには大声で抗う、従わぬモノには暴力を振るう。
人間の愚かさに辟易しながらも、表向きは驚いたように目を瞬かせる。
この地を「暗黒の森」と呼んでいることから察するに、彼は本当に何も知らないのだろうから。
「暁の方は、鎮守様をご存知ないのですか?」
「鎮守様?」
「森の住人のことにございます」
「森の、住人?」
私の言葉をただ繰り返すだけの彼は、この地に関する知識を全く持ち合わせていないようだ。
まさか、この地に住まう存在すら知らないとは。
彼の知識が乏しいのか、暁の歴史が都合の良いものに書き換えられているのか。
人間の寿命は短く、ただでさえ正確に史実を伝えることは難しい。
その上、その内容が国にとって、人間にとって不都合なものならば、当然のように書き換えて然るべき。
わざわざ歪んだ歴史を伝えている人間の王族に、正しい歴史を教える謂れもないが、このままでは話が進まないのも事実。
仕方がないと、無知な侵入者の様子を見に来た鎮守様を視界の端に入れながら、口火を切る。
「森の住人は文字通りこの森に住まうモノ達です」
その声に答えるように周りを浮遊する彼らの姿は、きっと人間には見えないのだろう。
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