第4話 熊と狼
フルーとスカルポのおかげで広場から逃げることができたヴォンでしたが、数匹の狼がヴォンの小さな背中を追いかけてきています。
ヴォンは全速力で森の中を駆け抜けます。足の速さでは狼たちに勝てませんが、小さな体を活かして入り組んだ木々の間をぬうように走り、狼たちから逃げ続けます。
ですが、それも長くは続きません。ヴォンは必死に走り続けましたが、そのうち崖のふちへと追い詰められてしまいました。
目の前には下が見えないほど高い崖、後ろには追っ手の狼たち。もうヴォンに逃げ場はありません。
「僕に近づくな!」
ヴォンがそう言って威嚇しますが、ただの強がりにしか見えません。狼たちはこわくないぞと言わんばかりに、バカにするように笑います。
唸り声を上げながらジリジリと詰め寄るを狼たちを前にヴォンが一歩、二歩と後ずさると、切り立った崖の一部がヴォンの重みで崩れてしまいました。
「わああああっ————」
ヒュウウウと風をきる音をたてながら、ヴォンは崖から落下していきます。それも、ものすごいスピードで地面に向かって一直線。このままでは大ケガをしてしまいます。
でも、その心配はありませんでした。
木々の葉がヴォンの体が何度も受け止め、その勢いはだんだんと弱まっていきました。ガサガサと音を立てながら落ちた先には大きな花が咲いていて、ぶ厚い花びらの上に落ちたおかげでヴォンは怪我をせずに済んだのです。
「イタタタ……あぶなかった……」
ヴォンは自分が落ちてきた方を見上げますが、生い茂った草木におおわれていて、空すら見えません。
太陽の光が届かない森の深くまで落ちてしまったようですが、そこはなぜか明るく、ぽかぽかと暖かい空気に包まれています。
鳥のさえずりや虫が鳴く音があちらこちらから聞こえ、大きな花を咲かせた見慣れない植物がヴォンを囲んでいます。そのまわりを、ぼんやりと光る丸い綿のようなものがフワフワと漂っていて、まるで言い伝えにでてくるような不思議な世界でした。
「ここはどこだろう……」
捕まったフルーとスカルポを早く助け出したいヴォンですが、どうやって戻ればいいかもわかりません。すると突然、途方に暮れている彼の耳に、近くの茂みから物音が聞こえてきました。
「だれ!?」
身の危険を感じ、ヴォンは身構えます。まさか狼たちがここまで追ってきたのでしょうか。
ガサガサ、ガサガサ——
物音は徐々に近づいてきます。ヴォンの心臓の音が、ドクンドクンと大きくなっていきます。
そして、茂みがパッと開いたその時です。
「あ……」
茂みから顔を出したのは、一匹のこどものメス狼でした。ヴォンよりもひとまわり小さく、きれいな白黒の毛並みをしています。彼女は興味深そうにヴォンを見つめると、小さな声で話しかけます。
「あなたは……? こんなところで、なにをしてるの?」
「ぼ、ぼくは……その……」
彼女の口調は穏やかですが、狼であることに変わりはありません。
ヴォンがメス狼を警戒し後ずさると、その様子を見た彼女はスッと茂みから姿を現しました。
「ごめんなさい、驚かせて。わたしはアズリー。でも、他の狼みたいにあなたを襲ったりしないから安心して!」
アズリーと名乗ったメス狼は申し訳なさそうに言葉を続けますが、すぐにパアッと明るい表情になります。
その姿は、ヴォンの抱いていた狼のイメージとまるで違っていました。スヴィークのような恐ろしさは感じられません。
好奇心いっぱいにヴォンを見つめる大きな瞳は、やんちゃなヴォンとそっくりでした。
「ええと……僕は、ヴォン」
「ヴォン、よろしくね! ねえ、ヴォンはどこからきたの? 誰かと一緒じゃないの? こんなところでなにをしてるの?」
ヴォンが名乗り返すと、アズリーはしっぽを振りながら、目を輝かせて次々と質問します。彼女は偶然出会ったヴォンのことが気になってしかたないようです。
「それが、探し物をしてる途中で狼たちに追われて、崖から落ちてしまったんだ。一緒にいた友達は捕まってしまったし、帰り道もわからなくて……」
「……そう。ごめんさい、彼らがひどいことをしたみたいね」
