第6話 真の愛と勇気・中編

「これが伝説の果実とやらか。ククク……ようやく手に入った……! 道案内ご苦労だったなぁ、小僧」」


 スヴィークは勝ち誇ったように言いました。彼は果実を求めるヴォンの行方を追っていたようで、手下の狼たちを使い、大樹の根本へと通じる道を見つけてしまったのでした。


「スヴィーク……! 果実を返せ!!」


「残念だが、それは無理な相談だ。——そういえば、母親が病気らしいじゃないか。あぁ、それは可哀想に。優しくて勇敢なヴォンは、そのためだけにここまでやってきたわけだ。泣かせてくれるねえ」


 スヴィークはわざとらしく、同情するような口ぶりで言います。ですが、その表情はニタニタといやらしく笑っています。


 そして今度は、横たわるヤズルとアズリーに目を向けました。


「それに……そこにいるのはヤズルの旦那じゃないか? よかったよかった、俺様は生きていると信じていたよ。お嬢ちゃんがずっと看病していたのかい? 群れのリーダーとして礼を言おう。きっと、旦那も娘のことを誇りに思っているだろう」


「よくもそんなことを……! スヴィーク、あなたがパパをこんな目に合わせたくせに! それにリーダーはあんたなんかじゃない、わたしのパパよ!!」

 

 白々しい嘘をつくスヴィークを前に、アズリーはまだ小さい牙をむいて吠えます。


 するとスヴィークはわざとらしい演技をやめて、しわがれた声で恐ろしいことを言ったのです。


「……なんだ、お前見ていたのか。ククク、まったく厄介な親子だ。あの時、母親もろとも殺されていればよかったものを。役立たずの人間たちめ」


「……どういうこと? なにを言ってるの? ママが死んだのは、パパを人間から守るためだって……」


「ああ、その通りだお嬢ちゃん。お前の母親は人間が向けた猟銃から旦那をかばって死んだ。旦那も、群れとお前をかばいながら逃げるときに右目を失った。——旦那からは、そう聞いているんだろう?」


 最後にそう付け足したスヴィークの口が、ニタァと吊り上がります。その表情はまるで悪魔のように邪悪なものでした。


 恐ろしい人間から逃げ続けた日のことを思い出し、アズリーの心臓はバクバクと鳴っています。すると——


「その薄汚い口を閉じろ、スヴィーク……!」


 苦しそうですが、威厳に満ちた狼の声がアズリーの意識を戻しました。


「パパ!」


 眠っていたヤズルが目を覚ましたようです。弱っているとはいえ、堂々と立ち上がり、残された隻眼でスヴィークをにらむ彼の姿は、屈強なオオカミたちのリーダーそのものでした。あまりの威圧感に、ヴォンは息が詰まりそうです。


「うるさい、死に損ないは黙っていろ! ——いいか、お嬢ちゃん。旦那の話は全てお前を安心させるための嘘だ。自分の母親を死に追いやった犯人がまだ群れにいると知ったら、お前は正気じゃいられなくなると思ったんだろう」


「パパ、どういうこと……?」


「スヴィーク!! 約束を忘れたか!!」


 アズリーは困惑し、ヤズルは吠えます。そんな二匹をあざ笑うかのように、スヴィークはある事実を突きつけるのでした。


「食い殺す前に、いいことを教えてやろう。——あの日、人間たちを群れに差し向けたのはこの俺様だ」


「え——」


 残酷な真実を告げると、スヴィークは放心するアズリーと怒りに身を震わせるヤズルを様子を見て楽しんでいるかのように、下品な笑い声を上げます。そして、果実をまる飲みにしてしまうのでした。


「ああ、果実が!」


 ヴォンが嘆きますが、もう遅いようです。


 果実を飲み込んだスヴィークの姿は、みるみるうちに変わっていきます。ボサボサの毛並みが荒波のように揺れながら伸びていき、大きな口はさらに裂けて広がり、より鋭くなった爪と牙はまるでナイフのようです。


「なによ、これ……」


 変化がおさまるころには、スヴィークの骨ばった体は倍以上の大きさに膨れ上がり、血走った目が三匹を見下ろしていました。


 その姿は、巨大な狼というより邪悪な怪物です。


「クハハハハ!! なんという力だ……! これで俺様に逆らう者はいなくなる! 人間たちなど恐れることはない! 群れも、この森も、外の世界も全て! このスヴィーク様のものだ!!」


 おぞましく笑うスヴィークの声が、あたりの空気を震わせます。



「——恐れていたことが起きてしまったか」


 そんな中、突然ヴォンの聞き慣れた声がしました。


「ヴィトルさん!? どうしてここに!」


 ヴォンが振り返ると、そこにはヴィトルが杖を支えに立っていました。そして、彼は言います。


「それよりも奴をどうにかせんといかん。——見ろ」


 ヴォンたちが彼の指差す方を見ると、大樹の放つ光はさらに弱くなっていました、それどころか急速に枯れ始め、上から次々と落ちた葉が降ってきています。ヴォンたちの足元を緑色に染めていた苔や草木も、茶色くしなびた枯れ草の地面になってしまいました。


