狐狸夢中

「――ンゲン?」

「だって、――だし、――の話してたのと似てない?」

「でも、ニンゲンが――んで――に?」

「さあ――」

「……んん」

「あっ、起きた」

 耳元でこそこそと話す声が聞こえて、あかりは呻き声と共に身体を起こした。地面に手をつくと、柔らかく短い草の感触。幸いなことに身体も変な痛み方をしている所は無い。結構な高い所から落ちたと思っていたが、運が良かったのだろう。

 ――落ちた?

「いやいやいや」

 声を出してガバッと身を起こす。

 祖母の家の庭には穴なんかあいていないし、使われていない井戸はあるがそれはあかりが降りた所とはかけ離れた場所にある上に、当然ながら穴の周りには石が積んである。それに落ちた先の地面が草、というのもあり得ない話だ。あかりは顔を上げてあたりを見渡す。

 周りにはうっそうと木が生い茂り、隙間から月の光が差し込んでいる。あかりの倒れていた所は丁度広場の様に木が開けていて、ぽっかりと頭の上にあいた空間から、細い月が顔を覗かせていた。当然のことながら、上に穴の様なものは見当たらない。

 そもそもここは何処だ? 少なくとも祖母の家の庭ではない事は分かる。あの影はなんだったのだろうか。

 視線を巡らすと、紅葉もそろそろ終わって葉を落とし始めた木々が周りを取り囲んでいて、その木の一本に隠れるように狐と狸がこちらを見つめていた。

「ねえ、お前、ニンゲン?」

 狐が口を開いた。

「ハッ?」

「ダメだよクチバ、お前ってのはよくない」

「そんな事言ったって。じゃあヒワダ、お前がやれよ」

 狐と狸が顔を突き合わせて口を開く度に、人間の言葉が聞こえてくる。

「任せなよ」

 狸がちょこちょことあかりの足元に近寄り、あかりを見上げた。

「可愛いお姉さん、お姉さんニンゲンでしょ? 美人だね」

 あかりは目を丸くしてその場に固まった。この声は、目の前のこの動物達から出ている……と、考える以外、今の状況は説明がつかない。もしくは、これは夢なのか……?

「なんだよー、ヒワダもダメじゃんか」

「あっれぇ、おかしいな。人間の雌は褒めるといいって聞いたのに」

 あかりは自分の手の甲を力いっぱい抓ってみた。

 ――痛いだけで、目の前の光景も、聞こえてくる声も消える気配はない。

「な、何が起こってるの? ここは……? あ、あんた等は……?」

「返事した!」

「ほら言ったでしょ?」

 狸が得意気に胸を張る。

「おま……じゃなかった、おねーさん、ここ、自分で来たわけじゃないの?」

「ここ?」

「やっぱお姉さんニンゲンだよ。ここのこと知らないみたいだし」

「分かんねーじゃん! ……そうだ、おねーさんニンゲンかどうか教えてよ。そしたらオレ達がここについて教えてやる!」

 狐がそう言って、あかりを見上げる。あかりはストンとその場に腰を下ろし、顔を両手で覆った。訳が分からない事が多すぎて、頭の中がぐちゃぐちゃになっている。どこのファンタジー世界だこれ。わたしはいつの間にかお伽噺の住民にでもなっていたのか?

「もう……! 何が何だか……!」

「しょうがないなぁ。あのね、ここはカクリヨとウツシヨの重なった所。カクリヨっていうのは、ぼく達妖かし達の住む世界……って説明でよかったよね? クチバ」

「確か合ってる! おねーさんは多分、モノノケミチに迷い込んじゃってこんな所に来ちゃったんだよ。ねえ、こんだけ教えたんだからニンゲンなのか、いい加減教えてよ」

「え、ああ。わたしは、人間……だよ」

「やっぱり!」

 隣で狐と狸がはしゃいでいるが、あかりはそれどころではない。必死に二匹が話してくれた情報を頭の中で整理する。

 幽世と、現世。確か、何かの漫画か本でその言葉の取り合わせを見たことある気がする。幽世は妖怪の住む異界の事で、現世はわたし達の住む世界、という意味だった筈。そしてモノノケミチ。あかりを引きずり込んだ得体のしれない声がそんな様な事を言っていた事を思い出す。

 確か『モノノケミチで逸れれば、身の安全は』と言っていた。

あかりの全身に悪寒が走る。身の安全? まさか……。

隣で無邪気にはしゃいでいる狸と狐をそっと横目で盗み見る。所謂化狐と化狸、なのだろう。……人間なのか、執拗に確認していたのは、食べるため……?

