大口真神

 檜皮は狭く不安定な獣道をものともせず力強く山を駆け下りていく。朽葉の狐火は前に後ろに移動しながら、遅れることなく飛び続けていた。

「檜皮、ねえ、檜皮!」

「分かってる! 駄目だ、どうしよう……!」

「ど、どうしたの! 何が」

 そう口にした瞬間、あかりの耳が茂みの揺れる大きな音を捕らえた。朽葉や檜皮の立てた音ではないし、風で揺れた音にしては大きすぎる。

「ね、ねえ、今の音」

 次の瞬間、少し前を飛んでいた朽葉に、銀色の影が恐ろしい程のスピードで襲いかかった。

「ギャアッ!」

「朽葉!」

「オレより檜皮っ……! 前……!」

「なっ!」

 目の前に、巨大な黒い塊が立ちはだかる。檜皮がそれを避けようとして棒立ちになり、あかりは檜皮の背から滑り落ちた。

「あっ、あかりさんッ!」

「あいっ、たぁ……!」

 腰を強かに打ち、痛みに呻きながら身体を起こそうとしたが、黒い毛の塊があかりに伸しかかり、前足で押さえつける。

「ヤダッ! た、助けて!」

「あかりから離れろ!」

 咄嗟にあげた悲鳴に答える様に、通常の大きさを一回りも二回りも上回る巨大な猪が黒い塊に突進し、吹き飛ばす。一瞬新手が現れたのかと身構えたが、その猪にあるまじき黄金の毛並みは、見覚えのある朽葉のそれであった。

「檜皮!」

「任せて!」

 トンッ、と身軽にあかりを飛び越え、背に隠し守る様に立ちはだかったのは、朽葉に負けず劣らず大きな堂々たる体躯の牡鹿だ。頭を下げ、立派な角を振りかざして狼の群れを威嚇する。

 二匹の変化に、狼たちも迂闊に襲いかかることが出来ないらしく、低い唸り声を上げながら隙を窺う様にうろうろと歩きまわる。と、その狼の群れをかき分けるようにして、青みがかった濃い灰色の、一際大きな狼が姿を現した。

「何を腑抜けているか! どんなに見事な変化に見えようが所詮正体はただの卑しき狐狸共よ。我等の敵ではない、その見た目に惑わされ、臆するなど貴様らそれでも誇り高き真神の一員か!」

 狼はそう吠えるなり、勢い良く檜皮に向かって飛びかかり、首筋に牙を立てる。檜皮は身を仰け反らせ、角を振り立て抵抗し、何とかその狼を振りほどくが、その時には既に何頭もの狼が檜皮に向かって襲いかかっている。朽葉の方に目をやると、猪の背に沢山の狼が取り付き、爪を立てていた。黄金の中に、赤い筋が見え隠れする。

「ひ、檜皮! 朽葉!」

「い、今の内に早く逃げて!」

「恩人を助けられないなんて、末代までの恥だかんな!」

「そんな……!」

 あかりは二匹の姿に息を詰まらせる。たかがボタン程度で、彼らは自分を助けるために命を張っているのか。そんなの――。

「逃がすか!」

 あかりが迷い、思わず足を止めたその瞬間を狙う様に、一頭の狼があかりに襲いかかり、押し倒した。先ほど狼の群れを鼓舞していた大柄な狼である。逃げようともがいたが、胸を足で押さえつけられて身動きが取れない。狼が唸り声を上げ、真っ白な牙を剥き出す。生温かい息が顔にかかった。

「やっ……!」

「あれは何の真似だ灯子殿!」

「……は?」

 殺されるでもなく、何故こんな所に人間が居ると責められるでもなく、灯子として怒鳴りつけられ、あかりは思わず間の抜けた声を出した。狼はそのあかりの反応に、ますます激昂したかのように鼻に皺を寄せる。

「何をとぼけている! 何故我らではなくあの様ないやらしい奴らを優遇するのだと聞いているのだ! 返事の次第によっては、たとえ灯子殿といえど無事に帰れると思うなよ!」

 また灯子である。灯子灯子灯子灯子。祖母は一体こいつらとどんな関係だったんだ? 

