第2話 『托卵』の自覚はあります

 時間は遡って、トコフェス開催3日前。


 トコヨ市役所生活安全課のオフィスで、タマキは名簿の入力に取り組んでいた。


 ヤトの下からもたらされた名簿は、当然ではあるが電子化されていない。電子化されていなくても名簿を術者に渡せば管理は可能だが、いざ何かあったときに市役所側での調査が難しくなる。


 そのため例年、名簿係になった部署は、まずは紙で渡された名簿を手作業ですべて表計算ソフトに入力するという、原始的で不毛な作業を行うことになっていた。


 毎年、安穏が他部署に名簿係を任せたがっているのは、当日の業務云々よりも、この準備期間のしんどさが原因らしいがそれはさておき。


「くっ、目が……」


 慣れないパソコン作業で目がひりひりと痛み、タマキは目の間を指で揉む。


 そんなタマキに、斜向かいに座るココは目薬を差し出した。


「ほい、これ。治りはしないけどちょっとスッキリするよ」


「ありがとうございます……」


 苦手な作業に四苦八苦しているタマキに対し、彼の向かい側に座るシータは淡々と作業を行っていた。


 シータは普段以上に感情を排した目つきで、紙の名簿とモニターを交互に見ながらデータを入力していく。


 タマキは目薬をさして何度もまばたきをした後、そんなシータに感嘆の眼差しを向けた。


「シータさん、すごいスピードですね……」


 ぽつりと呟いた感心の言葉に、同じく入力作業をしている安穏が反応する。


「入力作業だけは正確で速いのがシータくんの長所だからね。ミスもほとんどないし、素直にすごいと思うよ」


「へぇ……」


 普段のポンコツ具合からは想像できない特技だ。だがよくよく考えれば、この町に来てすぐにシータが書類作成を手伝ってくれたことを思い出し、タマキは納得と尊敬の念を抱く。


 他の仕事ももう少し、問題を起こさずにまともにこなしてくれれば、自分としても先輩として素直に敬えるのだが。


 そんなことを考えているのを察したのか、シータはハッと顔を上げてタマキにまくし立て始めた。


「む。今、タマキ後輩が僕のことを尊敬した気がしました。先輩と呼ぶ気になったようですね。さぁ、先輩と呼んでください。どうぞ遠慮なく」


 いつもよりも饒舌に要求してくるシータに、タマキは身を引いて困惑する。安穏はすっと立ち上がると、シータのおでこに手を置いて熱を測った。


「……うん。シータくん、ちょっと根を詰めすぎて知恵熱が出てるね。一旦休憩にしようか」


「むっ、僕はまだできます」


「はいはい、過集中は体に悪いからね。給湯室行くけど、みんなコーヒーでいい?」


「カフェオレがいいです。たっぷりお砂糖を入れてください」


「はいはい、注文が多いんだから……」


 図々しく要求したシータの態度を容認し、安穏は給湯室へと消えていく。タマキは手伝おうとその後ろを追いかけていった。


 給湯室は生活安全課の事務所を出てすぐのところにある。そこに備え付けられた電動ポットに水道水を入れ、お湯が湧くのを待ちながら、タマキは安穏に話しかけた。


「安穏室長、差し出がましいようですが、ああやって甘やかすからシータさんが甘えてしまうのでは……?」


「うん、僕も厳しく接しようとしたことはあるんだけどね……。厳しくしても問題を起こすのには変わりないんだから、適当にあしらって操縦したほうが賢いって思ってさ」


「それはまあ、そうですね……」


 実感を込めて納得するタマキに、安穏は苦笑いした。


「でも、シータくんはなんだかんだ言って、『托卵』としての自覚は持ってるからね。多少は大目に見ようって思っちゃうというか」


「『托卵』としての自覚、ですか?」


 電動ポットが鈍く唸りだし、ぽこぽこと沸騰の音を立て始める。それを聞きながら、安穏は語り始めた。


「『托卵』は、ウブメドリの養い子だって話は知ってるよね? 彼らは、ウブメドリたちから『加護』を受けて、後天的に超常的な能力を与えられるんだ。シータくんの『舌禍』はその中でも特に強いものでね」


 タマキはここに来たばかりの頃、シータによって『舌禍』を受けたときのことを思い出す。


 自分より弱いものを強制服従させる能力。それを後天的に手に入れたとなると、きっとコントロールするのに苦心するだろう。


「『加護』を受けた人間は、人の理から外れてしまう。多かれ少なかれ浮世離れした言動をしたり、倫理的によろしくない行動を平然と取ったりね。共感性の薄い、人でも厄獣でもない存在。だからトコフェスで、同じように曖昧な存在である『客人』と意思の疎通ができるんだけど」


 パチンという音とともに電子ポットが熱湯ができたことを告げる。安穏はポットを持ち上げて、顆粒状のコーヒーを入れたマグカップに注いでいった。


「まあそれは置いておいて。シータくんが市役所で働くことになったのは、ミハネ様の南西区から市役所への人質って意味が大きいんだよ。五年ぐらい前に南西区と市役所の間で大きめのいざこざがあってね。その落とし所として『托卵』の子を一人、市役所に預けることになったってわけ」


 思わぬところで飛び出した重い事情に、タマキはとっさに反応できずに黙り込む。安穏は何気ない世間話をするような口調で続けながら、マグカップの中身をかき混ぜた。


「最初に彼が配属された時は、僕も腫れ物扱いすることしかできなかったし、本当に大丈夫かって思うぐらい抜けてる子だと思ってたけどさ。意外と自分の立場を理解して立ち回れる子だって分かってからは、態度も軟化したというか。タマキくんもそういうとこ見たことあるんじゃない?」


 安穏に問いかけられ、タマキは思い返す。最初に思い至ったのは、トコヨ自動車の社屋でのシータの立ち振舞だった。


 タマキが常世コタロウによって挑発され、我を忘れそうになった瞬間。


 あの時のシータは自分が『托卵』であり、簡単には害されない存在だということを自覚した上で、タマキを庇ったのだろう。


 もしかしたら普段の空気が読めない言動の中にも、そういった自覚が隠されていたのかもしれない。そう思うと、本人不在の状況で、タマキの中のシータの株が上がっていった。


 その思考が顔に直接出ているタマキに、安穏は乾いた笑いを浮かべながら、マグカップを二つ、タマキに手渡した。


「まあ、色々あったってことだよ。本人も隠すつもりはなさそうだし、今度聞いてみたらいい」


「分かりました。そうします」


 だが、ここで急上昇したシータの株は、残念ながらすぐに落ちることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る