「ねえ、お姉さん」

 狸があかりの方をくるっと振り向いた。あかりはビクリと身を震わせる。

「ひっ、ヤダ、食べないで……っ!」

「おねーさん何言ってんの? ニンゲンなんか食べる訳ないじゃん」

「そ、そうなの……?」

「美味しくなさそうだもん」

 ねーっ、と狐と狸は顔を見合わせる。その様子に嘘は無い様に見えて、あかりはホッと胸を撫で下ろした。この二匹はあかりに対してかなりフレンドリーに話しかけてくれているし、いい妖怪なのかもしれない。

「あ、でもね」

「なに?」

「タマシイって、どんなの?」

 狸の言葉に、あかりは再び身をすくませる。昔読んだ、人間の魂を食べる妖怪の話が脳裏によみがえる。

「オレの友達の友達のにーちゃんの従兄の友達がね、ニンゲンのタマシイ手に入れたら、妖力がめちゃくちゃ上がったんだって! だからオレ達もタマシイ欲しいなって」

「そ、そんな!」

「ねえねえ、タマシイちょうだい!」

 二匹は無邪気な顔であかりを見上げる。いやだ、まだ、こんな所で、死にたくない……! あかりは咄嗟にパジャマの裾のボタンを二つ引き千切った。

「こっ、これがニンゲンのタマシイ! あ、あげる!」

 声を上ずらせながら、二匹に向かって手を突き出す。二匹は不思議そうにあかりの手の中のボタンを見つめている。だめだ、いくらなんでもこんなのが通用するとは思えない。どうしよう――。

「ホント! いいの?」

「やったー! おねーさんめっちゃいいニンゲンじゃん!」

 あかりの焦りに反して、二匹はぱっと目を輝かせあかりの手からボタンを摘まみあげた。

「真っ白でツルツルで穴が四つあいてるんだ。変な形ー」

「なんかキレイだなー!」

 二匹は月の光にボタンを翳してしげしげと眺め出す。どうやら二匹は、本気でボタンを魂だと信じ込んでいるらしかった。これでよかったのだろうかと思いつつも、とりあえず今すぐ魂を取られてしまう様な事態は避けられた事に、あかりは安堵の溜息を漏らした。この二匹があんまり賢くなくてよかった。と脳の片隅で考える。

「ヒワダ! どんだけ妖力上がったか化け比べしようぜ!」

「分かった!」

「あっ、えっと、すぐには効果が出ない事が――!」

 二匹が手にしているのは紛れもなくただのボタンである。せっかく危機を乗り越えたかもしれないのにここでばれたら何の意味も無い。むしろ、騙されたと知って二匹が怒ったらもっと酷い状況になるかもしれない。慌てて二匹を止めようとしたが、間に合わなかった。ボンッという音と共に、二匹の姿が煙に包まれた。

「……すげぇ、飛べた! ヒワダ! 見ろ! オレ、初めて変化で飛べたよ!」

「ぼくもだ! 完全なニンゲンの姿になれたの、初めてだ!」

「へっ?」

 聞こえてきた心底嬉しそうな歓声にあかりは耳を疑った。困惑しながら煙を見ると、その中から現れたのはあかりの頭の少し上の所を、若干よろめきながらも堂々と飛ぶ大きな鷲と、素っ裸の小学校高学年くらいの年齢の男の子である。

「すごいすごいすごいっ! こんなに変化が上達するなんて!」

「おねーさんまじでありがとう! やっぱニンゲンのタマシイってすげぇーっ!」

「あ、うん……」

 あかりは曖昧に返事をしながら、残ったパジャマのボタンに目を落とした。どこからどう見ても、ただのボタンである。パジャマだって、そこらへんの安い店で買った何の変哲もない、ごく普通のパジャマだ。妖力とやらを上げる効果があるとは到底思えない。

