鴉と灯火
「ここがあかりの家? おっきーい!」
「……ううん、おばあちゃんの家。わたしの家はもっと小さいよ」
「そうなの? つまんないのー」
庭を突っ切り、靴を脱いで縁側に上がり窓を開けた。ぴょんと
「うわっ、いきなり何するの! くすぐったいーっ!」
「泥だらけの足で中に入ったら部屋が汚れて怒られるかもしれないから……」
笑いながら身を捩る朽葉を庭に降ろし、タオルを取ってこようと立ち上がると朽葉と
「これで家の中を汚さずに移動できるでしょ?」
あかりは思わず、まるで昔話に出てくる觔斗雲の様だ、と心の中で呟いた。確かにこれなら問題なさそうだ。
「それで、その卷属とやらはどんなのに封印されてるの?」
「絵じゃ。さほど大きくはない、山と空の絵じゃ」
「……ああ」
確か、そんな絵が玄関に飾られていた。夕焼けの中、黒々とした雄大な山の上を小さな鳥が何羽か飛んでいた。
「心当たりがあるのか?」
「うん。多分あれだろうなってのが」
「ならばさっさと済ませてしまおうぞ。それはどこじゃ?」
「こっち」
あかりは玄関に向かって歩き始めた。その周りをふよふよと三匹が前後しながら飛びまわる。真っ暗な家の中、朽葉が狐火を出してあたりを照らしてくれたが、その青白い光に古びた家という組み合わせが嫌な方向にマッチしていて、なんとなくお化け屋敷を探検している様な気分である。
「あった。これであってる?」
「それじゃな」
あかりは絵を持って壁から取り外し、しげしげと眺める。何の変哲もないフツーの油絵にしか見えない。
「これを……壊すの?」
「そうじゃ。鋏か何かで切り裂いてしまえばよい」
「ねえ、その結界とやらって大きな音出しても気づかれない?」
「愚問じゃ」
蘇芳の返事を聞き、あかりは頭の上に高く持ち上げた絵を地面に向かって叩きつけた。木が割れ、ガラスの砕ける派手な音が響き、ばれないと分かっていても一瞬背筋が寒くなった。
「よし」
絵はまだ無傷だが、額縁がいい感じに割れて壊れている。満足気なあかりに、
「絵は傷ついてないよ?」
と檜皮が不思議そうに話しかけた。
「うん。普通に切り裂いたら怒られそうだから、絵が偶然落ちた時に運悪く破れちゃった風にしたくて」
昨日の今日で、しかも故意に絵をダメにしたりしようもんなら、どれだけ怒られることやら。そんな事態は何が何でも避けたい。あかりは割れて尖ったガラスを手に取り、一瞬躊躇ってからビッと絵を切り裂いた。
「……これでいいの?」
「大正解だよお嬢ちゃん。ずいぶんと悪知恵が働くんだなぁ! いーい性格してるぜ、まったく」
楽しげな声と共に黒い影が飛び出してきて、あかりの視界を覆い隠した。ばさばさという羽ばたきの音が聞こえて、目線を上げると闇に紛れる様にして大きな鴉が羽を広げていた。
「出してくれてありがとな! っと、こっちの姿の方が馴染みやすいか?」
鴉がすーっとあかりの目線まで降りてきて、よいしょぉ! という掛け声とともに人間の姿へと変化した。山伏の様な格好で、肩までの長さの髪の毛を後ろで一つに括っている。服装以外は、なんだかヤンチャしてそうな危ないオッサン、といった雰囲気だ。
「相変わらず詰めが甘いぞお主」
蘇芳が呆れたように言って、男の足元に目線を落とした。釣られて目線を下げればなるほど、袴からのぞくその足は人間のものではなく、紛れもない鳥のそれである。
「これのが楽なんだよ、わざとだわざと!」
ほっとけ、と男が悪態をつく。
「んで? 灯子の娘だっけかアンタ」
「孫のあかりです」
「……ああ、あれか! むかーし来てた気がするなそーいや。ほー、あのちっけえ猿みたいなのがもうこんなに。俺は
「一応?」
「嫌いなんだよあの狼共。お高くとまりやがって……。ま、それはそうとなんで俺と蘇芳の封印が解かれてるんだ? あのばーさんはどうした?」
「この者が誤って吾の封印を解いてしまっての。それで真神どもがお主の封印も解けと。灯子様は死んだそうだ」
「なーるほど。ってか死んだのか。人間はすぐ死ぬなぁ……線香の一本でもあげとくか」
「まだお葬式済んでないから、それは無理かも」
「ありゃ。んじゃ念仏でも唱えときますかね」
