48.夢か幻か
───なんで。どうして。直ぐそこまで出かけていたのに、たったそれだけの言葉が出ない。記憶が否定する。それなのに心が彼女の笑顔を見て喜んでいる。
「どうしたの?そんなに泣きそうな顔をして」
俺と同じ金色の髪。側頭部で1つに纏めている、所謂サイドテールと呼ばれる髪型だったか? 髪を纏めるのに使っているのは俺がプレゼントした髪留めだ。
俺と同じ碧眼には泣きそうな顔の俺が映っていた。そんな俺を見て優しく笑う彼女。
嗚呼、嗚呼。記憶の中にいるリゼットさんの姿と被る。
これは夢だ。心が弱った俺が見せている都合がいい夢だ。
リゼットさんは死んだ。8年前に傭兵の仲間を庇って。俺の腕の中で冷たくなっていく彼女を見届けた筈だ。彼女の最後の言葉をしっかりと覚えていた筈だ。
夢だ。俺の目の前にいる彼女は俺の記憶が見せている都合がいい夢だ。
「カイルが泣いてるなんて珍しいね」
耳を通る声はどこまでも優しい。俺の事を気遣っているのが分かる。リゼットさんが椅子に座る俺に近付いてきた。心が追い付かず体が動かない。動かない俺をリゼットが抱き締めた。
「ほら、私はここにいるよ。安心して」
ギュッと強く抱き締められる。ドクンドクンと心臓が鳴る音が聞こえる。暖かい。心が落ち着くのが分かる。思ったより抱き締めるのに力が入っているのか少し痛い。
痛い? 夢なのに? 思わず彼女を見れば優しく微笑んだ。記憶の中で何度も見たリゼットさんの笑顔。恐る恐ると頬を抓る。
痛みがある。これは夢じゃない。頭が冷静になっていくのが分かる。
目の前にいるのは誰だ? 俺を今抱き締めているのは誰だ? 俺の家族だ。大切な家族だ。もう既に俺がなくしてしまった大切な人だ。
リゼットさんは死んだ。なら目の前にいるのは誰だ。
「誰だ?」
思わず出た声はか細く弱々しいものだった。どこまでも心が弱い。疑いながらもどこかで信じたい気持ちがあるのだろうか。
「私はリゼットだよ。忘れたのカイル?」
彼女が首を傾げる。サイドテールが揺れた。記憶の中のリゼットさんと被る。声も仕草も全部一緒だ。
「だって、リゼットさんは亡くなったはず」
「死んでないよ、ほらちゃんと動いている」
彼女に再び抱き寄せられ、頭が胸に埋まる。ドクンドクンと心臓が鳴る音が聞こえる。落ち着く鼓動の音。
フワッと香る金木犀のような匂いがした。リゼットさんが好んで使っていた香水の匂いだ。
どんな香水が好きかしっかり確認した上で、彼女の誕生日にプレゼントした覚えがある。ありがとうと、頭をくしゃくしゃになるほど撫でられた。
「大きくなってもカイルは変わらないね」
あの時の同じように頭をくしゃくしゃと撫でられた。もうそんな風にされるような歳ではない。28歳。立派な大人だ。リゼットさんの死から独り立ちした。子供なんかではない。
少し力を入れて彼女から離れる。こちらを見るリゼットさんの目はどこまでも優しい。
「ありがとうリゼットさん」
「ん?何が?」
俺の心が弱ったから彼女は俺の前に現れてくれたのだろう。昔のように優しく励ましてくれた。ぐちゃぐちゃになっていた心が落ち着いたのが分かる。リゼットさんから視線を外して机を見る。机の上に置いてあったデュランダルがない。
ずっと傍に置いていた。取られるような事を許すほど警戒は解いていなかった。
目の前の彼女を見る。碧眼に泣きそうな顔の俺が映ってる。だからだろうか、リゼットさんは心配そうにこちらを見ていた。
ありがとうリゼットさん。お陰で取り乱さなくて済みました。
「どうしたのカイル?」
耳に残る優しい声。家族を失った俺にとって心の救いとなった育て親の声だ。記憶の中から蘇るリゼットさんの声はどこまでも優しかった。
ありがとうリゼットさん。迷った時どうすればいいか忘れていた。心が揺れた時にどう対処すればいいかを忘れていた。
何もかも貴女が教えてくれた事だ。
「もういいよ」
「カイル?」
「リゼットさんに向かって強い言葉は使いたくないんだ」
「どうしたの?」
困惑しているようだ。形の良い眉が八の字になっている。不安か。彼女の場合は心配というのが大きいだろうか。
小さい頃の俺はリゼットさんに心配ばかりかけていたな。まだ弱い癖に戦場に立っていた。リゼットさんが何時も守ってくれていた。