「っと! 改めてありがとうございます!」

「ありがとうっ!」

「……いえいえ」

 逡巡のすえ、あかりはニコリと笑ってそう答えた。何でこんな事になっているのかはいまいちわからないけど、あかりの魂は無事なのだし、二匹はとても喜んでいるし、結果オーライである。わざわざ嘘をついていた事を伝えて自分の身を危険にさらす事も無い。ばれる前に、隙を見て逃げれば大丈夫だろう。きっと。

 いつの間にか獣の姿に戻っていた二匹は顔を見合わせて頷くと、あかりの前にぴしっと姿勢を正して座った。

「お姉さんのおかげでぼく達、強い妖力を手に入れる事が出来ました。何か恩返しさせてください」 

「え、恩返し? そ、そんな大したことは……」

 実際していない。彼らが魂だと信じているのは、ただのプラスチック製のボタンなのだから。

「いんや! 何か恩返しさせてくれないとオレ達の気が収まらない! 何でも言って! ウズラ食べたい? それとも木の実? あっ、カブトムシの幼虫の丸々太ったやつ美味しいんだよなー!」

「クチバ、それは自分が食べたいものでしょ。ぼく達がするのは恩返し。勘違いしちゃだめ」

「はーい……」

「恩返し、か」

 正直言って後々の事を考えると彼らにあまり頼りたくはない。いつ嘘がばれるのか分からないのだし。それに、もしカブトムシの幼虫なんか持ってこられた日には悲鳴を上げて逃げだす自信がある。何とかして――いや。

「あ」

「なんですか?」

「ここから帰りたい。現世に帰らせて」

 自分がどうやってここから来たのかも分からないというのに、自力で祖母の家に帰れるとは思えない。なら上手く騙せているうちにこの二匹に案内してもらえばいい。祖母の家までは無理でもとりあえず隠世とやらから出られさえすれば何とかなる。

 どうせ明日の夜までには祖母の家から自分の家に帰っているんだし、自分の家に帰ってしまえば嘘がばれた所で彼らも追ってくる事は出来ないだろう。自分は祖母の家に帰れるし、嘘をついた事もなんとかなる。まさに一石二鳥である。そう思った上での発言だった。しかし、二匹は困った様に顔を見合わせた。

「えっ……もしかして、無理なの?」

「ううん。ここ下ればフツーに出られる……よな?」

「多分。ここは重なってるから大丈夫だと思う。でも」

「ちょっと待って、重なってるってどういう事?」

 聞き慣れない言葉に思わず二匹の会話に口を挟むと、狸が真面目腐った顔をして口を開いた。

「隠世と現世はあちこち重なってたり接してたり、結構近い所にあるの。山は大体重なってる場所なんだよね。ちなみに神社とかは境界の事が多いんだって」

「何? 重なってる? 接してる? ってのは……?」

 あかりが問いを重ねると、狸がそれはね、と首を傾げて何かを思い出そうとする様な仕草をした。さながら、子供に勉強を教えようとする面倒見のいいお兄ちゃんである。

「普通なら二つの世界は干渉も認知も出来ないんだけど、重なってたり接してたりする所はお互い認知出来るし、重なってる所は干渉も、何なら行き来も割と自由なの。でも重なってる所からうっかり違う方の世界に迷い込んじゃうと、隠世はそもそもの時間の概念が現世とは違うから、妖怪と違って力も無くて、寿命も大概短いニンゲンは大変な事になることが多いって教えてもらった」

 分かる様な分からないような。なるほど、浦島太郎とか神隠しは、隠世に迷い込んじゃったとかそういう感じだったのかな。あかりは心の中で呟く。今の説明に完璧に納得した訳ではないが、聞いた、とか教えてもらった、という狸の話しぶりからして多分彼らも詳しく分かっている訳ではないんだろうな、と推察する。それならこれについてあれこれ聞いた所で無駄だろう。第一、自分だって自分の存在している世界について教えてください、と聞かれた所でロクに答えられる気がしないのだし。