アズリーの勢いに圧倒されながらもヴォンが答えると、それを聞いたアズリーは、申し訳なさそうに耳としっぽを垂らし、自分のことのように謝りました。
「なぜ、きみが謝るの?」
ヴォンは途端に暗い表情を浮かべた彼女を不思議に思い、聞きました。
「アズリーでいいわ。せっかく会えたんだし、わたしたちもう友達でしょう? それにあなた、悪い動物じゃなさそうだし」
ヴォンの呼び方が気に入らなかったのか、アズリーはニコリと笑い、言いました。ですが、どこか無理して笑っているようです。
「じゃあ、アズリー。どうして他の狼たちと一緒にいないの?」
今度はしっかりと彼女の名を呼んで、ヴォンはもう一度聞きます。
すると、アズリーは辛そうな表情で、重くなった口を開きました。
「だって……群れに戻ったら、殺されてしまうもの。あなたも会ったんでしょう? あの恐ろしいスヴィークに」
アズリーの言葉にヴォンは驚き、ますます困惑してしまいます。
彼女は群れの仲間であるはずのスヴィークを、他の動物達と同じように恐れているようです。
「……どういうこと? アズリー」
ヴォンが聞くと、アズリーは真剣な表情でなにか考え込むように黙ってしまいます。
「——説明するより、見たほうが早いわ。わたしについてきて」
彼女は少しの時間をおいてそう告げると、ヴォンに背を向け歩き出しました。
アズリーに導かれ、ヴォンは不思議な森の奥深くへと進んでいきます。
入り組んだ木々の間をぬうように、二匹は狭い道を歩いていきました。倒木をよじ登ったり、岩のすきまをすり抜けたりしなければなりません。アズリーは慣れた足取りで進み続け、ヴォンもなんとかその後を追っていきます。
そうしてしばらくすると、二匹はようやく開けた場所に出ました。
「わあ……!」
目の前の光景に、ヴォンは思わず息をのみます。
中央には、巨大な大樹が聳そびえ立っていました。幹はたくさんの動物が手を繋いでも届かないほどの太さで、はるか上空まで伸びています。
どうやらヴォンが地上から見ていた大樹はほんの一部で、この場所はその根本に広がる森のようです。
大樹が不思議な光を放っていて、そのおかげで周りは昼間のように明るく、地上から離れた森も照らされているのでした。
しかし、よく見るとその光は不安定で、ゆっくりと点滅しています。はるか上空に伸びた枝葉も、青々としたところもあれば、枯れかけているところもありました。
そして、大樹に近づくアズリーにヴォンが付いていくと——太い大樹の根に、柔らかそうな葉を何枚も敷いたベッドがありました。
そこには、一匹の黒い狼が横たわっています。遠目から見てもわかるほど狼は痩せこけていて、弱々しい姿でした。
その姿を見たヴォンは一瞬、母親の面影を重ねてしまいましたが、狼の顔をよく見ると右目は潰れていて、代わりに大きな傷あとがありました。そうです、横たわっている狼は動物達から恐れられる狼たちのリーダー、ヤズルだったのです。
「“傷顔スカーフェイス”!?」
ヴォンが思わず立ち止まり身構えると、「——パパをそんなふうに呼ばないで!!」と前を行くアズリーの怒った声が響きます。
しかし、ヴォンを鋭くにらみつけるアズリーの目からは、おおつぶの涙があふれていました。
「パパ……? アズリーはヤズルの娘だったの?」
ヴォンは信じられない、といった表情を浮かべました。言われてみれば、彼女の毛並みの一部はヤズルと同じ、真っ黒です。でも、彼女が涙をながす理由はまるで見当がつきません。
するとアズリーは少し黙り込んでから、ゆっくりと口を開きます。
「森の動物たちは、パパを誤解してる。パパはスヴィークみたいに怖い狼なんかじゃない。わたしと群れのみんなのことを一番に考える、優しい狼よ」
アズリーの声は震えています。
ヴォンは、自分には想像もつかない事情があるのだと感じました。
ですが、親子が群れから離れて暮らす理由がわかりません。
ヴォンがそのことを尋ねると、アズリーは「わたしたちがこの森にきたのは、人間にすみかを襲われたからよ——」と、ゆっくり語り始めました。
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