「何を呆けている! 申し開きもせぬというのか!」

 別に祖母が物の怪と仲良しだろうがなんだろうがどうでもいい。約束してそれを果たさなかったとしても知った事かという所だ。でも……。

「何とか言え!」

 何でわたしがそれに巻き込まれなくちゃいけない? あかりの中に溜っていた、今までの理不尽で訳のわからない事に対する怒りが、じわじわと恐怖を凌駕していく。

「灯子殿!」

 ああ、もう。

「……うるさいっ! 邪魔、どいて!」

 あかりは怒りにまかせ、狼を怒鳴りつけた。狼は弾かれた様に飛び上がり、泡を食った様な仕草であかりから距離を取った。あかりはゆっくりと立ち上がり、服の汚れを手で払った。辺りを睨みつけるように見渡すと、檜皮も、朽葉も、二匹と応戦していた狼達も皆一様に目を見開いてあかりを見つめたまま動きを止めている。

「……アンタ等全員檜皮と朽葉から離れなさい。今すぐに!」

 何故だかは分からないが、こうやって命令すれば狼達は逆らわないという確証があった。実際に狼達はあかりの言葉を聞いた瞬間二匹から離れ、少し離れた所に固まって座り込んだ。耳を伏せ、尻尾を身体の下に巻きこんであかりの様子を窺っている。

 あかりは鼻を鳴らして狼の群れに向かって頷き、今度は先ほどまであかりにのしかかっていた狼を睨みつけた。狼は怯えたように耳を伏せ、身体を竦めた。

「灯子はついこの前死にました。わたしは灯子の孫のあかりで、アンタ等の事なんて何一つ聞いてないし知らないの! イヌ科の癖にそれくらい分かんないの? アンタ等の鼻は飾りか!」

「い、いやしかし……」

「しかしもクソもあるか! 人違いで襲われて、こっちだってたまったもんじゃないわ!」

「だ、だが――」

「……ご無礼、平にお許しを」

 往生際の悪い狼に、まだ言うか! と目を怒らせたところで、落ち着いた声が割り込んできた。声の聞こえた方に目をやると、銀色の毛並みの狼が一歩、前に進み出て頭を垂れた。

「お怒りになるのもごもっとも。なれど、どうか怒りをお鎮めになってはくれませぬか。そうでなくては落ち着いて話も出来ませぬ」

「……分かった」

 あかりはそう答えて、地面に腰をおろした。さっきまでの騒動でついた服の汚れはもう簡単には落ちそうにはなく、ならこれ以上汚れようがどうなろうか構うものか、といったなげやりな心境である。

「そっかー。あかりは灯子さんの孫だったんだ」

 感心したように言いながら、狐の姿に戻った朽葉があかりの隣にペタンと座った。そのさらに隣に、遠慮するように檜皮も腰を下ろす。

「わたしのおばあちゃんの事、知ってるの?」

「直接は知らないけどね」

「ぼく達物の怪の間では結構有名なん……ですよ」

「別にかしこまらなくていいよ。わたしとおばあちゃんはほぼ無関係みたいなもんだし」

 あかりはそう言って二匹の頭を交互に撫でた。二匹とも、大怪我はしていなさそうでホッとしたが、それでも細かい傷だらけである。あかりの胸がズキリと痛む。あかりを助けるために、怪我をしながら狼の群れに立ち向かった二匹に対して、もう殺されるかも、といった様な恐怖が浮かぶ筈もなく、ただ感謝と、チクリとした罪悪感があかりの心を占めていた。

「……ごめんね、守ってくれてありがとう」

「オレ強かったでしょー!」

「結局あかりさんが自分でなんとかしちゃったけど」

「そんなことないよ、二匹が居てくれなかったらそもそもここに辿り着く事すら出来なかったもん。ありがとう」

「……話を続けたいんだが」

 痺れを切らした様に口を挟んできた狼を一睨みして、あかりは口を開く。

「話って何なの? 大体アンタ等なに? いきなり襲いかかってきて!」

「申し遅れました。こちらがこの真神の群れの長、青鈍あおにびで、私の名は白銀しろがねと申します。先ほども窺いましたが、貴殿は灯子殿の孫のあかり殿、でよろしいですか?」