「……ありがとう。それで、とりあえずこは山? なのね。この山を普通に下れば帰れるの?」

 また二匹が顔を見合わせた。まだ何か問題があるのか、とあかりは肩を落とす。

「この山は現世で霧館山って呼ばれてる山なんだけど、お姉さんの帰りたい所の近くにある山と名前同じ?」

「え? うん。そうだけど」

 帰りたい所の近くも何も、霧館山は祖母の家の裏手にある山の名前である。そもそもあかりは最初からずっと自分が霧館山にいると思っていた。

「よかったー。モノノケミチからここに来たっぽかったから、帰りたいところが遠かったらどうしようかと思った」

 モノノケミチ? 確か、あかりをこんな所に連れてきた元凶の影もそんな様な事を言っていた。これまでの流れからして、物の怪道……という変換で恐らく正解だろう。

「その、物の怪道って何?」

「ハイハイハイ! ずっとヒワダが説明してたから今度はオレが説明する!」

 狐がぴょんと飛び跳ねてあかりと狸の間に割り込む。

「えっとね、物の怪が使う獣道みたいなもんでね、えーっと、実際にはメッチャクチャ離れてる所を凄く短く繋いでたり、逆にすぐ近くにある所に行くのに凄い時間かかったりする不思議な道なの! でもずっと一定な訳じゃなくてあったりなかったりする訳分かんない道!」

 ……やっぱり分かる様な分からない様な。とりあえずなんとなく都合のいい不思議道と認識しておけばいいか。と自分を無理矢理納得させる。この二匹は、あかりがもの凄く遠いところから物の怪道を通ってここに来てしまった事を心配していたのだろう。狐の言う事を信用するのならば、入った所を引き返せば元の所に戻れる道、という訳でもなさそうだ。

「ぼく達物の怪は、匂いとか気配とか、あとは感覚で行きたい所に結構自由に行けちゃうんだけど……。うっかり迷子になると出られなくなる事もあるし、それこそ隠世に入り込んじゃったら大事だし」

 狸の言葉に、あかりの背中を冷たい汗が流れる。偶々落ちたところが重なった所で、偶々この狸と狐がいて、偶々ボタンを魂だと偽ったのがばれなくて、本当に自分は運が良かったのだ。一生物の怪道で彷徨い続けるなんてゾッとしないし、浦島太郎的展開も心の底から遠慮したい。

「なるほどね……教えてくれてありがとう。わたしの帰りたい所はこの山の麓にある村の、この山に一番近い家なんだけど、どっちに行けばいいか教えてくれない?」

「もちろん! 村はこの斜面を右側に下った所にあるよ。ちょっと待って」

 ポンッという音と共に、狸の周りから煙が上がり、その場に立派な馬が姿を現した。

「恩人のお姉さんを歩かせる訳にはいかないからね。朽葉ー、例のお願い」

「分かった!」

 今度は狐がフーッと息を大きく吐く。と、その息が青白く光り、くるくると渦を巻いたかと思うと、ポッと掌ほどの大きさの火の玉が燃え上がった。狐火だ。あかりはその炎の幻想的な美しさにしばし目を奪われる。

「あっ、そーうだ」

 得意気な笑い声と共に狐が煙に包まれ、小鳥サイズの鷲が飛び立った。その鷲の動きに合わせる様に狐火もふわふわと上下に揺れ動く。

「オレもう飛べるからね! 高い所から照らせる!」

鷲がアクロバティックな飛行を披露する度に、蒼い光が暗闇の中に軌跡を描く。まるでこの世のものとは思えない程美しい。――あれ、そもそもここは『この世』なのか? と心の中でツッコミを入れた所で、馬が「嬉しいのは分かったけどいい加減にしてよー」とぱくりと鷲の尻尾を咥えた。

「ごめん! 楽しくてつい……」

「もう! お姉さん、さあ乗って。お姉さんの家に連れて行くから!」

 馬が足を折りたたんであかりが乗りやすい様に体勢を低くする。馬に乗るのは初めてで、あかりはおっかなびっくり背中にまたがった。若干お尻がゴリゴリするが、案外乗り心地は悪くない。

「立ち上がりまーす。落ちない様にたてがみしっかり握っててね。ちょっと引っ張られたくらいじゃ全然痛くないから」

 言われた通りに右手でたてがみを握りしめ、不安だったので反対の手を首にまわしてしがみついた。グンッと目線が高くなる。馬はそのままゆっくりと歩き始めた。揺れは思っていた程大きくはなく、あかりは何となく落ち着いた気分になって身体の力を抜いた。あの変な光を目にしてから、変な事に巻きこまれて続けて張り詰めていた神経が、ようやっと緩み始めていた。

