第三の手記

民意の審判

 この裁判は私の最初で最後の裁判所に行く機会であった。正直こんなこと夢にも思っておらず、内心浮かれ気味になっていた。

 

 しかし法廷へ足を踏み入れた時、私は誰かに突き落とされる感覚を覚えたのだ。検察官と陪審員、私と傍聴人以外の全員がアンドロイド。ある種絶望を感じた。このような裁判は公平ではあるものの公正では無いではない。変な悪寒を感じながらも席に座る。隣には警備員替わりであろう彼女達が一切動かず佇んでいる。


「被告人秋月信繁、まず人定質問を行います。 -検閲により削除されました- でよろしいですか?」

 裁判長役のアンドロイドがそう言う。私の中で苛立ちと気味の悪さが血液の様に循環する。この裁判、裁判とは思えないほど無機質で形式に沿っただけの小学生がおままごとでやるような、そんな代物だ。

「私の職業は医科学者だ。そのような下劣な職業では無い。」

 傍聴人の睨んだ目が私を取り囲む。さながら蛇のいるケージに入れられたモルモットのように。


「それではまずは起訴状の朗読をお願いします。」

 「はいっ」と検察官は立ち上がり起訴状を読み上げる。どうやら私は蚊帳の外らしい。

「被告人秋月信繁。意見陳述をお願いします。」

「被害者に大変な迷惑を掛けたことを深く反省しています。二度とやりません。...なんて言うと思ったか?意見陳述だから手短に言うが、私は動物を殺し、副作用で治験者を苦しめた。それは紛れもない事実だ。しかしそのどれもが法に触れてはいない。完全な無罪なんだよ!そもそもこのような裁判をして何になる?この裁判はただの民主主義ボリシェヴィキによる大粛清の一環ではないか!」

 静寂に包まれる法廷に私の怒号にも似た声が響く。まあこの空間で私の言葉をまともに聞いている人間は皆無だろう。席に座ると同時にこの法廷内の絶対権力者が喋り出す。


「次に冒頭陳述を検察官は行ってください。」

「わかりました。まずは被告人の家庭環境及び経歴についてです。本名秋月信繁、年齢 -検閲により削除されました- のような経歴で特に犯罪歴や家庭環境に原因があった訳では無いです。犯行動機としては癌の根絶と人類の健康寿命の増加のためということです。犯行状況はモルモット及び捨て犬、猫に対しフェルミトキシンを注入した結果の実験動物9割の死亡及び治験者の多くが副作用、吐き気、高熱、目眩などに侵され、治験者に対して金銭の未払いと恫喝があるとの事です。」

 検察官が何かを発言する度に「金目的だろ!」「動物が可哀想だ!」「このような悪魔が賞賛されてはいけない!」などの子供の戯言のようなヤジが飛ぶ。幸いなことにその行為については彼女らが許さないらしい。

「静粛に。あと3回同じことをしますと無条件で殺しますよ。」

 傍聴人も無機質な殺気に気づいたか途端に蛇に睨まれた蛙の様に縮こまった。


「検察官は証拠調べを行ってください。」

「まず実験動物の殺害については被告人が先程事実であると申していたため動物愛護管理法については違反したということで間違いないですか?」

 私は呆れながらゆっくりと喋る。

「私は動物をみだりに殺してなどいない。モルモットは管理し、捨てられ身寄りのない犬猫を実験に使用した迄だ。犬猫は既に毒ガスによって殺処分される運命だった。それが人間の癌を治すための尊い犠牲になったのだ。これは非業の死ではない。'希望の死'だ。我々はその英霊に対し悲しみ、原因を罰するのではなく、賞賛と感謝を述べるべきだろう。」

 静かに諭すように話した。傍聴席には怒りかトイレに行きたいか知らんが拳を強く握りわなわなと震えている人間も数人いた。

「あくまでもみだり且つ残酷な殺害はしておらず法には抵触していないということですか。ですが多くの動物を殺害したことは間違いないです。治験の副作用及び恫喝、金銭の未払いについてはどうお考えで?」

 検察官が問うた後に原告が法廷に入り、ベラベラと戯言をほざいている。

「君は強烈だったから覚えているぞ -検閲により削除されました- 君。君は確か治験者であったにも関わらず禁止行為を多く行った。まともな仕事をしてもいないのに金銭の要求とは反吐が出る。」

 私が原告の話を遮り、事実を述べると原告は私に殴り掛かろうとして彼女らに捕らえられ早々にご退場した。


「それでは検察官は論告をお願いします。」

「論告なんてものは飛ばしてもなんら問題はないんじゃないか?どうせ言うことは変わらない。残虐だとか人道に則ってないとか、そういう体のいい罪を被せて結局は国民が私のことが気にくわないと判断したという理由、たったそれだけだ。私が何を言っても国民の意向により裁かれる。裁判長ならこの裁判のくだらなさお分かりでしょう。」

「...論告は飛ばし弁論と最終陳述に移ります。被告人秋月信繁、お願いします。」

「彼女は分かってくれたようだな。この裁判は所詮国民の退屈を埋めるおままごとに過ぎない。中学生の議論の方がよっぽど有意義だ。弁論だが法の不遡及というものがある。過去に起こした罪を現在の法では裁けない。至極単純で最も重要な原則だ。法の不遡及に則れば私は無罪であることが確定する。そして最終陳述。君達に言っても無駄だろうが他の全国民に言おう。国家の破滅には指標がある。立法機関に少しばかり有名というだけのただの素人共を選ぶこと、行政機関がカリスマ性の欠如を起こし、ろくにプロパガンダを行わないこと、そして司法に民意を持ち込むことだ。今の司法に必要なのは無機質なアンドロイドでも感情論を押し付ける民意でもない。司法の頂点たる人間が碩学であり、民意に流されない論拠、そして倫理観や同情という愚かさを持つこと。それこそが司法が醜くも美しい完全体になれる唯一の方法だ。今ここで私に判決は覆らないだろうが我が国が着々と破滅に向かっていることは知って欲しい。これで最終弁論を終わります。」

 

 私の最終弁論が終わったあとしばらく時間が空いた。裁判員の意見整理だろう。しかし何故こんなにも時間がかかる?どうせ全会一致で無期だと思っていたが。そうこうしている間に判決の時間が来た。

「判決を言い渡します。被告人秋月信繁は無期懲役に処す。」

 法廷にいるほぼ全ての人間が喜ぶという異常な空間だ。どっと一瞬傍聴席から歓声が上がりかけた。


 しかしそれは一人の裁判員によって止められた。

「わっ私は被告人が無罪であると主張しま...したいです..」

 机を叩きながら立ち上がった一人の女性が弱々しくも発言をしてよろよろと座った。

「悪の権化から一つの光が生まれたか。君達良かったな。次の犠牲者が見つかったようで。そして貴女はその勇気を決して忘れるな。君が民意から抜け出した事は誰よりも勇敢で人生物語の主人公になり得る。最後に持論を述べさせて貰う。」


「民主主義は民意を排除して初めて達成される。」

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