第5話 真の愛と勇気・前編
アズリーの口から語られたのは、森の動物たちが知らないようなオオカミたちの過去でした。
フェルリンデの森にたどり着く前、オオカミたちは遠く離れた森で穏やかに暮らしていたそうです。
ですが、ある日突然、彼らは毛皮を狙う人間たちに襲われてしまったのです。
その時、不幸にもアズリーの母親は人間に猟銃を向けられたヤズルをかばい、命を落としてしまったのでした。そしてヤズル自身も、娘のアズリーと群れを守りながら逃げる途中、右目を失ってしまったのだといいます。
「人間たちに襲われてすみかを追われて……、ママまでいなくなって、パパは変わってしまったの」
「……」
ヴォンは返す言葉が見つかりませんでした。
自分が助けようと必死になる母親の存在を、彼女はすでに失っているというのです。その上、今度は父親であるヤズルまで倒れてしまいました。
そんな彼女の気持ちを考えただけで、ヴォンは心臓がギュッと締め付けられる思いでした。
アズリーは、辛い表情で言葉をしぼり出しながら続けます。
森に流れ着いた後、ヤズルは生き残った仲間とアズリーを守りたい一心で、フェルリンデの森に住んでいた動物たちを脅し、縄張りの一部を奪ってしまったと。その姿に優しい父親の面影はなく、自分たちを襲った人間たちのようだった——と、アズリーは言いました。
「でも、やっぱりパパはわたしの知ってる優しいパパだった。あの時は、ただ必死だっただけ。パパは後から後悔していたわ。『暴力による解決ではなく、話し合うべきだった』って。森のみんなを脅かしたことは本当だけど、爪や牙で傷つけたことは一度もなかった。それなのに、あいつは——」
しかし、スヴィークは違いました。
彼はヤズルという偉大なリーダーの忠実な部下として振る舞う影で、新天地であるフェルリンデの森を支配したいという欲望を隠していました。
ヤズルがオオカミたちの縄張りをつくったあとも、森の動物たちを襲い、強引にすみかを奪い、時にはいたずらに動物たちを傷つけることもありました。彼は本能のおもむくまま、狩りを楽しんでいたのです。
そしてある夜のこと。ヤズルはそんな彼の勝手な行動を見かねて「話がある」と群れから離れたところに呼び出しました。父親が自分に黙って群れから離れたことはなかったので、不審に思ったアズリーは彼らのあとを見つからないようについていきました。
彼らが森の奥へ奥へと進みやってきたのは、切り立った崖の上でした。
アズリーが近くの茂みに隠れ聞き耳をたてていると、『約束を忘れたのか? 仲間として一緒にいたいなら——』と父親の声が聞こえてきました。
スヴィークもなにか言っているようですが、うまく聞き取れません。なにやら言い争っているようでした。
そしてヤズルがスヴィークに背を向け、縄張りへ戻ろうとしたときです。
スヴィークは無防備なヤズルの背に、牙をむいたのです。咄嗟に反応したヤズルでしたが、スヴィークと揉み合いになり、その勢いで崖から落ちてしまいました。
アズリーは茂みに隠れたまま怯え、ただただその様子を見ていることしかできませんでした。
「もしあのとき、わたしが飛び出していたらパパを救えたかもしれない。でもわたしは、スヴィークが怖くてしかたなかった。だから彼がいなくなるまで待って、すぐにパパを探しに行ったの」
崖の下に降りる道を探しまわったアズリーは、小さな動物ならなんとか通れるほどの狭い洞窟を見つけます。そこを通り抜けた先で、全身傷だらけで弱りきった父親を見つけたのでした。
その場所こそが、大樹のまわりに広がる空間だったのです。
「この不思議な大樹のおかげで、パパの傷は少しずつ治っていったわ。でも、それも長く続かなかった」
アズリーたちが大樹へ身を寄せてから時間が経ち、大樹の光は日に日に弱くなっていきました。同時に、ヤズルの傷も癒えなくなり、彼はどんどん衰弱していったのです。
「わたしはとにかくスヴィークの裏切りを群れのみんなに伝えなくちゃと思って、縄張りへ戻ろうとしたわ。でも、森で見たのはスヴィークがパパの命令とだと嘘をついて他の動物たちを襲う姿だった」
だから、この場に留まるしかない。そう締めくくると、今度はアズリーが問いかけます。
「あなたは、この場所を探していたの?」
「……うん。でも途中でスヴィークに狙われてしまって、仲間が捕まってしまったんだ。実は、僕の母さんも病気で弱ってる。僕は母さんを救うために、『豊穣の果実』を探しにきたんだ」
「そうだったのね……。待って、豊穣の果実って……あの伝説の? この大樹がそうだって言うの?」