 銀の毛並みの狼が口を開く。

「そう。でもさっきも言ったけど、わたしは祖母のやってた事は何一つ知らないし関係ないの」

「それは本当なのか?」

「しつこいなぁ。何も知らないって言ってんじゃん」

「しかし、それほどの力を受け継いでいながら灯子殿が何も伝えていないとは――」

「だから!」

 あかりが声を荒げると、青鈍が反射的に身を引き、耳を伏せる。長という割に、どうもこの狼からはそれにふさわしい威厳や気迫が感じられない。何なら白銀という銀の狼の方がよっぽどリーダーらしい。……無能なリーダーを裏で操る黒幕感も漂うので、ある意味しっくりくるといえばしっくりくる様な気もするが。

「そうですか。死んでいたとは予想外……つくづく人間は短命で困る。しかし後継者を指名していないとなると……」

「……ねえ、わたしのおばあちゃんって何者だったの?」

「妖怪同士の調停をしてたって聞いた!」

「要するに妖怪同士のトラブルを双方が納得できるように解決してたんだって。ニンゲンがこっちに首突っ込んだ挙句そんな事してるっていう物珍しさもあったろうけど、でも腕も確かだったんだと思う。ここらじゃ知らない妖怪はいないくらいだもん。確か高名な陰陽師の血を引いていたらしいから、力も相当あったんだろうし」

「そんなの初耳だわ……」

 そんな事、初めて知った。そもそも祖母とは数えるほどしか顔を会わせてないし、母親だってそんな素振りを見せた事は一度も無い。第一母親は極度のホラー嫌いで、オバケだろうが幽霊だろうが妖怪だろうが区別なくどれも大っ嫌いである。祖母がしていた事を知っていたなら、死んでもこの家には近づかない筈だ。あかりは白銀に向き直った。

「わたしにおばあちゃんみたいな力があるとは思えないし、何も知らないので役には立てないと思います。という訳で、私は帰ります」

「何を仰いますか」

 立ち上がろうとしたあかりを白銀が押しとどめた。

「あかり殿はとても色濃く灯子殿の血と力を受け継いでいる。怒りにまかせてとはいえ、先ほど私達を声だけで威圧し、命令に従わせたのが何よりの証拠ですよ」

 黙り込んだあかりに、ですから……と白銀は言葉を続ける

「私達があなたを灯子殿と勘違いするのは無理も無い事で、決して我等の鼻が馬鹿な訳ではないのです」

 ……さっきあかりの言った『アンタ等の鼻は飾りか』というセリフをまだ引きずっていたらしい。まあイヌ科としては我慢のならない言葉だったのかもしれないが。あかりとしては飾りじゃないならもっとしっかり働かせろよ、と言いたいところである。

「分かった。分かったけどだからといって力になれないのは変わらないから。わたしにそんな力があったなんて初めて知ったし、使い方も分からないもん」

「だが彼の者の封印を解いたのはあかり殿であろう」

 青鈍の言葉と共に、焦げ茶の毛並みの狼が口にくわえていた何かをあかりの前に差し出した。

「なにこれ」

 あかりがそれを受け取ろうと手を出すと、それは狼の口から逃れる様に身を捩り、自らあかりの手の中に飛び込んできた。

「……この無礼者! 吾を捕らえた挙句口に咥え運ぶなど――吾を誰と心得る!」

 それは小さな子供の様な声で狼を怒鳴りつけると、クルリとあかりの方を向き、深々と頭を下げた。

「みっともない姿を晒してしまい誠に申し訳ない。吾は小葵こあおい様の卷属が一人、蘇芳すおうと申す」

 あかりの手の上でフワフワと浮かんでいるそれは、両の掌に乗りそうな大きさの、小さな稚児――稚児というのがまさにふさわしい様な姿の子供だった。髪をみずらに結い、真っ白な水干に赤い袴を身に着けて、まるで天女の羽衣の様な細長くひらひらとした緋色の布を纏っていた。そしてその大きなアーモンド形の目に白目は無く、濡れた様な黒が月の光を映している。

「そうか、あかり様にこの姿でお目にかかるのは初めてであったか」

 言葉を失って固まっているあかりを見て、蘇芳がパンと両の掌を打ち付けた。そしてクルリとその場で一回転し、一匹の赤い金魚に姿を変えた。

「まさか、風鈴の中にいた金魚?」

「その通りじゃ。ついでに言うとあかり様の見た赤い光も吾であるぞ」

 また蘇芳が身体を宙で一回転させて稚児の姿に戻る。

「先程は吾が主が無礼を働き、誠に申し訳ない。吾はそなたが灯子様ではない事は分かっておったのじゃが……如何せん小葵様は吾等卷属の言うことなど碌にお聞きにならない方でのう。どんなに二人が似ていようと、当人を前にすればさすがに気づくと思うたのじゃが、真逆気づかなんだとは」

