四話(前半)

 カタカタとひびの入った木製の箒を片手にボーっとしていた僕はカラスの鳴き声で夕焼けのオレンジ色が空一面に広がっていることに気づかされた。


「何夕日と戯れてんだよ、ミカタ。とりあえずノルマは終わったぞー。さっさとゴミ集めして解散しよう」

 僕の肩を軽くたたいて石田は笑った。

「あ、ごめん、ボーっとしていた」

「ほんとな、ほとんど俺がやったで。ゆえにゴミ集めくらいはしてくれ」

「あー了解」

 クラスごとに掃除する場所は決められている——僕のクラスは二階にあり、主に三年生の使う南側トイレと教室を出てすぐの階段を掃除する。

 基本的には掃除当番として作られた五グループのうち二グループが週ごとに入れ替わりながら掃除をすることになっている。

 ——それで今週は階段が当番なので石田と共に居残って掃除をしていたのだった。

 ただ、今日は運が悪く本来ならメンバーが五人いるのだがうち三人はそれぞれ委員会があるとか言って不在である。

 だから残ったのは僕と石田だけだった。


 それにも関わらず僕はボーっとしていた(埃もないのに一歩も動かずに箒だけ動かしていた)ので、ほとんど石田が一人で掃除をやり遂げてしまったのだ。

「おっけー。石田ありがと」

「あいーじゃあ俺も委員会あるから行くわ。——ミカタは?」

「お前も委員会あったのかよ……こっちはちょっと用事があるから」

「そう。じゃな!——あ」

「ん?」

「明日も一緒に飯食おうな!」

「りょーかい」

 相変わらずにこやかに駆け出していく石田の後ろ姿を見送った。


 石田は最近仲良くなったばかりの友達。——昨日と同様に体育館裏に向かおうとしていた僕を呼び止めて今日昼ご飯に誘ってくれた。本当はアカネが体育館裏にいるんじゃないか、と思っていたから断りたかったのだが、あまりにも強引だったので断り切れなかった。

 話してみて分かったのだけれど、石田は素直な性格で責任感の強いいいやつだった。

 ——石田も委員会あったというのに僕を一人にしないために残って掃除をしてくれるとかいいやつすぎる。

 ——僕自身今日はボーっとしていたのにこれと言って嫌味も言わなかったしもう石田には立つ瀬がないかもしれなかった。

 もしも石田が大雑把な性格じゃなければ……。

 僕はまだ全然埃まみれの階段を眺めた。


 箒を片手に今度こそちゃんと埃を集め始めた。

 ただ、なるべく長く掃除をしようとしていた僕にしてみて掃除している風を装えるので好都合である。


 ——多分そろそろのはずだ。

 あいつが掃除を終えてこの階段を下りてくる時間は。


 僕は箒を握りしめて階段の先を眺めた。

 掃除を終えた他クラスの生徒たちがばらばらと降りてきている。時々この人何してんだろうという冷たい視線が向けられるが、あくまで掃除をしているんだと自分を鼓舞してやり過ごす。

 そうまでして僕は待っていた。


 あいつが来るのを望む気持ちと来ないでほしいと心のどこかで祈る気持ちが交差しているようで慣れない心持ちだった。

 だからこそ、いざ、彼女が現れると心臓はエンジンを吹かし始めたかのようにどんどんとなり始める。

「——えーと、あ、アカネ?」


 精一杯愛想よく笑ったつもりで話しかけた。

 昨日の昼に一緒にご飯を食べたことが僕にとってかなりの成長を施したらしく、自分から話しかけることができたという事実だけで正直舞い上がりそうになった。


 ——が、現実はそううまくいかないようだ。

 アカネは階段の上からまるでゴミを漁るカラスを見るかのような迷惑そうな表情をしていた。

「……用がないならさ、あんまり話しかけないでくれない?」

 そして、言葉で人でも殺すかのようなほど刺々しい。

「あ、え、えーと」

 あまりの変貌ぶりに頭は止まる。

「私、帰るから」

「あ、そう……」

「……」

 それっきり本当にアカネは振り向くこともせずに帰ってしまった。


 ——何か気に入らないことをしてしまったのか!?

 昨日は割といい感じに話せたし、地雷は踏んでいないと思っていたんだけど。

 それか、今日何か不機嫌になることでもあったんじゃないか?

 ああ、わからない。

 結局、床に埃を残したまま僕は帰ることにしてしまった。


「ミカタ! 今日の昼何食う?」

 ──あれから、三日が経ち木曜日を迎えた。

 恐ろしいことに僕はアカネと一度も話すことどころか会ってすらいない。

 何をしてしまったのだろうかと考えれば考えるほど迷宮に入ってしまい、結局石田との昼食以外の記憶がほとんどない、気がする。


「はぁ」

 窓に映る夕焼けを眺めながらため息を一つ溢す。

 そして──

「黄昏れてんじゃねーよ」

 と言う石田の決まり台詞を聞くのが今週の日課になってしまっていた。

 

 相変わらず掃除をするのは僕と石田だけだったが、ぶっちゃけそんなのどうでも良く感じていた。

 ──アカネが何を考えているのかまるで分からない。

 もともと腐れ縁で、仲が良かったのかと問われれば頷けないくらい薄い関係だったけれど、いやだからこそちゃんと向き合ってみたのだけれど。

 それでも、長年の知り合いだから何となく分かるって事はないのか。

「──ったく、結局あいつら来んかった。まじで何考えてんのさ」

 石田の愚痴にニコリと愛想笑いを浮かべて僕は箒を片付けた。

 

 明日あたりにはもう一回話しておかないと中途半端な感じなっちゃいそうだ。

 また待ち伏せしてみるかぁ……。

 ──でも、前みたいにされたらと思うとちょっと不安だな。

 ……いや、待て待て。

 よくよく考えてみればあれが通常のアカネだったじゃなかったっけ?

 あいつは昔からそういう奴だったじゃないか。

 そうだ、そうだ。だからそこまで気にする必要はない。

 最近の方がちょっとおかしかっただけで感覚が麻痺していたんだ。

 だから特に問題はない。

 自分なりに納得したつもりになって夕焼けを眺めてみた。

 しかし──

 

「……はあぁぁ」

 じゃああの時の涙は一体何なんだよ。

 あの時、背中に染みついたのは汗だったとか?

 確かにパスはしていたけれども。

 ──いや、まぁそれはそれで嫌ではないけども……

「はぁ……」

 ため息は止めどなく溢れてしまうのだった。

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