「ねー、そういえばおねーさんの名前って何?」

 蒼い狐火を伴った鷲が、あかりの眼の高さにふわっと飛んできた。

「名前?」

「そう。おねーさんって呼びにくいんだもん」

「わたしの名前……はあかり。水谷あかりっていうの」

「そっかー! オレはクチバって言うんだ! それでこいつはヒワダ!」

「朽ちた葉っぱで朽葉で、檜の皮で檜皮」

 檜皮が横から注釈を入れる。お互い頻繁に名前を呼び合っていたので、実は既に名前は把握していたが、別に敢えて言う程の事でもない。

「朽葉に檜皮ね。ありがとう。家までよろしくね」

「オレ達こそありがとうだよ!」

「そうそう。ぼく達は今恩返しをしてるだけなんだし、お礼なんて言わないで!」

 心の底から感謝している様子の二匹に、ただのボタンなのに、と若干罪悪感が湧いたが、かといって今更騙したと正直に言う訳にもいかない。今でこそこんなに好意的に接してくれているけれど、嘘をついたとばれたらどんな事になるか。

「この暗い中で山道走ると転んで怪我させちゃうかもしれないし、揺れも大きくなるから歩いてるけど、走った方がいい? 早く帰りたいならぼく頑張るよ!」

「歩きで大丈夫、ありがとう。それよりわたし……重くない?」

「全然! お姉さんなら二人くらいは余裕で運べるよ」

 朽葉が道を照らしながら、檜皮はゆっくり登山道と思しき道を下っていく。木の葉や茂みがカサカサと音を立て、時折小枝が折れる様な乾いた音がする。低い声で鳴いているのは梟だろうか。やっぱり夜の山道はどこか恐ろしくて、あかりはたてがみを握った手に力を入れた。何となく静寂が恐怖を増幅させている様な気がして、あかりは二匹に話しかけた。

「そういえば、何で狐と狸の二匹で一緒にいるの?」

「んっとね、ぼく達どっちも天狗様の所で勉強してて仲良くなったの」

「天狗様が未熟なうちは二匹で行動した方がいいって。でも檜皮とは大人になっても一緒にいるって決めてるんだ!」

「ねーっ!」

 二匹は仲良く顔を見合わせて声をそろえる。

「勉強?」

「そう。化け方とか物の怪としての生き方とか、色々」

「親から教えてもらうんじゃないの?」

「朽葉の所は由緒正しき化け狐の一族だけど、ぼくは普通の狸から生まれて物の怪になったからねー」

「でもオレは末っ子だから天狗様の所に弟子入りさせられたの!」

「そういう事もあるんだ……」

「物の怪の生まれ方って法則性ないんだ。長生きしてなるのもいるし、死んでからなるのもいるし」

「また随分適当な……。そういうのって困ったりしないの?」

「えー、だってオレ達からしたらそれが当たり前だもん。あかりみたいな人間の方がオレには不思議に見えるよ」

 それもそうか、とあかりがいうと、そうそう、と朽葉が頷いた。それに合わせて狐火がゆらゆらと揺れるのが妙に面白い。

「あかりはなんでこんな夜中にこんな所に迷い込んだんだ? ニンゲンの子供は夜に出歩いたりしないって聞いたけど」

「それはね……」

 あかりは赤い光の玉を見つけ、誘われた結果黒い影に無理矢理物の怪道に引きずり込まれた事を掻い摘んで説明した。

「変なのー。何それ」

「それ、わたしが一番言いたい」

「んー……その光の玉って、あかりさんを狙って飛んできた感じなの? それともフラフラ飛んでたやつにうっかりついてきちゃったとか?」

「分かんない。けど、でもわたしを庭まで誘導するように動いてた様に見えた」

「じゃあやっぱりあかりさんが目的で来たんだよ。なんか心当たりない? 原因分かんないまま帰っても、この先ずっと付き纏われるかもしれないし、また引きずり込まれちゃうかもしれないよ?」

「心当たりって言われても」

 いや、待てよ。あかりの脳裏に、砕け散った風鈴が蘇る。あの時、庭に向かって移動した様に見えた赤い何か。あれが見間違いじゃなかったとしたら?

