第7話 真の愛と勇気・後編
アズリーたちに迫るスヴィークに向け雄叫びを上げると、ヴォンは膨れ上がった体で弾丸のように突進します。
「ぐぅ!?」
あまりの速さに、スヴィークは反応できません。のしかかったヴォンの重みに耐え切れず、吹き飛ばされてしまいます。
猛獣となったヴォンは、攻撃の手を緩めません。彼の咆哮は空気を震わせ、二頭が争う影響で辺りには地響きが起きています。
「ヴォン……!」
アズリーはただ見守ることしかできません。
そんな時でした。
「——あれは……ヤズル様!?」
「アズリーもいるぞ!」
スヴィークの後を追って、群れのオオカミたちが駆けつけてきたのです。地上に通じる洞窟から、続々と姿を現します。
「あの怪物はスヴィーク様か!? なんだあの姿は……」
倒れたヤズル、そしてアズリー、怪物となってヴォンと争うスヴィークの姿を見たオオカミたちは、口々に言いました。
「みんな!」
「おいアズリー、今までどこにいたんだ? 一体どうなっている、ヤズル様はあの熊の化け物にやられたのか!?」
一匹のオオカミが発した一言を皮切りに、群れの敵意が戦っているヴォンに集中します。彼らの目には、スヴィークが群れのリーダーとその娘を守るために戦っっているように映っていました。
「違うよ!!」
突然のアズリーの叫びに、群れのオオカミの視線が集まります。
「みんな、聞いて。悪者はスヴィークよ。あいつはパパを騙して崖から突き落として、自分がリーダーに成り代わったの。彼は——ヴォンは、わたしとパパを守るために戦ってくれているのよ」
彼女が告げた衝撃の事実に、オオカミたちはざわめきます。
「では、森の動物たちを襲って住みかを奪えという命令は……」
「もちろん、嘘よ! パパは一度だってそんなこと言ってない。全てスヴィークの企みよ。私たちがここから動けないのをいいことに、群れと森を支配しようとしたの」
「そんな……」
「おれたちはなんてことを……」
アズリーの訴えは、オオカミたちに通じたようです。オオカミたちは自分たちの行いを悔やむように
すると、洞窟の中からなにやら慌ただしい声がします。アズリーやオオカミたちが視線を向けると、出てきたのは捕まっていたはずのフルーとスカルポでした。
「おっと、ここもオオカミだらけじゃないか! どうするんだ、挟まれたぞ……おいおい、なんだありゃ」
「あれは……ヴォン? 少し見ない間にずいぶん成長したわね」
「成長したにしては大きすぎるけどな」
二匹は変貌したヴォンを見て驚きましたが、すぐに彼であると見抜いたようです。
そして、また洞窟から騒がしい声が反響しました。
「——待ってくれ〜! 僕を置いていかないでくれ〜!!」
忙しなく現れたのは、キツネのフィーブルでした。
「あら、生きてたのね」
「遅いぞ、フィーブル」
「君たちが早すぎるんだよ!」
フルーとスカルポの前に滑り込んだフィーブルは息を切らして言いました。彼はオオカミたちの目を盗んで、二匹を解放したのです。その証拠に、彼を追ってきた数匹のオオカミがなだれ込んできました。
「——あなたたちが、ヴォンの仲間ね?」
オオカミの群れをかき分け、アズリーが三匹の前に出ました。
「ええ、そうよ。まあ、彼はどうだか知らないけど」
答えたのはフルーです。横目で見られたフィーブルは苦笑いして頷きました。
「手短に話すわ。……いえ、まずは……ごめんなさい。あなたたちが受けた仕打ちはヴォンから聞いたわ」
「……ええと、あなたは?」
見知らないオオカミからいきなり謝罪を受けて、フルーたちは困惑しています。
「わたしはアズリー。ヤズルの娘よ」
彼女がそう言った瞬間、フルーたちは一歩下がり警戒心をあらわにしました。ですが、アズリーに敵意などありません。彼女は必死に弁解します。
「聞いて!! ……信じられないかもしれないけど、わたしたちはあなたたちと争う気はないわ。全部、スヴィークが仕掛けたことなの。みんな、騙されていただけ。……どうか許して」
アズリーが頭を下げると、群れのオオカミたちは牙をおさめ、威嚇するのをやめました。フルーたちも顔を見合わせ、警戒を解きます。
若いオオカミの必死の訴えは、居合わせた動物たちのわだかまりを解いたようです。オオカミたちはその姿に偉大なリーダーであるヤズルの姿を重ね、フルーたちもまた、アズリーの言葉に偽りはないと感じ取ったのでした。
その時です。
「——グオオオオオオ!!」
一際大きい、ヴォンの咆哮が響きます。
二匹の争いは、ヴォンが優勢なようでした。