 途中から愚痴のようになった蘇芳の言葉に、

「はあ……」

 と溜息のような声が漏れる。

 まさか本当に、あの時風鈴を割った事が全ての始まりだったなんて。数時間前に戻って自分をひっぱたいてやりたい気分だ。

「貴様の封印が解かれた事で、大方あの蛇めが約束が果たされたと勘違いしてあかり殿を引きずりこんだのだろうが、とんだ勘違いだったわけだ。まったく、あかり殿もいい迷惑であろう」

「うるさいぞ大口の。貴様らとてあかり様を灯子様と勘違いし、噛み殺さん勢いで襲いかかっていたではないか。己の事を棚に上げ勝手申すでないわ」

「金魚風情が大きな口を叩くな! 俺がその気になれば貴様なぞ一口で飲みこめるのだぞ」

「フン、口が大きいのは貴様らの方であろう。やれるものならやってみやれ。貴様ごとき愚鈍な犬に捕まる吾ではないわ」

「なんだと! 調子に乗るなこの……!」

「ねえそこで勝手にケンカしてないでさぁ」

 何でそこで喧嘩始めてんの、とあかりが内心げんなりした所で、痺れを切らした様に口を挟んだのは意外な事に朽葉だった。ちょっと、と焦った様な顔をする檜皮を無視して青鈍と蘇芳の間に割って入り、大きな尻尾をゆらゆらと揺らす。

「結局どっちもあかりに迷惑かけたのは同じじゃん。まず自分でごめんなさいしないとダメでしょ。話はそれからなんじゃないのー?」

「……なんだと、卑しい野狐風情が! 一体誰に向かって口を!」

「青鈍」

 意外なことに白銀が青鈍の言葉をぴしゃりと遮る。

「卑しかろうと野狐であろうと、この者の言っている事が道理です。野狐ごときに正論をうたれて腹が立つのも分かりますが、今のは貴方に非があります」

「……」

「なるほど。単純ながら的を射た言葉じゃ。あかり様、改めてこのような事に巻きこんでしまい、誠に申し訳なかった」

「……すまなかった」

「もう今更いいけどさ。で、帰っていい? わたしには問題解決の能力はないから後はそっちで勝手に――」

「それはなりませぬ」

「……なんでさ」

 さあ帰ろ、と立ち上がって回れ右をした所で白銀に行く手を遮られ、あかりは眉間に皺を寄せる。

「いいじゃん、わたしに祖母の代わりは務まらないし、巻き込まれたのも水に流すから。なんの問題があるのよ」

「確かに俺達の約束は俺達と灯子殿の間で交わされたもの。だが、蘇芳の封印を解いたのはあかり殿だろう。それについてはあかり殿にきちんとけじめをつけてもらわなければ」

「えぇ……」

 そんな事言われたって。大体風鈴を割っちゃったのだって不可抗力だし、けじめと言われても何が何やら。

「別に良いではないか、これ以上あかり様を拘束するのは吾としても心苦しいしの」

「蘇芳殿、勝手なことを申されては困ります。そういう話では無い事ぐらいお分かりでしょうに。それとも、封印されている間にその程度の事も分からぬ程耄碌してしまいましたか?」

