3. 黒を宿すモノ

「良いですか、朱虎。「黒」を宿すモノには決して近付いてはなりませんよ。黒を宿すということは、夜の眷属ということ。我ら太陽を宿す者とは相容れないのです」


亡き母上が、亡くなる直前まで言い続けていた事。

決して「黒」を宿すモノに近付いてはいけない。

黒は「異能者」の色で、暁で生きる人間にはありえない、恐ろしく忌まわしい色。

散々そう教え込まれていたというのに、初めて見たその色は、とても美しいと思った。

陽の光を受けて銀色に輝く漆黒は、闇夜よりなお黒いというのに、言葉には出来ぬ温かさがあって。

それはまるで、闇夜を柔らかく照らす月のよう。


「あの髪の長さと体格・・・女か?」


こちらに背を向けているために顔は見えないが、腰まで伸びた長い髪に、華奢な体躯。

切り株の上に置いてある籠にせっせと薬草を摘んでいる姿を見るに、城仕えの女官か何かだろうか。

遠巻きに見ただけで上質と分かる着物から覗く手足は細く、こんな森に一人で居るには相応しくない。

いや、それ以前だ。

それ以前に、アレはこの世に存在していて良い類いのモノではないのだろう。

座り込んだ背中は、漆黒の髪と白い手足が確認できる程度だというのに、ソレはあまりにも美しい。

美し過ぎて、目が離せなくなる。


「マズイな、早くこの場を立ち去らないと」


このままアレを見ていたら、きっと魅入られてしまう。

「異能者」に魅入られた人間は心を失い、時には死に至るという。

あの様子ならば声をかけない限り、こちらに気が付くことはないだろう。

そっとその場を立ち去るため、一歩後ろに下がる。

すると抜き身のまま手にしていた剣が木の幹に当たり、思いの外大きな音が森に響き渡った。


「誰!?」


驚いたように立ち上ったヒトから発せられたのは、鈴を転がすような澄み切った美声。

髪と同色の瞳は宝石のように煌めき、陶器のように滑らかな肌は透き通るほど白い。

あらゆる美を惜しげも無く閉じ込めて形にしたような、異常なまでに整った顔立ちの、美し過ぎるヒト。

あまりの美しさに思わず目を離せずにいると、身を硬くした彼女が数歩後ろに下がるのが見えた。


「あ、怪しい者ではない。ちょっと、この森に迷い込んでしまっただけだ」


そう言いながら彼女の前に姿を曝すも、彼女はますます身構えてしまう。

慌てて剣を鞘に戻し、両手を上げて敵意がないことを示す。

自分が宵の人間に会うのが初めてなように、彼女も敵国である暁の人間と会うのは初めてなのだろう。

このまま彼女に悲鳴を上げて逃げ出されでもしたら、それこそ戦が始まってしまうかもしれない。

彼女はきっと、敵軍の自分が自国の偵察に来ていると思っているのだろうから。


「俺は暁、西軍に属する朱虎だ。驚かせてしまったのなら、すまない。だが、少しで良いから話を聞いてほしい。俺はそなたの国を偵察に来たわけでもないし、敵対の意思も全くない。抜き身の剣を手にしたまま姿を現しておいて、こんなこと信じろというのは確かに無理な話かもしれないが。どうか、信じて欲しい」


言いながら頭を深々と下げると、少しずつ後退していた足が止まった。

ゆっくりと顔を上げれば、まだ不安そうな表情を浮かべてはいるものの、逃げ出す様子は見られない。

話を、聞いてくれるつもりになったのだろう。

ならば、彼女が宵に戻ってしまう前に、少しでも多くの誤解を解いておかなくては。

とはいえ、いったい何から話せば良いものか。

そう思案していると、彼女が先に口を開いた。


「あなた様は偵察に来たのではないと仰いましたが、敵情視察ではないとすれば、いったい何用で国境を跨ぐ森に参られたのですか?暁の中でも、特に西軍に属する方々は、甚くここを嫌っていると聞き及んでおりますが」

「あぁ、実は一度「暗黒の森」が見てみたくてな。だが想像以上に国境が遠く、これでは日が落ちるまでに戻れないので、中立地帯であるこの森で夜を明かそうかと思った次第だ」


下手に誤魔化しでもしたら疑われるかもしれないと、包み隠さず事実を述べてから我に返る。

これでは、結局ただの言い訳にしか聞こえないのではないだろうか、と。

しかしそんな心配は必要なかったようで、彼女が理由については追及してくることはない。

そのことに胸を撫で下ろしていると、彼女は口元に手を当てて、少し考えるような素振りを見せた。


「あなた様の仰る通り、暁では既に夜が更けていることでしょう。ですが、この森で一晩を過ごすというお考えは、改めた方が宜しいかと存じます」

「何故だ?」

「このままですと、あなた様は殺されますよ」


天女が奏でる楽のように美しい声が放つ言葉に、目の前が暗くなった。

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