5. 神色自若な雄弁家
闇よりなお暗い漆黒を宿し、この世のモノとは思えないほどの美貌をたたえた、圧倒的な知識量を持ったヒト。
しかも、とても武芸になど携わっていないように見えるのに、皆が活動を停止しているはずの昼に、たった一人で森の奥深くで活動している異質なヒト。
このヒトは、一体何者だというのだろう。
先程一瞬向けられた殺気の重さといい、このヒトはもしかすると・・・
「そなた、随分と知識が豊富なようだな」
「え?いえ、そのようなことは」
「俺も学ぶのは好きな方だが、そなたの話した内容は、一度たりとも聞いたことがなかった」
完璧すぎる容姿、美しすぎる立ち振る舞い、心地よすぎる声。
その姿から目が離せなくなり、その声に耳を傾けたくなる。
それはつまり、魅入られているということ。
このままでは、取り殺されるかもしれない。
そっと腰元の剣に手を添えると、彼女は困ったように首を傾げた。
「それは、当然のことではございませんか?」
「当然、とは?」
「南方を追われ、東軍に助けを求めたのは宵の歴史にございます。あなた様の国では、おそらく悪しき「異能者」を遠ざけたという事実のみが伝わっているはず。その背景に存在する鎮守様や水神の湖のことなど、初めから記録には残っていないでしょう」
「記録に残らない?」
「今しがた私が申し上げた内容は、故郷を追われた敗者だからこそ、残された記録にございます。それに、あなた様の暮らす暁は、とても豊かな国だと聞き及んでおります。国境近くの危険な地まで、わざわざ薬草を取りに来る必要などないはず。この地との縁が自然と薄れてしまえば、この地に関する知識など必然的に消えてしまうでしょう」
「必要のない知識は消えていくものです」と、断言された言葉は理にかなっている。
そう、彼女の言葉は、最初から理路整然としていた。
普段は誰かと会うことなどない森で、敵国の人間が、目の前に剣を構えた状態で姿を現したというのに。
そんな状態の敵兵が目の前に現れたとして、普通の女人が会話など続けられるはずがない。
「・・・そなたは、薬草を取りに来ていたのか?」
「はい、仰る通りにございます。この地は宵では育たぬ植物が豊富な上、西軍の方々が足を踏み入れることはまずありません。鎮守様の機嫌さえ損ねねば、とても安全に良質な薬草が採取できる地なのです」
「そうだったのか・・・ならば、西軍の人間である俺が姿を現した時は、さぞ驚いただろうな」
「えぇ、とても。この地にはよく足を運びますが、暁の方はもちろん、誰かとお会いすること自体、あまりありませんので」
「宵では、それほど頻繁に薬草が必要になるのか?」
「いえ、戦時中ではございませんので、それほどでは。ただ、風邪薬や傷薬など、日常的に使用する薬の類でも、ここの薬草が必要なことが多いのです」
「薬師をしているのか?」
「そのような者ではございません。薬草を煎じることは、どの家庭でも一般的に行われております。私はただ、植物が好きなだけです。それで人より少し詳しいので、まとめて採取しております」
質問に対する答えは的確で、その声は心地よい美声ということを除いても、とても聞きやすい。
結論を先に答え、理由を述べるこれは、答弁に慣れた者の話し方。
暁の文官長と名乗っても、差し支えないほどの力量だ。
これほどまでに弁が立つ人間を、俺は一人しか知らない。
それに彼女の持ち物であろう籠に掛けられている布、あれは東軍の物だ。
「そなた、武人に仕えているのか?」
「え?」
「その紋様、東軍の意匠であろう?」
布の端に金糸で縫われている紋様は、東軍の将、青龍の紋だ。
そして東軍の中でも、金糸で縫うことを許されているのは将以上。
となると、彼女の主は少なくとも一個連隊、大軍を率いることが許されている東軍の主要人物。
その従者が、一人で国境を越えている。
柄にかかる手に、自然と力が入った。
そんな俺を見て、彼女は静かに布を手にすると、その場に広げて見せた。
「これは、ただの古布です。宵は暁と違って資源の乏しい国ですから、国王の物でも東軍の物でも、民の元で再利用されるのは日常茶飯事。上の方達は総じて、少し汚れただけですぐに処分してしまうでしょう?」
広げた布には、端の方に赤黒い染みが少しだけ残っていた。
よく見なければ大して気にもならない染みだが、真白で上質な絹にあるとなれば、確かに処分対象になってしまうだろう。
貴族は皆、穢れを嫌い、真新しいものを好む。
その傾向は、暁でも宵でも同じらしい。
「この布は、おそらく東軍の者が怪我人を手当して、そのまま捨てたのでしょう。血抜きをして、煮沸もしたのですが、落ち切りませんでした」
「処分品を、もらったのか?」
「もらったと言うよりも、定期的に廃棄品が市中に出回ると言った方が正しいでしょうか。ある程度不用品が集まると、大々的に市が立ちますから」
「そこで買ったと?」
「そういう意味でしたら、貰い物ですね。良質な布が出たら、多めに回してもらうように頼んでいますので。これはその買い物をした際、使い勝手が悪いからと残っていた物を無償でいただきました」
「高級品で、質は良いだろう?何故、使い勝手が悪いのだ?」
「東軍の紋様が入っているからです」
「え?」
「現に私は、この紋様の入った布を持っていたから、あなた様に剣先を向けられそうになっているのでしょう?」
言いながら、青龍の紋様を見つめていた視線が、ゆっくりとこちらに向けられた。
その黒曜石のような瞳と視線が交わった瞬間、思わず息を飲む。
真っ直ぐこちらを射抜くように見詰める瞳には、研ぎ澄まされた刃にも似た鋭さが宿っている。
「柄から、手をお離しになった方が宜しいですよ。鎮守様がざわめいております」
感情のこもらぬ冷たい声で、淡々と告げられた言葉。
その冷ややかさと向けられた静かな殺気に、背筋に冷たいものが走った。
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