「果実がしき心を持った者の手に渡ったせいじゃ。このままでは森は枯れ、動物たちの住む場所はなくなってしまう」


「そんな……どうしたらいいの!?」


「……スヴィークを殺すしか方法はない。奴の暴走を止めねば、フェルリンデの森だけでなく他の森や山もめちゃくちゃにされてしまうぞ」


「殺すなんて、そんな……! それに僕なんかがあんな怪物に敵うわけないよ」


 ヴィトルは淡々と語ります。普段の彼からは想像できないような冷たい声と表情にヴォンが戸惑ってしまいます。


 ですが、怪物になったスヴィークに立ち向かう動物がいました。ヤズルです。


「ヴォン、とかいったな。見るかぎり、私の娘と親しいようだ。——頼む、アズリーを無事に外まで逃してやってくれないか」


 彼はヴォンに背を向けたまま言いました。彼のどこか悟りきったような声色は、並々ならない覚悟を感じさせます。


 ヤズルも、彼のそばを離れないアズリーも、急に現れたヴィトルの存在にまだ気付いていないようです。


「え……?」


 ヴォンはヤズルが言った突然の提案に、戸惑ってしまいます。


「パパ、どうするつもりなの!?」


「——くるな!!」


 思わず父親の元へ駆け寄ろうとするアズリーですが、ヤズルはそれを一喝します。そして、穏やかな口調で続けます。


「……アズリー、すまなかった。奴の言う通り、私はお前に嘘をついていた。それががお前のためになると、勝手に思い込んでいた。私は群れの一員であるスヴィークを見限れなかったのだ。一度は噛み殺してやりたいと思ったが、いつか改心する時がくると期待してしまった」


 そう語る父親の背中を見たアズリーは、大粒の涙を流しました。


「いや……いやよ……」


 今度は父親まで失ってしまうと理解したのでしょう。彼女は力なく泣き崩れました。


「娘を頼んだぞ、ヴォン。——アズリー、愚かな父親を許してくれ」


 そう言い残すと、ヤズルは雄叫びを上げながらスヴィークへ突進します。衰弱しているとは思えない気迫で、勇猛な狼として立ち向かっていきました。


「ヴィトルさん、なにか方法はないの!? このままじゃヤズルが……!」


「ふむ、方法ならないこともない」


 このままではヤズルは殺されてしまいます。焦ったヴォンはヴィトルの方へと向き直り言いますが、彼は待っていたかのように、じっと立ちすくんでいました。


「本当!?」とヴォンは笑顔になりますが、ヴィトルの表情は笑っていません。


「簡単なことじゃ。ヴォン、お前さんも果実を食べればいい。そうすれば、スヴィークを倒せるほどの力を得ることができぞ」


「でも、果実なんてどこにも——」


 ヴォンがそう言うと、ヴィトルは腰に回していた方の腕をヴォンの前に差し出しました。その手には、輝きを放つ一つの果実が握られていたのです。


「それ、豊穣の果実……? なんでヴィトルさんが……」


「——ただし」


 驚くヴォンですが、ヴィトルはそれにかまわず、淡々と続けます。


「おぬしが正しい選択をせねば、スヴィークを倒せたとしてもどのみち森は枯れ果てる。そして、おぬしも奴と同様、醜い怪物となる」


「僕が……あんな怪物に?」


 自分が怪物になってしまったら、誰が母親を助けるのでしょう。誰が捕らわれたフルーとスカルポを解放するのでしょう。


 大切な母親と仲間のことが頭をよぎり、ヴォンが躊躇した時です。


「パパ!!」


 アズリーが叫びました。


 彼女が駆け寄った先には、深傷を負ったヤズルが力なく横たわっています。凶暴化したスヴィークの一撃を受けてしまったヤズルは、「逃げろ……アズリー」と掠れた声で言います。


 それでもアズリーは、父親から離れません。


 ズシン、ズシンと親子に近づくスヴィークの足音と、ヴォンの心臓の鼓動が重なります。


 アズリーは倒れた父親を必死に呼びかけています。


 彼女の悲痛な声を聞いているうちに、ヴォンは自分を繋ぎ止めていた鎖が切れたような気がしました。


 そして気付けば、ヴィトルが手にした果実を受け取り、口にしていました。


 果実を飲み込んだ瞬間、彼の体にはスヴィーク同様の変化が起きます。


 茶褐色の毛並みを荒ぶらせながら、みるみるうちに大きくなっていきます。そして、たくましくも獰猛なヒグマの姿へと変わりました。体の大きさも、爪や牙の鋭さもスヴィークを凌駕しています。


「——スヴィーク!!」


 そう吠えたヴォンの目は、怒りと憎しみに満ちていました。


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