「やめとけやめとけ、お主の様な者が念仏なぞ唱えてみろ、口が腐り落ちるぞ」
「ひっでえの」
蘇芳と橡が軽口を叩きあう。同じ悪口の応酬でも狼達とは仲が悪げなのに対し、橡とは随分と親しげだ。
「……よし、これでわたしの役目は終わり?」
「まだよ。もう一つ、大仕事が残っておる」
「まだあんの……」
あかりは大きな溜息を吐く。この分だと、今日の夜はとても寝られそうにない。
「ははは、ご愁傷さまだなお嬢ちゃん」
完全におちょくる様なその口調にあかりは眉間の皺を深くする。出会って早々だけど、この妙に軽い鴉を好きになれそうにない。
「何? 何すればいいワケ? もうさっさと終わらせたいから早く教えて」
「荒れてんなぁ」
「いきなり訳も分からずこんなヘンな事態に巻き込まれてんだよ? 荒れもするよ」
おー怖、と橡が薄ら笑いを浮かべ、あかりを励ます様に朽葉と檜皮があかりの頬に顔を擦りつける。
「オレ全力であかり手伝うから! 元気出して!」
「僕も。出来る事少ないかもしれないけど、頑張るね」
「……ありがとう……」
あかりは少し埃っぽい二匹の毛皮を交互に撫でる。二匹の純粋さと可愛らしさが、今は唯一の癒しである。
「それでは行くぞ」
「何処に?」
「霧館の頂上近くにある小さな泉よ。そこが全ての発端だからの」
「……へぇ」
発端。そういえば、今まで流されるがままに行動していたけど、そもそも約束とは何だったのだろうか。祖母は彼らとどんな関係だったんだろう。
「ねえ、朽葉と檜皮っておばあちゃんとこいつらの約束が何だったのか知ってたりしない? 今更何だけど気になっちゃって……」
あかりは横を向いてこそっと二匹に聞いてみる。すると、二匹が口を開く前に橡が
「なんだぁ、あんた知らなかったのか。俺が教えてやろうか」
「うるさいなぁ、わたしはこの二匹に聞いてるの」
「……ごめんあかりさん、僕達が霧館に来たの割と最近で分からないや」
檜皮が申し訳なさそうに目を伏せた。あかりはウッと息を詰まらせる。視界の端では、橡が癇に障るニヤニヤ笑いを浮かべている。……意地でも教えてくださいなんて言うもんか。そんなあかりの心境を察したのか、檜皮がますます申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
「もったいぶらずに教えてやればよかろうに。そもそも事の起こりを知っておいてもらわねば話しにならぬぞ」
蘇芳がふよふよと漂ってきて、橡の頭に腰を降ろした。橡はなんで俺が、と言いながら蘇芳を追い払い、あの狼共が困ろうと俺には関係ないね、と毒づく。卷属だという割には妙に険悪である。
「……噛み殺されるぞお主」
「出来るもんならやってみろってんだ」
「ほう、ならば、今この場で私が引導を渡してやろう」
いつの間に近くに来ていたのか、背後から音も無く現れた銀色の狼が目にもとまらぬ速さで橡を捕らえた。その銀の毛皮より、もっと美しく輝く白い牙がみりみりと音を立てて橡の身体に食い込んでいく。
「ちょっ、ちょっと待て冗談だっつの! おいマジふざけんなマジで死ぬ卷属が死んだら困るのはテメェ等だろ!」
「次を探すまでよ。何、貴様よりましな卷属を探すのはそう難しい事ではない」
「待て待て待て早まんなオイ! 悪かった悪かったって、ちょ、死ぬ死ぬ大怪我するっつの悪かったっつってんだろ!」
「次は無いぞ」
橡を睨みつけると、白銀はあかりに向き直り軽く頭を下げた。
「先程は、急に居なくなるという無礼を働き誠に申し訳ない。……少々問題が発生していたもので」
「問題?」
「ええ。……そこの小魚めの主人がおイタをなさっておいでで、どうにも収拾がつかず」
白銀がジト、と蘇芳をねめつけ、蘇芳は口を尖らせて顔を顰める。
「そんな顔をされた所で、小葵様が吾等卷属如きの話を聞く訳無かろう」
「……まあ何と情けない事。主人が間違った時にそれを諫める事ことこそ真の忠義であると いうのに」
「なにも知らぬまま勝手を申すな。挙句言わせておけばお主小葵様を間違っているなどと、よくもまあ抜け抜けと。その小うるさい口をさっさと閉じやれ、胸が悪うなるわ」
「なにを――」
