第4話

「ふぅ……結構歩いたね」


日差しの降り注ぐ草原の小道を、てくてくと歩いていた。

額に汗を浮かべながら、私は立ち止まって深呼吸をする。


「フェリシア、ちょっと休憩しよっか」


ポックが提案してくれる。

あぁ、やっぱりこの子は気が利くなぁ。


「そうだね。あそこの大きな樹の下で休もうか」


木陰を選んで、そっと腰を下ろす。

ざわざわと、草花を揺らす風の音だけが聞こえる。

自然の中の静寂に、心が洗われていくようだった。


「綺麗だなぁ……まるで絵本みたい」


ぼんやりと周囲を見渡しながら、つぶやく。

頬に伝う風は、やさしく瑞々しい。


「うん、大好きだな。こういうのどかな場所」


ポックもまた、うっとりと目を細める。

きらきらと輝く瞳は、まるで宝石みたいだ。


「ねぇポック。もし記憶が戻っても、こうしてのんびりする時間は大切にしたいな」


「もちろん!フェリシアとなら、どこへだって行けるよ!」


即答してくれるポックに、思わずくすりと笑みがこぼれる。

いつも一緒にいてくれるから、心強いんだ。


ふと、ポックの言葉を反芻していて気づいた。

私は記憶を無くしてしまった。

けれど、大切なことを教えてくれる人がいる。

忘れてはいけないこと。

見失いそうになること。

それを思い出させてくれるのは、いつもこの子なんだ。


「ポック、ありがとう……」


そっと、小さな体を抱きしめる。

ぎゅっと力を込めて。

温もりが、心の奥まで沁みわたっていく。


「フェリシア……」


ポックもまた、小さな手で背中を撫でてくれる。

その瞬間、胸の奥に灯った小さな炎。

決して消してはいけない、大切な光だと分かっていた。


しばらくそうして抱き合ったまま、草原の風に身を任せる。

どれくらいの時間が過ぎただろう。

心地よい睡魔が、そっと瞼に忍び寄ってきて……。


「…………ッ!?」


その時だった。

突如、陰気な声が耳をつんざいた。


「クロエールはどこだ……はやくせんと、お前も道連れにしちまうぞ」


ビクリと体が跳ねる。

見れば、見覚えのある刺々しい金髪の男が立っていた。

さっきの、例のギルドの……。


「アンタなんかに、教える義理はないわ!」


勢いよく立ち上がって、負けじと啖呵を切る。


「は?生意気言いやがって……」


低く唸るように男が歯を剥き出す。

ゾワリとした空気が、一気に辺りを包み込んだ。


「フェリシア、やめて!こわいよ……!」


怯えた様子のポックが、必死に引き留める。

だけど、私は負けるわけにはいかない。


「そうよ、ほっといてよ!関係ないでしょ!」


「んなわけあるかっつーの!ちょろっと見た目で舐めんな!」


ついに男の逆鱗に触れてしまったのか。

鋭い目つきで睨みつけられ、背筋が凍りつく。


「ッ……!」


前触れもなく、男が強く腕を掴んできた。

ずるずると引きずられて、バランスを崩す。


「きゃあっ!」


「フェリシアーーーっ!!」


絶叫が草原に木霊する。

地面に叩きつけられ、激しい痛みが全身を駆け巡った。


「このまま、ブッ飛ばしてやる……!」


振り上げられた拳。

目を瞑って、覚悟を決める。

でも………。


「………………あら?」


不意に、クロエールの声が響き渡った。


「クロエール……!!」


「アンタたち、なにやってるペコ!?」


颯爽と現れたクロエールに、男の動きが止まる。


「ち、違うんだ!俺はお前を探してたんだよ!」


「嘘ついたらダメペコ!こんな子いじめて……最っ低ペコ!」


プンスカ頬を膨らませて、クロエールが男の頬をぺしぺし叩く。

その様子があまりにコミカルで、思わず吹き出しそうになってしまう。


「ぐぬぬ……!ま、まあいい!とにかく俺と帰るぞ!」


「ヤダ!アタシはここで歌って、みんなに夢を届けるペコ!」


「はぁ!?てめぇ勝手なこと言ってんじゃねーよ!さっさと来い!」


「アンタなんかについてかないペコ!夢を諦めるくらいなら、死んだ方がマシペコ!」


負けじと言い返すクロエール。

その眼差しは、これまで見たことのないほど真剣だった。


男は歯噛みしながら、じりじりと距離を詰めてくる。

ヤバい、このままじゃクロエールが連れ去られてしまう……!