 蘇芳が不機嫌そうな顔をして黙り込む。その嫌味ったらしい口振りに、煽りスキル高いなこの狼、とあかりは検討違いの方向に感心してしまった。

「……で、結局わたしは何をすればいいの? 早く教えて。もうこうなったら最後までやってやるから」

「それは重畳。では、まず青鈍の卷属の封印を解いてもらいましょう」

「どうやって」

「吾の封を解いた様に、そいつの封印されているものを壊せばよい。簡単な事じゃ」

「では参りましょうか」

「何処に」

「灯子様の家に。サッと行って、サッと解いて終わりじゃ」

「……わたしその卷属とやらが何に封印されてるか知らないんだけど」

「案ずる事は無い。吾が教えてやる」

 逃げ道は無いようである。だろうとは思ってたけど。はあ、と溜息をつき、あかりは首を縦に振った。

「白銀、あかり殿を任せてもよいか?」

「もちろんです。さあ、あかり殿、私についてきて下さい。時間も惜しいですし、物の怪道を通って行きましょう」

「え、でも物の怪道通って万が一迷子になると大変って」

 あかりの言葉に、白銀がフンと鼻を鳴らした。

「ああ……そこの狐狸共にそう言われましたか。ご心配なく、私達真神はそこらの野獣ノケモノ達とは違いますので。そこで金魚のフンみたいにくっついてるお二方、あかり殿は私がお送りするのでさっさと巣穴にお帰りになったらいかがです? もうおねむの時間はとっくに過ぎているでしょう」

 やっぱコイツ煽りスキルたっか、自分が言われた訳でもないのに超むかつく。あかりはムッとして口を挟もうとしたが、反撃は二匹の方が早かった。

「何その言い方! 力が強いからって調子に乗って!」

「ぼく達はあかりさんに魂貰って妖力が上がったから恩返ししてるとこなんです。ぼく達のが先なのに、後から来て勝手に決めないでください!」

「……魂? 妖力? ふっ、ふふっ、あはははっ!」

 一瞬ポカンとしていた顔をしていた白銀が、堪え切れないという様に笑いだした。あかりの背に冷や汗が流れる。ヤバイ、この二匹を騙してたのは、なるべくばれて欲しくない。

「あの、えっと――!」

「何言ってるんですかアナタ方! 魂なんて気軽に分け与えられる訳ないでしょう! 人間に限らず魂は取られれば死んでしまうというのに……!」

 あかりの弁解よりも早く、白銀が笑いながら言い放つ。余計な事言いやがって、コイツなんか大っ嫌いだ、とあかりは白銀を睨みつけた。

「えっ、そ、そんな!」

「だって、実際に妖力は上がって……」

「そもそも人間の魂を喰えば妖力が上がるというのが間違いなんじゃ。まだそんな根拠の無い流言が出回っていたとはのう。そんな物を喰ったところで力が強まる訳なかろう。妖力が上がったというのは、大方思い込みによるものじゃろうて」

 蘇芳が呆れた顔で言う。二匹は目をまんまるに見開いて茫然とした表情をしていて、あかりの良心がずきずきと痛む。

「あの……ごめん。だ、騙す気は無くて……その……わ、わたしも、死にたくなかったし、つい、嘘ついたら……信じてもらえるとは思わなくて……その……言いだせなくなって……えと、その、ホントごめん……」

 あかりはしどろもどろになりながら弁解と謝罪の言葉を口にする。最初は死にたくないという一心でついた嘘だったが、それを疑い無く信じ、恩返しといってあかりを守ってくれた二匹の姿を見て、だんだんと申し訳なさが増していたのだ。しかもそれに加えて、この茫然とした悲しそうな顔である。あかりの罪悪感はピークに達していた。

「ご、ごめん……ホントに、申し訳ないと……」

「――でも、なら結局あかりさんのおかげって事じゃない?」

 檜皮がパチリと瞬きをして、ぴょんと飛び跳ねる。

「へっ?」

「どゆこと? あかりのおかげ?」

「だって、あかりさんがくれたのは魂じゃなかったけど、それのおかげで力が強くなったのは事実じゃん。思い込みのきっかけをくれたのはあかりさんだよ!」

「……そっか!」

 一拍間をおいて、今度は朽葉が飛び跳ねた。

「そ、それでいいの? わたし朽葉と檜皮を騙してたのに……」

「だって結局オレの妖力上がってるんだし!」

「それに、タマシイあげたら死んじゃうなんて、そりゃ嘘もつくよね。ごめんねあかりさん。考え無しにねだっちゃって」

「いやいや、そんな……」

「じゃあ恩返し続行ー! オレ達もあかりに付いてくもんね!」

 朽葉があかりの足にべったりしがみつき、檜皮もふん、と胸を張る。何ともお人好しで、優しすぎる結論だが、今はその優しさがありがたい。あかりはありがとう、と呟いて二匹の頭をわしゃわしゃと撫でた。二匹はくすぐったそうに笑いながらあかりの手にじゃれついてきた。