「真の忠義から申し上げるとよ、アンタそこで蘇芳と喧嘩してる場合じゃないんでないかい? あかりちゃんも困惑してるぜ」
頭上から投げかけられた小馬鹿にするような橡の声に、嫌味の応酬を繰り返していた白銀の口が歪められる。性格については好きになれそうもないが、二匹の喧嘩を止めてくれるのは素直に有難い。
「なんだよ、主人にきっちり意見すんのが真の忠義なんだろ? 俺はアンタの言葉に従ったまでだぜ」
白銀の口が何か言いたげに開き、そのまま閉じる。
「では、さっさと向かいましょうか。物の怪道を使っても少々時間がかかりますが、ご容赦を」
どうやら白銀は橡を完全に無視する事に決めた様である。ここで今度は白銀と橡の二匹――ではなく一匹と一羽――の言い争いを見せられても不毛なだけなので、あかりはほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあまた僕馬になるね」
檜皮がそう言って馬に変化し、体勢を低くしてあかりに背中に乗る様に促す。あかりがお礼を言ってまたがると、ピョンと朽葉もあかりの前に飛び乗ってきた。
「へへ、特等席ー!」
「あっずるい朽葉」
「では向かいますよ。詳しい話は道中お話致しましょう」
先頭を白銀が歩き、そのすぐ後ろにあかりを乗せた檜皮がついていく。あかりの目線の高さをふよふよと浮かびながら蘇芳が漂って、橡はと言うと、いつの間にかちゃっかり檜皮のお尻に腰を落ち着けていた。
「……あかり殿は、この山には大きな池があるのをご存知ですか? そもそも、この山はその池をこの蘇芳の主、小葵が治め、それ以外を我等真神が治めていたのです。ですがある日、あの蛇――小葵めが池に加えあの泉まで自らの治めるべきものであると言いだしまして――」
「何を申すか、池に限らず、川を含めた水辺は小葵様の領分である事は自明の理じゃろうて。それをお情けで貴様ら陸の者共にも使わせてやっていたのに、そち等が増長し、あたかも泉が自分の物であるかの様に振舞う故、改めてここは小葵様の治める所じゃと示したまでであろ。言い掛かりも甚だしい。寝言は寝て言いやれ」
「それはこちらのセリフですよ。小葵の領分はあの池と、お情けで川も含んでやってるのであり泉は含まれていない、そう決まっていたでしょうに」
「決まってはおらんわ愚か者。百歩、いや千歩譲ってそうだったとて、なぜあの泉が貴様等のものになる」
ああ、また始まった。あかりはげんなりとして朽葉の毛皮に顔を埋める。朽葉が驚いている気配がするが、嫌がってはいない様なので、調子に乗って抱きしめる。
「……そもそもとして、あの泉は霧館に生きる全ての者達の生命線だから誰の物ともしないって暗黙の了解だったじゃねえか。それを今更、あーアホらし」
「黙りやれ、能天気な鴉風情が」
「黙れ橡。貴様に意見される程この白銀、落ちぶれてはおらぬわ」
「ハイハイ黙りますよっと。だーからヤなんだよ、あそこ絡むとどいつもこいつもピリピリしやがる。ま、白銀がイヤなヤツなのはピリピリしてようがしてまいが変わんねぇけど」
白銀と蘇芳は声を荒げてお互いを罵り合い始めた。なまじ二匹とも言葉遣いはやたらと丁寧なだけに、内容は聞くに堪えない悪口雑言の応酬なのが不気味である。言ったら火に油だろうから言わないけれど、この二匹実はかなりの似た者同士なんじゃなかろうか。
最早二人とも、あかりに事の発端を説明するという本来の目的を完全に見失っている様だ。
「ねえ、今言ってたの本当?」
さっき意地でも教えてくださいなんて言うもんか、と決意したのを早々と翻してあかりは橡に話しかけた。さっきの口調を聞く限り、橡が一番客観的にどっちにも肩入れせずに教えてくれそうだ。こいつに教えてもらうのは癪だが、言い争う二匹の会話を聞くよりは何倍もマシである。
「ん? 本当だよ。俺はこー見えて白銀のやつより長生きだから物知りなんだぜ。あの湧き水から生まれる清水が川を作り土を潤し、あの山に生きるもんを生かしてるんだ。当然真神共だって水が無きゃ生きられねぇし、小葵の住む池の水だって元はと言えばあの湧き水から来てるんだよ。どちらが治めたって角が立つし、そもそも治めようってのが馬鹿な話さ。だからどっちのものでもないって暗黙の了解が成り立ってたんだ」
