山倉タクシー登場

車の屋根におぼろに浮かんだ行灯(あんどん)から見てタクシーのようだ。「やあ、今晩は。どうしました?堤の上になにかあるんですか?」などとおせっかい極まりないことを聞いてくる。決まり悪げにまた苛立たしげに男はもう一度鉄柵を乗り越えて車に戻りそのドアに手をかけながら「い、いや、何も…ちょっと小便をしようと思っただけだ。だが、もう止めた」と吐き捨てるように云い残してから、そのまま車を急発進させ走り去ってしまった。一方タクシーは動かずに停車したままである。そこから運転手が出て来て我々に声を掛けた。「もし、そこにどなたかおられるんですか?こんな夜中に何をしてらっしゃるの。いや、その、おっせかいかも知れないけど…」などと云う声を聞けばこれは先ほど宵のこと、何と20年ぶりに再会した山倉の声に違いない。助かったがしかしなぜ彼がいまここに?と不思議に思わぬでもない。しかし今はとにかく渡りに舟で私は「山倉さん!山倉さんでしょ?俺だよ。田中、田中。さっき車に乗せてもらった田中ですよ」と大きな声で返答をする。「え?田中?…ああ、田中さんか。こんな時間に川堤で何してるの?」と彼も私を確認したようだ。説明するより来てもらった方が早い。「ああ、とにかくさ、悪いけどちょっとこっちに来てよ。ちょっとのっぴきならない事になってるんだ」という私の呼びかけに山倉は「何?のっぴきならない?…はいはい、わかりましたよ。山倉タクシーはどこへでも」と云いざまドアをロックしてから一気に鉄柵を跳び越えて我々のもとへと駆け上がって来た。年に似合わず未だバネがあり体力のある男だ。

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