「ま、待って!二人ともやめて!」


私は咄嗟に二人の間に割って入る。


「フェリシア……」

「お前、邪魔すんなよ!」


「邪魔なんかしないわ!でも、話し合いでどうにかならないの!?」


懸命に訴えてみるが、男は鼻で笑った。


「ハッ、話し合いだぁ?冗談じゃねぇ。俺はな、力ずくでもアイツを連れ帰るだけだ」


そう言い放って、男はクロエールの手を強引に掴んだ。


「いやっ、離してペコ!」

「うるせぇ!大人しくついて来い!」


「ダメだって言ってるでしょ!」


私は勢いよく男の腕にしがみつく。

この子の夢を、絶対に潰させない。


「クッ……!じゃま虫が!」


男は苛立たしげに歯噛みし、力任せに腕を振りほどこうとする。

だけど私は必死に耐え、決して手を放さない。


「離しなさいよ!クロエールには歌う自由があるの!」

「はぁ!?うっとうしいにも程があるわ!」


激しいもみ合いが続く中、不意にクロエールの悲痛な叫び声が響き渡った。


「きゃっ!!」


振り返ると、クロエールが地面に崩れ落ちている。

どうやら男に突き飛ばされてしまったようだ。


「クロエール!!大丈夫!?」


駆け寄って肩を抱くが、クロエールはぐったりと項垂れたまま。

小さな体が、痛々しいほどに震えている。


「だから邪魔すんなって言っただろうが……ったく」


舌打ちをしながら男がこちらに歩み寄ってくる。

さっきよりも、さらに苛立ちを増した様子だ。


「ど、どうしよう……こんなの、まるで暴力じゃない……!」


圧倒的な力の前に、あまりの恐怖で声が震える。

それでも、なんとかしてクロエールを助けなきゃ。

私は懸命に考え、ふと思いついた。


「……ねぇ、ちょっと聞いて」

「あぁン?」


怒気を孕んだ声を背に、私は静かに口を開く。


「クロエールを無理やり連れ戻したところで、きっと歌はうまく歌えないと思う」

「は?何言ってんだ」


「その子の歌は、みんなに夢を与えてる。みんなを幸せにしてる。

でもね、夢も希望も持たずに歌ったところで、きっと心は響かないわ」


「………………」


男は無言で私を見つめている。

その眼差しには、わずかに揺らぎが見て取れた。


「お願い、クロエールには自由に歌わせてあげて。

きっとその方が、ギルドの為にもなると思うの」


「…………クソッ!」


感情を抑えきれなくなったのか、男は地面を思い切り蹴りつけた。

そしてしばらく唸るように唇を噛みしめると、やがて観念したように溜息をつく。


「分かったよ……好きにさせてやる」

「ほ、本当に……!?」


「ああ。その代わり、ちゃんと稼ぐ約束しろよ?」


そう言って男はクロエールを見やる。

するとクロエールも、涙を浮かべながらこくりと頷いた。


「もちろんペコ!アタシ、ギルドの為にも頑張って歌うペコ!」

「……ったく、しょうがねぇな」


わざとらしく肩をすくめて、男は踵を返す。

てくてくと草原の向こうへと歩いていった。

その後ろ姿に、どこか晴れやかなものを感じた気がした。


「ねぇフェリシア、ありがとうペコ。アンタのおかげで、歌えるようになったペコ」

「ううん、私はただ本当のことを言っただけ。クロエールの心からの歌を、ずっと聴いていたいなって」


クロエールの小さな手をぎゅっと握りしめる。

きっとこれからは、自由に歌えるはず。

この子の歌声を、たくさんの人に届けてほしい。

そう願いながら、私も微笑み返したのだった。

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