「風鈴を割っちゃった。その時に……赤い何かが、逃げた様に見えた」

「それじゃね? 風鈴に何かが入ってて、それをうっかり逃がしちゃったんだよ」

「入ってて? そんな事って、あるの?」

「古い道具に何かが住み着いてたり、封印されてたりっていう話は割と聞くよ。そういう事なんじゃないかなぁ」

「そんな風なのには見えなかったんだけどなぁ……。あ、でも」

 封印がどうのこうのとあかりを引きずり込んだあの影が言ってた様な記憶がある。それを話すと、どんぴしゃでそれじゃん、と口をそろえて返ってきた。自分がこんな目にあっているのはうっかり封印を解いてしまったせいなのか。あかりは大きな溜息をついて肩を落とした。

「そっかー……。それじゃあわたしどうすれば……」

「あかりの家に封印の仕方みたいなのって伝わってないの?」

「無いと思うなー……」

 あの時封印の事だったり、あと何を言っていた? 過去の盟約とか、マ……なんとか? といっていたような。あとは……。あの時の会話をもっとしっかり覚えていれば、自分の状況を把握する手がかりになったんだろうか。

「でも待って、その赤いのとあかりさんを引きずり込んだ黒い影って別物なんでしょ?」

「そう。喋ってたのも引きずり込んだのも全部黒い影の方」

「んじゃあれかな……その封印されてた赤いのの、ボスだか親だかが封印解かれたの知って仕返しに来たとか?」

「そんな感じじゃなかったよ。なんだっけ、約束がどうのとか言ってた」

「約束ぅ? あかり何約束したの? どんな約束でも約束しちゃった以上それは守るのが最低限の――」

「約束なんか知らないって! 別に今まで見える体質だった訳でもないし、ここにだってほとんど来た事無いし……。それにあの影、わたしの事を別の人だと勘違いしてたんだよ」

「勘違い? 誰と?」

「それは――」

 あかりが口を開いた瞬間、長く尾を引く遠吠えが響き渡った。しかも、ここからそう遠くない場所から。檜皮の体が強張る感覚が掌越しに伝わってきた。

「……野良犬? 山の中にはまだいるんだー」

 先ほどの遠吠えに答える様に、また遠吠えが響く。……いや、このよく通る声は、本当に犬のものなのか?

「ひ、檜皮……急ごうぜ。見つかったらやばいってこれ」

「そ、そうだね。気がつかれてないといいけど……」

「え、何のこと? この遠吠え、野犬だから危険とか?」

 二人の不穏な発言に、私は慌てて隣の朽葉を振り返った。

「犬じゃなくて狼だよ」

「あいつ等大口真神――ってのはニホンオオカミが神格持ったやつらなんだけど、この山の守り神みたいな役割受け持ってて。そんでこの山仕切ってるんだけど、真神達って極度の人間嫌いなんだよ」

「えっ」

「流石に人を殺したりは滅多にしないと思うんだけど……。怖いから会わないに越した事は無いよ。朽葉、急ごう」

 狼、とこの二匹は確かに言った。もしかしてニホンオオカミは絶滅せず、実はまだ生き残っていたのだろうか。いや、ニホンオオカミとしては絶滅したが大口真神として生き残っているということか? そんなことをつらつらと考えていると、腰の下で檜皮の身体にぐっと力が込められたのが分かった。

「あかりさんごめん、スピード上げるからしっかり捕まって。朽葉、逸れないように気を付けながら周り見て!」

「分かった!」

「えっ、ちょっと待って。捕まってって、うわぁ!」

 ぐんとスピードを上げ坂道を駆け下り始めた檜皮の首に慌ててしがみついた。よく耳を凝らすと、硬い檜皮の足音とは違う別の足音が周囲から聞こえてくるような気がしてくる。ただの気のせいだ。二匹が不安そうにしていたから、自分まで不安な気持ちになって他の音が足音に聞こえているだけだ。あかりは自分にそう言い聞かせながら、檜皮のたてがみを握りしめ、固く目を瞑った。

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