整理収納のプロフェッショナル

森下 巻々

(全)

   *

 ノザキタケオの借りている部屋の大家おおやである、ハマグチおばさんが言った。

「あたしが頼んでおいたから、その人が来たら、部屋に入ってもらって、綺麗にしてもらうんだよ。分かったね?」

 タケオは大学二年生。今の学校に通い始めると同時に下宿を始めたから、一年と半年以上、ここで寝起きしていることになる。

 大家であるハマグチおばさんは、住人と結構触れ合うタイプらしく、しばしばタケオの部屋を訪れていた。

 夕食のおかずにと、煮物などの料理を持ってきてくれることもある。

 今回は、タケオの部屋が荒れ放題であることを見かねて、その話のために来たのだった。彼女は、

「あたしが勝手に片付けるのも気が引けるしねえ。その道のプロに今日、来てもらうことにしてあるからね。カリスマとかって言葉があるだろう?」

 そう言って、今日は外出せず人の訪問を待つように、と彼に伝えて住まいへと戻っていったのだ。

 ハマグチおばさんが呼んだというのは、どうやら、整理収納のプロフェッショナル、という売り文句で活動している、物片付けのアドバイスを職業としている者らしかった。

「しょうがない。待つか……」

 タケオは、カーペット上に散らばった新聞や印刷物などを、一枚また一枚と拾い重ねると、小物の散らばった勉強机の上に、そのまま載せていった。

 そして、その作業に数分で飽きると、今度は壁を背にして、布団の上に坐った。この部屋にいるとき、彼はその場所にいることが多いのであった。

 スマートフォンを弄って、三〇分ほど暇を潰している内に、

「こんにちはー」

 玄関の方から、女性の声がした。

 タケオが、そちらに歩いていってドアを開けると、もう一度、

「……こんにちは」

 身長が低めで、可愛らしい顔をした女性である。

「こんにちは」

「ノザキさん、ですよね」

「は、はい……」

「それでは、早速入らせてもらいますね。大家から、話は聞いておりますのでッ。これは、とりあえず入り口に置かせてもらいます……」

 女性は、何やら大きな袋を左右それぞれの手に持ってきていたのだった。

   *

 女性の名前は、タカチリカコというそうであった。髪は短くて、毛先が耳の下辺りで撥ねている。目がパッチリとした印象。三〇代前半といったところか。焦げ茶色のニット生地の服に、黒色の伸び縮みしやすそうな布地のズボンを合わせていた。どちらも躯の線が出てしまうような素材だから、タケオは目の遣り場に困ってしまった。胸の形、お臀の形、ともに角がなくふくよかだと思った。

 リカコはタケオの部屋にピンク色のスニーカーを脱いで入ってくると、デニム生地のエプロンを身に着けた。

 タケオは今までに、恋人もいたことがないし、女友達と言える女性もいたことがないから、大家のハマグチおばさんを別とすれば、女性が部屋にくることは想定していない。散らかし放題の部屋について、この時、初めて羞恥心を覚えていた。

「すみません。汚くて」

 しかし、リカコの方は、この程度は全然綺麗な方だというようなことを言って、

「……それでは、始めましょうね。整理するときには、グループに分けていくことが大事です。例えば、新聞なら、新聞だけ、学校関係の書類なら、そういう書類だけ、というように、それぞれ集めていきましょう。勿論、捨ててもいいものは、どんどんそれ用のゴミ袋の方に入れていってください」

 自身の寝起きしている部屋にも拘わらず要領を得ないタケオとは対照的に、リカコは彼に確認をとりながらも、どんどん物を分別していく。

 彼女の躯からは、何か果物のような甘い香りがしていて、動作するたびにタケオの鼻腔を刺戟してきた。なんだか気分だけは、すがすがしく、快い。

 やがて、タケオにとっては、あっという間の時間で、物のグループ分けができてしまった。彼女は息つく暇もなく、

「実際に収納していきましょう。幸い、この部屋にはクローゼットもついているから、活用しましょうね」

 リカコは、自らが持ってきた大きな袋から、引き出し状のプラスティック製品などを出して、整理に使っていった。タケオはほとんど、その作業を見ているだけという感じだった。

「……使ったものは、元の場所に必ず戻すという癖をつけることができれば、いいんですけどねえ……」

「はい……」

「それから、逆のことを言うようですけど、物を捨てるのが億劫であれば、掃除する曜日を決めるというのもいいですよ。毎日、整理整頓するって思うと続かないですからね」

「はい。自信ないですけど……」

「……よしッ! できました。どうですか? 整理してもまだ、クローゼットにこんなに空間がありますよ」

 彼女は幼児が喜んでいるような、可愛らしく明るい笑顔と声で言った。そして、

「ほらッ! 人が入れますよ。二人でも入れるんじゃないかしら」

 クローゼットに入ってしまう。

「……ほらあ。ノザキさんも入ってみてください」

 彼女の無邪気さに押されて、タケオも何気ない気持ちで、クローゼットの隙間に入ろうとした。

 リカコは、積まれた衣装ケースの方を向いて、躯をそれに密着させるようにしている。タケオの方は、彼女に背を向けて、まだ残っている空間に無理やりに入ろうとする。しかし、クローゼットは彼の身長まで高さがないから、難しい。