「へえ。それがなんで今こんな事に?」
「数十年前にこの山で稀に見る水不足が起こってな。真神共も苦労してたが、それ以上に水に住む小葵が、池を守るのに相当難儀したらしい……ってのは蘇芳に聞いた話だけど。んで、どーもそれから小葵が口に出さないまでもあの泉は自分の治める所だって雰囲気を醸し始めたんだよな」
「なるほど……。確かに水が無くなったら魚とかも死んじゃうもんね」
話し方は軽いが説明はまるで見てきた様に簡潔で、分かりやすい。というか、さっきは流してしまったが、白銀より長生きって本当なのだろうか。見てきた様に、というか実際見ているのかもしれない。一体何年生きているんだろう、この鴉。いや、この疑問は橡だけにはとどまらないのだけれど。
「ま、でもちょーっと真神と小葵がギスギスしてた程度だったんだよな、しばらくは。決定的だったのは真神のボスの代替わりが起こった時だ。ちょうど、灯子が全盛期の時だよ」
「ボスの代替わり?」
「そ。それまでは
「ああ……」
あかりの脳裏に、長という割には妙に威厳も気迫も感じられなかった青みがかった濃い灰色の狼の姿が浮かぶ。なんか長らしくないと思ったらそう言う事だったのか。と、すると名前的に白銀は前の長の補佐をしていたのだろう。それなら新しいボスの青鈍よりも貫禄があったのにも納得だ。
「んで、新しくボスになった上に若いもんだから下の奴らの信頼もいまいち得られない。その上直近の問題としては山の生命線ともいえる泉を私物化しようとしている蛇がいる。……もし万が一泉が小葵に奪われでもしたら、真神のボスとしての面子は丸潰れ。真神共は気が荒いからな、コイツじゃ頼りないと一度思われたら、最悪ボスの座を奪われただのノケモノになり果てることだってある。青鈍としては強硬な態度に出るほかなかったという訳だ」
その結果、狼達と蘇芳――というかその主である小葵は険悪になり、今に至る、ということらしい。
「なまじ黒金が俺から見てもアホみたいに優秀なボスでなー。青鈍の野郎、実力はまあまあなのにどーも黒金に気後れしてる節があんだよな。先代の事なんざ気にせず堂々としてりゃいいものを――」
青鈍と前のボスの関係なんて正直あかりにとってはどうでもいい事である。あかりは、嘲笑の混じった青鈍批評を強引に切り上げ、
「で、おばあちゃんはそれにどう関わっていて、どう対処していたの? わたしはおばあちゃんの真似すればいいの? その場合着いたら何すればいいの? わたしは力なんて受け継いでないしやり方も分からないから、出来ない事の方が多いと思うんだけど本当にわたしが行くだけで終わるの? またなんかしち面倒くさいさせられるんじゃないの?」
「お、おう。質問が多すぎやしねぇかい? まあ優しい俺は答えてやるけどよ」
「生意気な口ばっかきいてると羽毟って焼き鳥にするよ」
苛立ちに任せて言い放つと、橡はおー怖、とおちょくった様に呟きながらも全身の羽を膨らませ、よちよちとあかりから微妙に距離を取った。橡の口調に反して、今の言葉はあかりの想像以上の効力を持っていた様である。
「順番に答えると、まずばーさん……もとい灯子はそこの争いの調停役を務め、見事その争いを収めたんだな」
「どうやって」
「それを、今話すとこだっつの……。灯子は、その問題を保留にするって形で解決したんだ」
「何それ、矛盾してるじゃん」
「あーもう! ちゃんと説明してやるからいちいち突っかかんな! 気持ちは分かるが八つ当たりするにしたって説明中にすんじゃねぇ!」
「……」
それはまあ、確かにその通りである。あかりは口を尖らせて檜皮の規則正しい足並みが生み出す心地よい揺れに身を預けた。橡はフンッ、と息を吐き出すと仕切り直すかのように咳払いをし、話を続ける。
「あん時の灯子はなんつってたかな……ま、正確じゃなくても構わねぇか。確か、この問題は酷く難しい問題であり、決着をつけるのには長い時間がかかる。その為、決着がつくまではこの泉を誰の治める所ともせず、この山の生きとし生けるもの全てに平等に解放されるものとすべし……とかなんとか、まあそんな感じだったぜ。んで相手が決着のつく前に約束を破ったらどうするんだとゴネる奴らの為に、お互いの卷属を灯子管理の元封印するって取り決めをしたんだ。もしどちらかが約束を破ったら、封じられた卷属は永遠に返ってこなくなる」