スヴィークはオオカミ特有の素早さを活かし、幾度となく爪と牙の猛攻をけしかけますが、分厚い毛皮に覆われたヴォンの体はものともしていません。怒りに身を任せ、振るうのは純粋な暴力です。
「ねえ、なんだか様子がおかしいわ」
傍観していたフルーは、ヴォンの異変に気付きました。それは単純に姿が変わったという点だけではなく、ヴォンがヴォンでなくなりつつあるという違和感でした。
「ああ、あれじゃただの怪物だ。まさか、あのまま戻らないなんてことないだろうな」
スカルポも同調します。彼の言う通り、ヴォンは完全に我を忘れているようでした。
血走った目でスヴィークをにらみつけ、飢えた猛獣のようにだらしなく唾液を垂らしながら暴れています。その姿に、かつての優しいヴォンの面影はありません。
それに、どこか苦しそうです。スヴィークに攻撃するたび呼吸は乱れ、動きは鈍っています。過剰な力は、まだ幼いヴォンの命を削っているかのようでした。
「——……言い伝えでは、子熊は自分を犠牲にすることを選んだ。その結果、森は枯れずに済んだ」
不意に、フルーが言いました。彼女の要領をえない発言に、動物たちの視線が集まります。
「でも、母親だけ救うことを選んだ結末は語られていないわ。……ねえアズリー。スヴィークは、果実を食べてあの姿になったの?」
「ええ、そうよ。わたしとヴォンが見つけたところにあいつが現れて、奪われてしまったの」
「そう……」
それだけ聞くと、フルーは神妙な面持ちで俯きます。そして少しの間をおいて、こう切り出しました。
「私が思うに——豊穣の果実がもたらす恩恵は、食べた者の心の善悪に左右されるんじゃないかしら。スヴィークは支配欲のままに果実を食べて、怪物になった。その証拠に、ここの植物は枯れてしまった」
「たしかに……そうだな。ここに来る途中も、草木が枯れていくのを見たぜ」
フルーの推測を裏付けるように、スカルポが言いました。
「……もし、本当に果実に命を救う力があるなら、その逆があってもおかしくはないわ。そしてその力が、森にだけでなく食べたヴォンたちにも影響するとしたら——」
フルーはそこまで言うと、口を閉ざしました。そしてアズリーを見ると、重々しく続けます。
「ヴォンも、果実を食べたのね?」
「わたしはパパのそばにいたから、よく覚えていないわ。気付いたら、ヴォンの姿が変わっていたの。……でも、あの時の彼、すごく怒ってた」
「……まずいわ。早くヴォンを止めないと、果実に命を奪われてしまうかもしれない」
苦しそうに吠えるヴォンを見て、フルーはそう告げました。
「そんな……! わたしたちを助けたせいで……——ヴォン!!」
そう言うと、アズリーは単身、ヴォンの元へ駆け出しました。
それとほぼ同時に、ズシン、と地響きが起こります。
ヴォンは力任せにスヴィークを押し倒し、もがく彼の喉元に太く鋭い爪を突きつけています。
「——ヴォン!! だめ! 元に戻って!!」
アズリーはそのままの勢いで、振り上げられたヴォンの腕にしがみつきました。
「正気に戻りなさい、ヴォン! このままじゃあなたが倒れてしまう! 無事にリースの元へ帰るのよ!」
「そうだぞヴォン! お前は母親を救うんじゃなかったのか!」
フルーとスカルポも駆けつけました。彼の耳元で、必死に訴えかけます。
ですが、仲間の声はヴォンに届きませんでした。
「グガアアアアア!!」
ヴォンは唸り声を上げると、暴れ回って三匹を振り払います。アズリーたちはとてつもない力で地面に打ち付けられてしまいました。
「——おいみんな、アズリーを助けろ!!」
「スヴィークを止めろ!!」
その様子を見たオオカミたちも黙っていません。続々とスヴィークに飛びつき、起きあがろうとしていた彼を必死に抑えつけます。
ですが、怪物になったスヴィークも止まりません。仲間であるはずのオオカミたちを容赦なく鎌のような爪で傷つけてしまいます。
「みんな!!」
そして、アズリーが泣き叫んだ時でした。
再びヴォンはスヴィークにのしかかり、爪を突きつけ、今度こそトドメを刺そうという勢いです。
ですが、そこでヴォンは動きを止めました。
「——どうした、ヴォン。早くトドメをさせ。憎くないのか? そのオオカミはお前の仲間を傷つけ、アズリーの母親を死に追いやったのじゃぞ」
不意に、ヴィトルの声がヴォンの耳元で囁いたのでした。
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