4. 森の住人

「このままですと、あなた様は殺されますよ」


耳に心地良い美声が放つ、悍ましい言葉。

目の前に居るヒトが、あまりにも現実離れした美貌を持つからだろうか。

それとも、あまりにも飛躍した言葉を放たれたせいか。

言葉の意味が、全く頭に入ってこない。

今、このヒトは俺が殺されると言ったのか。


「な、ぜ・・・」

「え?」

「何故、だ?・・・ここは、この森は、中立地点ではなかったのか?両国間で、争い事が禁じられているはずだろう?俺が、殺されるだと!」


彼女に当たったところで仕方がないとわかってはいても、思わず強くなってしまった言葉。

声を荒らげる俺に、彼女は驚いたように目を瞬かせた。

そして、信じられないと言いたげに口を開く。


「暁の方は、鎮守様をご存知ないのですか?」

「鎮守様?」

「森の住人のことにございます」

「森の、住人?」


自分の言葉をただ繰り返す俺に、彼女はそっと口元を覆った。

恐らく、自分達が常識として知っていた「暗黒の森」に対する知識を、俺が全く知らなかったことが信じ難いのだろう。

彼女はその事実に驚きながらも、このままでは話が進まないと思ったのか、「森の住人は文字通りこの森に住まうモノ達です」と説明の言葉を付け加えた。


「ここ「鎮守の森」に古来より住まうモノ達を、我ら宵の民は「鎮守様」とお呼びしております。彼らは字の通り、森を守るモノ達ですから・・・外敵は、自然と排除しようとするのです」

「外敵・・・」

「西軍の方々はその・・・あまり鎮守様に好かれてはおりませぬゆえ、敵視されてしまうのでしょう」


「ここに来るまでに異変はございませんでしたか」と問われた言葉で、全てが腑に落ちた。

この森に足を踏み入れた瞬間から感じていた恐怖と、別世界に放り込まれたかのような孤独感。

あれは、森の住人が俺を追い出そうとしていたに違いない。

ここは、暁からも宵からも独立した特別な場所。

この森自体を一つの国として考えれば、森に入ろうとした時の、侵入者を拒むかのような現象の数々にも納得がいく。


「確かにこの森に入った時から、まるで城攻めをしているかのような気持ちにさせられていた。なるほど、ここは彼らの城。森の住人たちの住処だから、ここは中立地帯なのか」

「左様でございます。鎮守様が、森を穢すことを許しませぬゆえ」

「森を穢す、か・・・」


それはつまり、西軍の人間は森を穢す者と思われているということか。

暁では森に近付くことを禁じているというのに、何故そのように思われているのだろう。


「そなたは俺たち西軍の人間が、何故ここの住人たちに厭われているのか、知っているのか?」

「それは、西軍の方々が「水神の湖」を穢してしまったからです」


柔らかな口調で発せられた言葉は氷のように冷ややかで、思わず息を飲む。

彼女の様子は何一つ変わらないが、今、明確に敵意を向けられた。

一瞬のこと過ぎて、気のせいだと断じてしまうのは簡単だが、向けられた殺意には死を実感させるほどの重みがあった。

唖然としながら彼女を見ると、彼女はまじまじと自身を見つめる俺と距離をとるように、僅かに後ろに下がった。

まずい、このままでは彼女に出会った時と同じ状況に陥るだけだ。

また、彼女に逃げられてしまうかもしれない。


「た、確かに「水神の湖」は、西軍が開拓した地に違いない。だが、あそこは湖と遺跡があるだけで、荒廃した未開の土地ではなかったか?」


会話を続けるために慌てて言葉を紡ぐも、この内容では彼女と会話を続けるのは難しかったかもしれない。

「水神の湖」は「異能者」が拠点としていた場所で、鬱蒼と茂る森の中に大きな湖が一つあるだけだと伝えられている。

古代遺跡が残っているという噂はあるが、宵のモノである彼女が他国の遺跡を研究しているはずもない。

あの場所は暁からは馬を走らせれば数日だが、宵からでは国境近くを出発点に考えても、一ヶ月はゆうにかかる。

そんな場所に、深窓の佳人のような雰囲気さえある彼女が行くはずもないというのに。


「いや、すまない。そなたに尋ねたところで、荒廃した辺境の地など、わからないよな」

「荒廃した辺境の地、ですか・・・あの地が、鎮守様の神域にございますよ」

「鎮守様?彼らの神域はここだろう?あそこは元々「異能者」の住処。何故、森の住人が出てくる」

「確かに、表立って暮らしていたのは異能を有する者たちです。しかし、彼らは鎮守様より土地を借り受けていたにすぎず、元は鎮守様の神域にございます」

「そうなのか?西軍が開拓時に「異能者」と接触した記録はあるが、「鎮守様」などという文字は一度も出てこなかったはずだが」

「暁は、開拓することで領土を広げている国ですから。その度に土地に住まう精霊や土地神との交渉など、してはいないのでしょう。あなた方には、見えていないのでしょうから」


言いながら、彼女がふと俺の背後に視線を向けた。

その視線を追うように振り返るも、そこには何もない。

これが、「見えていない」ということなのだろうか。


「知覚できない異種族との共存は、容易ではありません。宵の民は系譜を辿れば精霊に近しい存在ですが、暁の方々は全く違う系譜を辿っています。鎮守様と共存する道を歩んでいた宵の民は、この地に出入りすることが許されております。しかし暁、特に西軍の方々は水神の湖を穢し、鎮守様を放逐してしまわれましたから」

「故郷を追いやった俺たちは、嫌われていると」

「煎じ詰めれば」

「そんなことが、あったのか。俺は、何も知らないんだな」


この森のことも、「鎮守様」と呼ばれるモノのことも。

もちろん「水神の湖」のことなど、全く知らなった。

幼い頃より勉学に励んでいたつもりだったが、彼女の口から語られた内容は、一度たりとも見聞きしたことのないものばかり。

暁で故意に隠されていた真実なのか、それともこの者が知識人なのか。

そうだ、そもそも何故、このような女子が一人で森にいるのか。

しかも暁が夜ということは、宵の国では皆が活動を停止している昼のはず。

それなのに、彼女はどうして何事もないかのように一人で行動しているのだろうか。

彼女は、一体・・・

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