「ごめん、一個気になるんだけど、蘇芳はともかくあんたで人質の意味あったの? どうも狼達と凄く仲悪いみたいだったし」
「ん? ああ。白銀の野郎はああ言ってたが、卷属ってのはそうそう簡単に取り換えが利くもんじゃないんだぜ? まあ、いい機会だからずば抜けてめんどくせぇ俺を厄介払いしてやろうって魂胆はあっただろうけどよ」
「へぇ……。というか、狼の卷属あんたの他にもいるんだ。しかも他の卷属はあんた程反抗的じゃないんだ」
「そりゃ他の卷属もそりゃちゃんといるぜ。まあ、今は黒金が高天原行く際に半分ほど連れてっちまったから数は少ないけどな」
まあ眷属の話はこれくらいにして、と橡は咳払いをして話を元に戻す。
「ま、灯子にしてみりゃどっちが正しいと言っても泥沼だし下手すりゃ真神と小葵の全面衝突にもなりかねない。そうなりゃ迷惑被るのは、何より誰より霧館に生きるただの生き物達だ。人間にしちゃ中々の英断だったと思うね、俺は。そんで、お察しの通り灯子はそもそもこの問題に決着をつける気はなかったんだ。とりあえずその場はああ言ってあいつ等を宥め、たとえ数十年後かそこらに決着がつかない事に焦れたあいつ等が怒鳴りこんできたとしても、灯子はとっくに骨になって墓の中。残るのは決して決まる事の無い泉の所有権と、灯子とあいつ等との間に結ばれた約束のみ。これで泉の所有権の問題は綺麗に丸く収まって万々歳――と、なる筈だったのが、灯子そっくりの強大な力を持ったどっかの女の子が蘇芳の封印を解いちまったもんで話がこじれ出した」
「……ハイハイ誠に悪うござんしたね軽率な行動をとって。その後は知ってる。説明なんかいらない」
あかりは苛立ち混じりの溜息を吐いてそっぽを向いた。いちいち嫌味ったらしいったらありゃしない。腹が立つので羽を毟り取ろうとするかのように手を伸ばしてみせると、橡は慌てふためいて空中に逃げ出した。
「なっにしやがんだ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ橡を完全に無視して、あかりは目を閉じて俯いた。この問題を双方納得するように解決するには、祖母と同じ方法を取る以外に無いだろう。一瞬、もういっそどっちに所有権があるか決めちゃえば面倒くさくないか、とも思ったが、小葵の方を正しいとすれば真神に噛み殺されかねないし、真神が正しいと言ってもきっとロクな事にならないだろう。だとすれば、またその条件で両陣営を納得させなくてはいけない。しかし、あかりには封印の技術なんて無いから祖母の様には出来ない。
ああ、本当になんて事に巻き込まれちゃったんだろう。
あかりは溜息をついて頭を抱えた。朽葉が心配そうにあかりを見上げている。
「あかり、大丈夫?」
「んー……うん。がんばる」
どうすればいいだろう。どっちのものでもない、と納得させられればそれが一番いいのだけど、それが出来たら祖母だって卷属の封印なんて手は使わなかっただろう。それなら、期間を決めて交互に使わせる? でもそれだとお互い自分達が治める期間の間は、お互いを絶対に近寄らせないだろうから水を飲めない、使えないという事態が起こりそうだ。ならいっそ自分が預かるという形にしてみたら――十中八九、いや十中十殺される。
とりあえず、どっちのものでもないという形で説得するしかない。
あかりはそう結論を出し、深々と溜息をついた。説得して聞いてくれるとも思えないが、それ以外に正解は思い浮かばない。やるしかないのである。
「あかりさん大変そう。手伝えることがあればいいんだけど……」
馬に化けている檜皮がぶるると鼻を鳴らした。
「でも、橡さんの話聞いたかぎりどう決着つけても角が立ちそうだよね……。灯子さん、やっぱり凄かったんだなぁ」