「あーッ、ダメです、それじゃあ。そうじゃなくて。こっちの方を向いて、頭を下げれば入れるんじゃないですか」

 タケオは、リカコとは逆を向いていた訳だが、彼女がそう言うので、振り返り、下を向いた姿勢でも試みる。すると、確かに、

「ほらッ! 入れましたよ。人間二人も収納品と一緒に! 人間収納成功!」

 彼女のこの言葉通り、クローゼットに収まることができたのだった。

   *

 クローゼットに入ることができ、リカコが喜んでくれていることに、タケオもほのぼのとした気分になったのだが、直ぐに、

「あッ、あー」

 思わず声を発してしまうような状態に、なってしまった。

 リカコの方を向いて入ったために、彼女のお臀に自身の躯が密着していることに気づいたのであった。

「あー、すみません」

 彼は、意識すればするほど、躯を熱くしてしまう。彼は薄手の生地のジャージ・ズボン、彼女の方もストレッチ素材のズボンだから、肌の温もりまで感じられるかのようだ。しかも、彼女の首筋からは、甘い果物のような香りが今もしている。それが余計に彼をパニックにさせる。

「あんッ。いやだあ、ノザキさん」

「す、すみません。でも……」

 タケオは、離れなければと思いつつ、動けば彼女のお臀と擦れるような格好になると思うと、身動きがとれない。

「あー。あー、すみません」

 彼は、引っぱ叩かれることも覚悟したのだが、彼女は、

「だ、大丈夫ですよ、……ノザキさんから、クローゼットから出てください」

「は、はい」

 彼は、やさしい声に安心して、ゆっくりと躯を動かした。

「で、出ますね」

 やはり、彼の躯は彼女のお臀に擦すれることとなった。彼女は、

「あ、あん」

 二人ともがクローゼットから出たときには、彼女は頬を赤く染めていた。

 タケオは、躯を熱くしたままだ。リカコの方から、

「私が変なことさせたから……、すみません。大丈夫ですか」

「は、はい……」

   *

 タケオが、リカコと並んで坐って休んでいる内に、大家のハマグチおばさんがやって来た。そのまま部屋の中にまで上がってきて、

「おおー、綺麗になったじゃないの。タケくんは、今日からこれを散らかさないようにしてもらいたいね」

「まあ、はい。そのつもりではいますけど……」

「そう? それはいい心がけだ。……それじゃあ、あたしは、今から外に出る用事があるから、もう行くわね。リカちゃん、お風呂沸かしてあるから、入っていってね。それに、料理も簡単だけど用意してあるし、食べていいからね」

「有難う、オバチャン!」

 リカコとハマグチおばさんの雰囲気が、妙に親しげで、タケオは不思議そうな顔をした。すると、

「実はねえ……。リカちゃんは、あたしからすると、姪にあたるんだよ」

「えッ、そうだったんですか。全然、似てない」

「ノザキさん、それはそうよ。叔母と姪って、離れてると言えば、もう離れてるでしょう?」

「それじゃあね」

「あッ、ちょっと待って、オバチャン。ノザキさんと一緒に御飯食べてもいい?」

 ハマグチおばさんは、ゆっくり振り返って、

「タケくんとかい? それはいいけど……、そうかい、タケくんは幸運だねえ……」

 部屋を先に出ていった。

   *

 三か月後。

 大家のハマグチおばさんが、タケオの借りている部屋に顔を見せて、

「リカちゃんとは会ってるのかい?」

「ええ、たまに。でも、最近、急にどんどん忙しくなってきてるみたいです」

「そうかい、そうかい。……ところで、タケくんの食生活についてなんだけどね。あたしが、ときどき作ってあげるだけじゃ間に合わないしねえ、もっとハイカラなものも食べたいだろうから、その道のプロに今日、来てもらうことにしてあるんだ。料理のカリスマに、いろいろ作り方を習いなさい」

 タケオは、リカコとハマグチおばさんの関係を想い出しつつ、

「もしかして、その料理のプロというのも、姪っ子なの?」

「ふふふ、それは、どうかねえ……」

 今度は、どんな美女と出会えるのかと、期待で胸がいっぱいになるタケオであった。

   (おわり)

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整理収納のプロフェッショナル 森下 巻々 @kankan740

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