第二の手記

歪んだ人道主義

 私は警察署に連行され、早々に尋問室へと連れていかれる。脳はやっと覚醒し始め苛立ちを覚えさせる。尋問室で私はしばらく一人にされた。手錠も外され、完全に自由な状態だ。しかしこの部屋は何処かおかしい。監視カメラが明らかに多い。普通であれば一つ二つあれば良いはずのカメラがこの部屋には5つ以上存在する。迂闊に動くことが出来ない、正に今の人道法によって統制された日本のように。私が巡り巡っている思考を吟味していると一人のアンドロイドが部屋に入ってくる。彼女は私の前の椅子に腰掛け、淡々と問う。


「秋月さん、どうしてここに連れられたかお分かりですか?」

「人道法と動物愛護法の違反だと聞いている。遂に私もイカれた民意に背後から刺されてしまったようだな。」

 そう吐き捨てる。しかし何が法に触れたのか甚だ疑問だ。愛玩動物など飼ってもいなければ私が犯罪予備軍?笑わせてくれる。私がつい笑ってしまっている間も彼女は静かに美しい姿勢で座っている。

「秋月さんは実験の際に多くの実験動物を殺害し、フェルミトキシンの治験で死者は出なかったものの副作用で多くの者が苦しみました。この二つが動物愛護法と人道法に抵触されたかと思われます。」

「それは君達の意向ではないだろう?一体どこのどいつだ。密告したのは。」

 私は語気を強くし発した。先程までの苛立ちが遂に表に出てしまった。しかしそんな私とは対照的に彼女は無機質に答える。

「密告ではありません。集団訴訟です。」

 彼女は腕を縦に裂き、腕の中からリモコンを取り出す。そのリモコンによって付けられたテレビには私の終身刑を望む集団が映っていた。

 彼らの何人かは見覚えがあったが、他の者は見たこともない。少なくとも初見の人間は治験者ではないだろう。

「彼らの意見は非常に感情的で論理としては聞くに堪えませんが民衆には魅力的に見えたのでしょう。今や彼らは秋月さんの功績さえ忘れて、遂には秋月さんを絶対悪として仕立てあげたのです。」

「人間は完璧で反論の余地がない難解な論文よりも、単純明快で誰でも理解できる安っぽい感情論を好み、扇動される。そこに論理的根拠や確たる証拠など必要ないというわけか。なんとも人間らしい。君達と違って我らはまるで成長していないようだな。」

 渇いた笑い声が静かに響く。

「それではこの供述調書に署名を頂けると幸いです。」

 彼女はそう言い体内から一つの紙を取り出す。やはりアンドロイドは人間に仕込まれた事しか行わないようだ。自らの意見を持ちながらも人間に完全に従属する。それでいてニヒルに陥らない。なんとも賢く幸せに貪欲なのだろうか。感嘆すら思えて来てしまう。


「...ちょっと待て。この調書どういうことだ?」

 さらっと見ていてもおかしさに気づいた。語彙が乏しく稚拙で、全く論理立てていない感情むき出しの文章。彼女らが書いたであろう丁寧な明朝体の字すら殴り書きにも見えてくるお粗末で幼稚な内容だった。

「基本的に通常の犯罪に関しては私たちが供述調書を担当しますが人道法違反の場合は別です。供述は全てが民意に委ねられ、原告が好きなように書きます。」

「ああそうか。やはり今の日本は破滅に向かっているようだ。これじゃあまるで末期ソ連と同様ではないか。人間とは実に愚かだな。」

 私は彼女に調書を突き返す。調書は机から落ち、ゆっくりと落ちていく。それは途方もない長い時間の様にも感じた。


「皆様も最初はそのように余裕綽々としているんです。」

「強硬手段を取るのかい?アンドロイドは人間に危害は加えられないではないか。」

「ええ。強硬手段を取るのはここにはいない彼らです。」

 そう仰々しく彼女は監視カメラを一点に見つめる。彼女に目などは無いが彼女からは監視カメラを見ろという無言の圧を受けた。私は落ちて長いこと放置されている民意の落書きから、彼女の見るカメラに視線を移す。

「あのカメラ。本物か?」

 まじまじと見ると形だけのカメラのようだった。

「この部屋の監視カメラ計五台の内二台は監視カメラ、残りはカメラの皮をかぶった銃器です。人道法の指数が一定量を超えると自動で被告人を殺害するようプログラムされています。」

「今の今まで常に銃を突き付けられていたわけか。だからこそ手錠を外し、自由にさせていたのか。」

 唾を飲む。明らかな殺意のない人間や彼女に急に殺されるなんて恐怖でしかない。


「それではこちらの調書に署名、してくれますよね。」

 無機質な声にも関わらずその声に圧を感じ、遠回しに書かないと殺すと言われているようだった。

「....いや、私は自分で書いた調書か誰かが私の話を忠実に再現した調書以外にはサインはしない。」

「死にますよ。」

 淡々と告げられる死刑宣告。死への恐怖というのは無いが出来るだけ死に方と死に場所は自分で選びたい。だから、ここで死ぬ訳にも捕まって一生牢獄も避けなくてはならない。

「医科学者としての秋月信繁は既に死んだ。民意によって圧死したんだ。今やヒールとして民衆のストレスの捌け口となっている。だったらヒールはヒールらしく悪役を演じ切り、正義の味方の理不尽で、下劣で、醜い所を他の人間に伝えなければならない。ただ彼らの思い描く自供をしたところで何も面白くないだろう?」

「秋月さんは本当に稀有な人間です。その何者にも屈さない姿勢や自分のことは決して妥協しない精神。医科学者として成功したのもこれらがあったからですかね。」

 少しばかり緊張が解けてきた。彼女も表情や感情は分からないが楽しげで声色も明るく感じた。しかし今日は終了と言わんばかりに、荷物をまとめて立ち上がる。もう誰も気にも止めていない落ちて放置された子供の愚痴を拾い上げる。

「歴史上の天才はほとんどが一般人から逸脱している所謂外れ値だ。神がこのシステムを考えていたとしたらきっとそいつは神ではなく悪魔だと思う。天才が端に追いやられ非業の死を遂げるのにも関わらず一般人はのうのうと生き続ける。これが一般人のルサンチマンだ、つくづく恐ろしいと思うよ。」

 そう彼女に話しかけるも彼女は何も喋らずに扉に向かっていく。私との自動対話プログラムを切られたか。なんて思いながら彼女のことを目で追う。彼女は私が客人であるかのように深い最敬礼をして出ていった。ガチャッというドアが閉まる音を最後に私はしばらく沈黙と静寂の空間へと放り込まれた。

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