それには完全に同意である。同意ではあるが、こんな面倒くさい事を後世に残すんだったらもっと壊れにくいものに蘇芳を封印してればよかったのに。と恨めしくも思う。風鈴なんて壊れやすいものに封印するからこんな事になるんだ。もしくは最低限、封印のやり直し方でも残しておいてほしかった。仮に狼たちの言うとおり、本当に祖母の力を受け継いでいたとしても、使い方が微塵も分からないんじゃ宝の持ち腐れである。
「そうだ、さっきみたいに無理矢理言う事聞かせられないかな!」
ふいに、あかりの頭に声だけで真神達を従わせたときの事が蘇った。あの時みたいに言う事を聞かせられたらそれが一番簡単そうだ。
「うーん、それはたぶん無理だと思う……」
良い解決方法を思いついた! と声を弾ませるあかりに、檜皮が申し訳なさそうに言った。
「物の怪の調服はそれなりの技術と力が必要なものだし、失敗すればもの凄い怒りと恨みを買うよ。それに真神達や、
「えっ、じゃ、じゃあさっき怒鳴って言う事聞かせたのは?」
「一時的に気迫と勢いで言う事聞かせるのと、半永久的に従属させるのとは全く違うよ」
いい考えだと思ったけど、ダメだったか。あかりは溜息をついて項垂れる。
「なーんか物騒な話してたな。調服とかやめとけよ。素人が下手に手ェだしたら大火傷するぞ」
「はいはいはい」
と、それまで何か考え込んでいる風だった朽葉があっ、と叫んで目を輝かせた。
「ねぇねぇ檜皮、天狗様呼んで来てみない? 天狗様ならこの事態も上手く治めてくれるかも!」
「無理だよ。いくら天狗様だって他神のテリトリーに押し入って口出しはできないもん。真神達と小葵ってのが天狗様に助言を乞うたとかなら話は別だけど――あ、そっか!」
檜皮が唐突に首を上げ、勢い良くあかりの方に振り向いた。
「ぼく達が天狗様の所に行ってどうしたらいいか教えてもらえばいいんだ! 天狗様ならきっといい知恵を貸してくれる! それならいいじゃん! 朽葉、お手柄!」
「……そう? そっか、流石オレ! んじゃ早速天狗様の所に行こ! なるたけ早く!」
朽葉が檜皮の背から飛び降りて、ハヤブサに姿を変える。
「檜皮早く!」
「分かってるって! お姉さんごめんね、一旦降りて」
朽葉と檜皮の勢いに押され、あかりは言われるがままに檜皮から降りた。途端に、檜皮も朽葉と同じハヤブサに姿を変える。同じ鳥に姿を変えているのに、朽葉の化けたハヤブサは金の混じった様なグレーと少しアンバランスに見えるくらいの大きな翼で、腹や胸元の細かい模様は一切無し。檜皮のは赤茶のかかったグレーとシュッと細い飛びやすそうな体型に、細かく模様も再現されていて、と二匹の個性が窺える。
「すぐ帰ってくるから待っててね!」
興奮した様子でそう言い残し、二匹は驚くほどの速さで飛び去っていった。あかりは茫然としながらあっという間に小さくなっていく二匹の姿を見送った。
「あかり様、こ奴の勝手な言い分をどう思われる? はっきりお前は間違っていると言ってやってはくれぬか」
「あかり殿は聡明な方です。愚かな魚共の間違いを正し、私達真神の正しさを分かってくれることでありましょう。あかり殿、是非自分達は正しいと盲目的に信じてやまないこの愚か者に真実を告げてはもらえぬでしょうか」
「……」
そうか、朽葉と檜皮が居なくなったという事は、この二匹と橡との中にわたし一人取り残されたという事になるんだ。あかりは心底うんざりして肩を落とした。勘弁してくれ。
「…………向こうに着いたら、話す」
あかりの投げやりな一言に、白銀も蘇芳もまるで鬼の首を取ったかの様に勝ち誇り、相手を罵りだす。これを、説得できるとは到底思えない。天狗様とやらがどんなものかは分からないが、朽葉と檜皮がいい方法を持って帰って来てくれる事を期待するしかない。神――神格を持っているという事と、神であるという事が同意義なのかは分からないけど――を怒らせた人間は、どの昔話の中でも大概ロクな目に会わなかった。わたしもその愚か者たちの列に仲間入りする事は何が何でも避けたい。
「はあ……」
「……まあ元気出せ? 骨くらいは拾ってやっから」
頭に止まった橡を手で追い払って、あかりはのろのろと二匹の後に続いて山道を登った。
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