ヴォンは正直に打ち明けました。すると彼女は森の動物たちが話しているのを聞いたようで、果実の存在を知っていました。ここが言い伝えに聞く場所だと察したようです。
「そうさ。きっとそれを食べさせれば、母さんも、きみのパパも元気になるはずさ」
「でも……大樹に果物なんて実っていないわ。どうすれば……」
そう言って、アズリーは大樹を見上げます。彼女の言うとおり、大樹に果実は実っていません。ただ、弱々しく光っているだけです。
「『真の愛と勇気をもつ者の願いにのみ、果実は応える……』」
ヴィトルの言葉を、ヴォンは小さな声でつぶやきました。
「え……?」
「森に詳しいおじいさんが、それが手がかりだと教えてくれたんだ。——だから、願おう。僕は母さんを、アズリーはパパを救いたいと願うんだ。そうすれば、きっと果実は応えてくれるはずだよ」
「……いいの? パパだって、最初はあなたたちにひどいことをしたのに……」
悪びれるアズリーに、ヴォンは自信満々に言います。
「たしかにそうだね。彼のせいで、僕たちはすみかを失った。でも、本当にひどいのは狼たちを襲った人間と、森のみんなを傷つけたスヴィークだ。ヤズルは、ただアズリーや群れの狼たちを守りたくて必死だっただけさ。悪いオオカミじゃない。もう“傷顔スカーフェイス”なんて呼ばないよ」
「ヴォン……」
涙を浮かべるアズリーに、「それにさ」と、ヴォンは続けます。
「今なら、ヤズルの気持ちがわかるよ。僕だって、大好きな妹と母さんを守るためなら、なんだってするさ」
「そう……、ありがとう」
そして二匹は見つめ合と大樹に向き直ると、目を閉じて願います。
ヴォンが思い浮かべるのは、巣穴で自分の帰りを待つ妹と母親の姿。アズリーも、目の前でぐったりとしている父親を救いたいと、心の中で大樹に宿る精霊に呼びかけます。
すると、目を閉じていてもわかるほど、大樹が輝きだしました。その輝きは徐々に強くなっていき、広場は光に包まれます。
そして光が収まり二匹が目を開けると、そこにはキラキラと光を放つ、リンゴのような形をした果実が落ちていました。
「——これって……!」
「これが、豊穣の果実……?」
目に嬉し涙を浮かべて喜ぶアズリー。ヴォンもこれで母親を救えると思い、ホッとます。
ですが、ヴォンは少し戸惑っていました。
言い伝えによれば、願った子熊の前に精霊が現れ、母熊を救う代わりに森を枯らすか、どちらも救い自分が犠牲となるかの選択肢を与えたといいます。
言い伝えの子熊と同じように願った二匹の前に、精霊は現れず、どこからか声がしたわけでもありません。ヴォンが思うよりもあっけなく、果実は手に入りました。
あとは、弱った母親とヤズルに食べさせるだけです。
「アズリー、果実を半分ずつ分けよう。そうすれば、僕の母さんときみのパパ、どちらも救うことができる」
「ええ、もちろんそのつもりよ! ありがとう、ヴォン。あなたがここにきてなかったら、果実は手に入らなかったわ」
「いいんだ。僕こそ、アズリーと出会えなかったら大樹を見つけることはできなかったかもしれない。それでアズリー、お願いがあるんだ」
ヴォンにはもう一つ気がかりがあります。そう、捕まったフルーとスカルポを助けなければいけません。彼らとの約束を守るためにも、ヴォンはある提案をします。
「きみのパパは、スヴィークよりも強い?」
「ええ! 当然、リーダーだもの。パパは群れの中で一番強いわ! 元気になれば、スヴィークなんて簡単にやっつけてくれるわよ。あのときは不意打ちみたいなものだったからやられてしまったけど……」
突然の質問にアズリーは戸惑いますが、自信満々に答えました
「それなら安心だ! ヤズルが目を覚ましたら、捕まった僕の仲間を助けるのに協力してくれるように頼んでくれないかな」
「なんだ、そんなこと? もちろんいいわよ! パパだって本当は誰も傷つけたくないだろうし、喜んで協力してくれると思うわ」
「ありがとう! でもまずは、二人を元気にしないと——」
母親とヤズル両方を救うため、ヴォンが果実を二等分しようと爪をたてたその時です。
「——残念だが、そうはいかないな」
耳に絡みつくような低くしわがれた声が、二匹の背後から響きました。
そして——
「わあっ……!」
それは一瞬の出来事でした。
声がした方へとヴォンとアズリーが振り返るよりも早く、ヒュン——と、大きな影が突風のように二匹の間を通り過ぎたのです。
驚いて思わず目をつぶってしまった二匹が目を開けると、そこにはキラキラと光る果実をくわえたスヴィークの姿がありました。
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