ありがとうリゼットさん。貴女が守ってくれたから今の俺があります。
「だからごめんなさい」
先に謝っておきたい。これを逃したらもう謝る機会がないだろうから。
ごめんなさいリゼットさん。俺は貴女との約束を破りました。傭兵を辞めて普通に生きて欲しいという貴女の願いを蹴って、今の今まで傭兵として戦いの場に身を置いています。
魔族と戦って何度も死にかけました。死んで欲しくないから無理をしないようにとリゼットさんに言われた忠告すら忘れて。
「カイル?」
リゼットさん。貴女に教えて貰った事は独り立ちしてから沢山役立ちました。
リゼットさんが居なかったら今の俺はなかったと思います。ありがとうございます。そして、さようなら。
「今すぐ俺の前から消え失せろ!!」
───パリンっとガラスが割れるような音と共に視界に映る光景が変わる。
俺が居た筈の宿屋の一室が気付いたら何も無い真っ白な空間になっている。先程まで俺の目の前にいた
パチパチパチと、拍手の音が聞こえてきた。音の方へと視線を移すとそこにはまたリゼットさんの姿がある。嬉しそうに笑っているが俺の記憶の中の笑顔と異なり、口角が上がっている。あんな笑い方は見た事がない。
「凄いね、心が弱っていたのに取り込まれないんだ」
心底驚いたような口調だ。ヒューと口笛も吹いてる。リゼットの顔でそんな仕草をするな。怒りが込み上げてくるが、息を吐いて落ち着かせる。戦場では常に冷静でいろ。リゼットさんの教えだ。
「その姿はやめろ。殺すぞ」
「殺せるのかい?この姿の私を」
両腕を広げてニヤリと厭らしく笑う。リゼットさんが絶対にしない仕草だ。
「憎たらしい奴だな、その顔じゃなかったら殴ってた所だ」
「それならこの姿できて正解だったということか!」
流石私だ!ハッハッハッハと笑うリゼットさんの姿をした何か。
頭はもう冷静だ。思考は回っている。これは夢だ。現実ではない。
「殴らないからその姿をやめろ。イライラするんだ」
「おや、記憶から読み取ったら君はこの姿に好意を抱いていると思ったけど?」
「お前じゃなければな」
「おや、残念」
リゼットさんの姿が歪む。ぐにゃぐにゃと気持ち悪く歪んでいく。吐き気がしそうな光景だ。
ゴキリ、ゴキリと骨を無理やり鳴らしたような音が鳴っている。腕が、足がぐちゃぐちゃになりながら丸まっていく。
目の前に肉団子のようなものがある。リゼットさんだったものを無理やり丸め込んだもの。それが徐々に人の方へと変化していく。
角が見えた。赤黒い蝙蝠のような翼も。腰から生えた尻尾の先はハートを逆さにしたような形をしていた。
桃色の髪はクルクルと巻かれた手入れが大変そうなツインテールで、黒い羊のような角が目立っている。
血のように赤い瞳と、唇もまた血でも啜ったのかと疑う程赤い。
前世で見た事があるだろうか? ゴスロリ? 貴族の令嬢が着るようなドレスを改造したような少し短めの黒いドレスに身を包んだ女。
尻尾がユラユラと揺れている。こちらを見る目はどこか楽しそうだ。
「さて、気付いてると思うけどここは君の夢の中だよ」
「だろうな」
現実では有り得ない事が起きている。予想はしていたが夢の中か。ミラベルから貰った能力でも防げなかったのか?
いや、それは後から考えよう。夢の中にも関わらず痛みがあった。それを重く考えるべきだ。
俺の返答に目の前の女は嬉しそうだ。
「君の名を聞かせてくれるかい?」
「敵に名乗るつもりはないって言いたい所だけど、無駄だろうな。」
「君が言わなくても分かってはいるよ。君の口から聞きたいだけだよ」
「カイル。カイル・グラフェムだ」
俺が名乗れば満足そうに女が笑う。
「うんうん。カイルか!いい名前だね」
「お前は誰だ?」
「至極当然の質問だ。君も答えてくれたし私もちゃんと答えるよ」
くるりっとその場で一回転してから、こちらに向かってウインクをする。無性にイラッときた。
「四天王が1人『幻惑』のディアボロ
醒めない悪夢にいらっしゃいませ」
───今すぐ帰りたいところだ。
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