「何やら面白い童共じゃのう。来たいなら一緒に来るがよい。道中楽しくなりそうじゃ」

「……ま、好きにすればいいんじゃないですかね」

 白銀は露骨に面白くなさそうな顔をしてそっぽを向いた。

「では行きますよ。付いてきて下さい」

 白銀の言葉に大人しく従い、あかりは白銀の後を付いていく。その少し前を蘇芳がふわふわと漂いながら飛び、足の両脇に朽葉と檜皮が並んで歩く。と、急にグランと視界が揺れる様な奇妙な感覚に襲われた。あかりは思わずよろめく。

「あかりどうしたの!」

「ん、なんか、眩暈? がして……」

「ほう、気が付くか。さすがは灯子殿の孫じゃ。ちょうど今物の怪道に入った所よ。普通の人間はまず気付かぬ」

「なるほど」

 とはいっても、周りの風景に特に変化は見られない。なんか、もう少し異界感が出るのかと思っていたのに、と少し拍子抜けした気分になる。

「あとどれくらいで着くの? ってか、家に動物連れて入ったらお母さん達起きた時面倒くさい事になりそうなんだけど」

「私を動物で一括りにしないで貰えますかね」

 白銀が心底嫌そうな顔をして振り向いた。

「実態はともかく見た目はちょっと大きいわんこ以外の何物でもないじゃん」

「わっ、わ、わんこ……?」

 白銀が目を見開いて口をパクパクとさせる。途端に蘇芳が盛大に吹き出した。

「ははは、お主、中々やるではないか! わんこ、とな! あっははは!」

「……真神達、犬と一緒にされるの嫌いだから……。今のちょっとまずいかも」

 朽葉がピョイとあかりの肩に飛び乗って耳元で囁いた。そう言う割に、朽葉もあかりに隠れる様にしてクスクスと笑いを漏らしている。

「案ずるな。吾があかり様の周りに結界を張っておく。そうすれば家の者をに見つかる事も気づかれる事もない」

「…………」

「どうした白銀。誇り高き真神の一族と常日頃から自賛しておるお主が、たかが小娘の失言ごときに取り乱してどうする。なんとまあ醜い形相よのう」

 今にもあかりを噛み殺しそうな形相で牙を剥き出しにしていた白銀は、蘇芳の言葉に忌々しげに低く唸り、プイとそっぽを向いた。

「なんと短気なことよ。神を自称するからにはもっと寛大な心を持たぬか」

「うるさいですね。あなたの方こそ、分を弁えたらどうです? 金魚の分際でまあでしゃばる事」

「なんじゃと、言わせておれば――」

「そこで喧嘩しないでよ。わんこって呼んだのは悪かったから」

 あかりが溜らず口を挟むと、二匹は渋々といった様子で口を閉じ、お互いそっぽを向く。どうやら白銀と蘇芳は相当仲が悪い様だ。こんな二匹と道中一緒なんて……とげんなりしていると、後ろから何かの足音が聞こえてきた。振り向くと、茶色で細身の狼があかり達を追いかけるように走ってきている。

「白銀さん! 白銀さん!」

「どうしたんですか」

「ちょ、ちょっと……」

 茶色の狼は白銀の耳に口を寄せて何事かを囁く。と、白銀の顔色がみるみるうちに険しいものへと変化した。

「……分かりました。あかり殿、申し訳ありませんが私は一旦席を外します。後の道は蘇芳殿が教えてくれるでしょう。誠に申し訳ない」

「え、急になんで」

「では、後は任せました。くれぐれもよろしくお願いいたします」

 白銀は一方的にそれだけ言い残すと、茶色の狼と共に走り去っていってしまった。あかりは茫然とその後ろ姿を見送る。

「どうしたんだろ、あの狼」

「勝手にいなくなるなんて無責任なヤツー」

 檜皮と朽葉が口々に白銀を詰る。

「……ま、何か事情があるのじゃろうて」

 蘇芳がそう言って肩をすくめた。何か含みのある言い方である。

「事情って」

「さ、もう少しじゃあかり様。吾を見失わんようにな」

 ……これは誤魔化されたな。問い詰めようかとも思ったが、そうした所で素直に    話してくれるとは到底思えない。あかりは諦めて蘇芳の後に続き歩を進めた。

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