第2話

 バレー部を引退して受験という忌々しい言葉しか聞かなくなってからボールと触れ合う機会がめっきりと減った気がする。

 僕が二年生の頃はバレー部の活動する体育館に野良猫のように気まぐれに先輩が現れては後輩らと和気藹々とバレーをしていた。

 しかし、今となっては考えてみればあれは相当レベルの高い芸当だったんだな、と感じている。

 何せ深く交流する事が難しい年の差を飛び越えて、あまつさえ同級生のように仲良く話す事が出来なければ不可能な行いなのだから。

 それを僕のような人見知りに出来るわけがないのだ。

 ──だというのに。

 一体僕は何を考えているのだろう。

「土曜日のしかもこんな早朝にどうして僕は体育館に来てしまったのだろう」

 目の前には懐かしき体育館がそびえ立っており、前まではただの練習場所だったはずなのに無駄に大きく思えた。

 正直に言えば昨晩眠れなかった。

 というのも、僕の幼馴染であり腐れ縁に繋がれた友人──アカネの様子に違和感を覚えたからだった。

 あんなの見せられて平常でいられるやつを僕は知らない。

 つまりだ。

 あれは罰ゲームとしか考えられない。

 アカネは虐められていて誰か男子に笑って見せろ、とか言われたんだきっと。

 そうに違いない。

「……」

 そんな事を考えていたら一睡も出来ずに朝を迎えていた。

 部屋にいるのも胸がモヤモヤすると思い、少し走ろうとして気がつけば高校に来ていた。

「はぁ何してんだろ」

 僕は自分に呆れて踵を返そうとした。

「あれ、ミカタ?」

「え、あ──」

 ──アカネ‼︎

 どうしてここに?

「男子って予選落ちたと思ったんだけど。どうしてここにいるの?」

「えーと、あれ、なんでだっけ?」

「まぁいいや、暇ならトスしてよ」

「え、それって」

「体育館入ってさ、ボールあげてって事。予選負けたらバレーの知識も失くなるの?」

 あ、アカネだ。

 ちょっとした小言が僕を正気に戻してくれた。


「バレーするの小学生以来だね」

「あぁ、確かに言われてみればそうだけど」

 そんな事をいちいち気にするような性格だったのか?

 ていうかそもそもプライベートで会うことすらも小学生以来なんじゃないか?

「ていうか今日部活やってないじゃん」

「ね」

「ねって……練習に来たんじゃないのかよ」

「ミカタさ」

「え、な、何?」

 なんというか正常でいられている気がしない。どこか分からないがネジが数本緩んできているような不安が僕を襲っている。

「相変わらずバレー下手だね。ミカタのお姉さんはもっと強かったよ」

「……まぁね」

 ネジが緩んできていると言ったが、アカネの"お姉さん"という言葉に対して僕は自分でも無意識に力んでしまった。

 その結果トスしたはずのボールはアカネを通り越してしまっていた。

「あ、ごめん」

 僕はボールを取りに行こうとしたが、アカネに制止される。

「いやこっちも。汗はかきたくなかったけど──今のは私が悪いから大丈夫」

「え……」

 アカネが僕を気遣っているのか?

 何それ、意味がわからないんだけど。

 もしかしてアカネって双子だったりする?

 今までのアカネは別人だったとか?

「──ミカタさ、なんでバレーまたやり始めたの?」

「え?」

 正直、それどころじゃないんだけどな。

「まぁ、どうせあの人には勝てないってことは昔から分かってたから変に上手くなろうとは思わなくなってて、偶然この高校が緩い感じのバレー部だったから。それでただ気楽にやれた、それだけだよ」

「ふーん」

「──うん」

 アカネの意図が読めない。ただ単に煽りたいだけなのか?

 いやいや、アカネは基本的にいつもナチュラルに人を煽ってしまうたちの悪い性質を持つだけの塩対応なやつなんだ。

 煽りに意図はない。

 でも、アカネは意味のない会話を好まないと僕は思っていた。意味のない話題を振ると大抵スルーしてまるで無かったかのように振る舞う。

 今回はわざわざアカネから誘われた。

 いやいや、そもそもの前提がおかしい気がする。

 どうして練習もないのにアカネはここに来たんだよ。

「──っていうかなんでアカネはここに?」

 いつもアカネは意味のない話題をスルーしていたからだろう。だから僕はアカネのその言葉が本当の事だとすぐに思った。

 

「私、部活辞めた」

 

「あぁそういう事ね……」

 高校生になってからのアカネの試合は一度も観たことがない。

 しかし、中学生の頃からなんとなくこうなるんじゃないかな、とは思っていた気がする。

「確か──セッターだったよねアカネって」

「なんであなたがそれを覚えているの? 他の人はもう忘れてたのに。──いや、ありがと」

「僕じゃなくても忘れはしないと思うけど?」

 ちなみに僕はアカネを直視しなかった。

 言葉だけで違和感を感じ取ってしまい、まともに目を合わせられる気がしなかったから。

 アカネは部活辞めたら性格が丸まったって事なのか。

 結構頑張っていたもんな、中学生の頃の記憶しかないけども。

 アカネに投げたトスは我ながら素晴らしかった。アカネに向けられたボールは寸分の狂いなく狙ったところに運ばれた。

 しかし、アカネはトスに失敗した。

 僕はただらしくないと思っただけだった。

「はは。なんからしくないんだけど、アカネ?」

「そうだね」

 アカネはボールが転がっていった方ではなく、逆方向の──僕の方に歩いてきた。

 そして、目の前で立ち止まる。

「?」

「ミカタ、ボール取ってきて」

 なんとも嫌味の感じる笑顔でそう言ったのだった。

 ──だから僕は特に何も考えないで走ろうとした。

 でも一歩踏み入れたところで身体は止まってしまった。

 止まった、というよりも、止まるしか無かった。

「アカネ……?」

 アカネは部活を辞めて少しだけ素直になったのだと思っていた。

 でも、多分それは違う。

 押さえてきた何かが溢れてきたんだ。

 

「──うぅ……」

 

 一瞬だけ聞こえたそれは泣き声だったのかもしれない。

 でも僕は分からなかった。

 だって。

 後ろから顔を見せないように抱きつかれていた。

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