?日目 とりあえず第三話
また、声が出にくくなっていた。前は当たり前のように話せたのに。
「千夏ちゃん、聞こえてる?」
春陽くんは話しかけてくれるけど、返事を返すことができない。
ひょっとしたら話せるのかも、と思って声を出そうとすると、やはり咳き込んでしまった。
「……そうか、無理しなくていいよ」
私だって頑張って話したいけど、体が言うことを聞かないのだ。
どう足掻いても声は出ないので、寝ることにした。
次に起きたら、春陽くんじゃないほうの隣の人が、違う人に入れ替わっていた。何故だろう。他の、大きい病院に入れてもらえたのかな。だとしたら、いいな。
左腕にまかれた包帯は、赤色や黒色、茶色の汚れがついている。本当は交換しなきゃいけないんだろうけど、包帯があるだけ幸運なことなのだろう。ここにはどんどん人が運び込まれてくるけど、看護師さんがずっと「包帯が足りない、消毒液もない」と言っている。
包帯から雑菌が入っているのだろうか、傷口の痛みがいつもより増している。
やはりまだ声は出なかった。このまま一生話せなくなるのかな。
――嫌だ、怖い。自分の中にある部品が、どんどん壊れていくようで。まだ、死にたくない。……でも、死にたい。痛い。辛い。こんなに苦しいなら、死んで忘れてしまいたい。
学校で、原爆について学んだことを思い出した。
12歳という若さで被爆し、亡くなってしまった女学生。工場での作業中に亡くなった男子中学生。
確かに、まだ幼いうちに亡くなってしまったということはとても悲しいことだと思う。でも、被爆してからずっと生きていた――いや、死ねなかった人だって辛いんじゃないか、そう思った。
「千夏ちゃん、やっぱり、まだ傷口が痛む?」
春陽くんは、私が話すことができないと知りながらも話しかけてくれる。彼だって、傷を負っているのに苦しそうな素振りは見せない。その優しさが、私には
いつからか、ガラスの破片が突き刺さったままの春陽くんの体には、紫色の斑点が浮かんでいた。
「なんだろうねえ、これ。あまりいい気分はしないな」
悪い予感がした。彼もそんな気がしたのだろうが、
――それからどれくらい経ったのだろうか。
春陽くんは……春陽くんは、話さなくなった。目を開けることはなくなった。
そして、看護師さんにどこかに運ばれていった。
彼がどうなったのかは、わからない。でも、信じたくないけど、多分、彼は――。
あの斑点ができてから、春陽くんの容体は悪化した。話そうとするたびに、赤い液体を吐き出す。前より、寝ている時間が多くなった。彼が瞼を閉じる直前、私の方に手を伸ばした。何かを、掴もうとしているかのように。その時は、目も見えなくなっていたのだろう。彼がどれだけ手を握っても、握っても、掴むのは空気だけ。
そして、力尽きたのか、手をだらりと下ろしてそのまま目を閉じた。
彼が動いていたのは、それが最後だった。
彼がいなくなった時、ようやく私は涙を流すことができた。緊張の糸が切れたのか、急に涙があふれた。泣いたのは久しぶりだ。多分、春陽くんと話した時以来、ずっと泣いていないのではないだろうか。やっぱり、涙が傷口にしみる。泣かないように歯を食いしばっても涙は止まらないのだから、困ったものだ。
家族も、ずっとここには来ていない。春陽くんも、どこかへ行ってしまった。美歩ももう死んでしまったし、同級生は今どこで何をしているのかさっぱりわからない。
……もう、私には、生きる理由が、なくなってしまった。
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