【2】命には最後まで責任を持ちましょう
第8話 お父さんでもありません
厄獣対策室は、修羅場一歩手前の空気だった。
「タマキくん、君も大人なんだからちゃんと責任は取らないと駄目だよ? 一夜の過ちから逃げるなんて……」
「で? で? お相手はどんな方なの!?」
困惑の表情で諭してくる安穏に対し、ココは野次馬根性丸出しで問い詰めてくる。隣接している生活安全課の面々も、業務の手を止めて聞き耳を立てていた。
いくら秩序側の人間だと言っても、彼らもまた、住民がもれなく全員狂っているトコヨ市の一員であるので、こういったゴシップには興味津々なのだ。
そんな四面楚歌に陥っているタマキは、事務所の奥の椅子に腰掛けている例の少年を示しながら叫んだ。
「だから誤解です! 俺はそんな不義理な行いをした覚えはありません!」
「ええ~? ホントにぃ?」
「酒の勢いで記憶が飛んでるとかではなく?」
「違うんですって!」
喧々諤々の言い合いを意にも介さず、タマキの息子を名乗る少年は、ストローをぎこちなく噛みながら渡されたオレンジジュースを啜っている。その隣では、詰問に参加していないシータが、同様にストローを咥えていた。
「美味しいですか? タマキ後輩の息子さん」
「うん、味があって匂いがします」
「それは甘酸っぱいというものですよ。勉強になりましたね」
ほのぼのとした会話を繰り広げるそっくりさんたちを見て、タマキはさらに反論した。
「大体、疑うのなら俺ではなくシータさんの方じゃないですか!? あんなに瓜二つなんですよ!?」
「なるほど。つまり、あの子は君とシータくんの息子と……」
「水臭いなー! 子供がいるなら教えてくれればいいのに!」
「え? この子は僕の息子なんですか?」
自分の名前が出たことに気づいたシータが、きょとんと尋ねてくる。少年はそんなシータを見上げて言った。
「お父さん?」
突然父親と呼ばれたシータは、何度も目をぱちぱちとさせた後に、真面目な顔で頷いた。
「はい、お父さんですよ」
「! えへへ……」
嬉しそうにはにかむ少年に、タマキは頭を抱える。
「じ、事態を余計にややこしくしないでください……!」
「むっ、僕の子供と言ったのはタマキ後輩のほうですよ」
「可能性を言っただけですよ! 本気じゃありません!」
「本気でもないのにそういうことは言わないほうがいいですよ」
「うっ、うぎぎ……!」
悔しそうに唸るタマキと平然としているシータを眺めた後、安穏はふっと表情を緩め、ぽんと手を叩いた。
「……とまあ、茶番はこれぐらいにして」
「えっ」
続いてココも、慰めるようにタマキの肩を何度も叩く。
「ただの冗談だよ! タマキくんがそんな無責任なことするわけないって、みんな分かってるって!」
「ええっ!?」
結託した同僚たちにおちょくられていたと知り、タマキは衝撃で固まる。そんなタマキにとことこと近づいてきたのは、例の少年だった。
「タマキパパ、大丈夫?」
「うっ……ありがとう、でも俺はパパじゃなくて」
「そうなの? 僕のこと、認知してくれないんですか……?」
しょんぼりと肩を落とす少年に、どう返せばいいかわからずにタマキは慌てだす。
「き、君を傷つけたいわけじゃなくてな? 俺がパパじゃないっていうのが事実なだけで」
「でも、シータお父さんは、タマキさんがパパだって言ってましたよ?」
少年は心底不思議そうに首を傾げ、タマキはどうすれば彼を傷つけずに説得できるか考え始める。
だが、その答えが出るよりも先に、安穏は少年の前にしゃがみこんだ。
「色々と混乱させちゃってごめんね。僕は安穏ヒルオ。君の名前を教えてもらってもいい?」
「名前?」
少年は、まるでその単語を初めて聞いたかのように、安穏の言葉を復唱する。そして、数秒の思考の後、彼は淡々と答えた。
「僕、名前つけてもらってないです。ずっと一人だったから」
「えっ、そ、そうなんだ……」
反応しづらい複雑な事情を察し、安穏は無難な返事をする。
戸惑っている安穏の話を引き継いだのは、同じくしゃがみこんで少年と視線を合わせたココだった。
「こんにちは。君のお家はどこか教えてくれないかな? もしかしてヤト様の神社?」
「……わかんないです。とにかく暗いところ」
「そっかぁ、わかんないかぁ」
情報収集に失敗し、ココは参ったなという笑顔になる。
正体も名前も、家の場所すらも分からないのなら、対応のしようがない。
かといって、警察の存在しないこの町で、この少年の処遇を託せる場所もない。
その場にいる全員が途方に暮れかけたその時、隣接する生活安全課から、おどろおどろしいオーラを纏ったフタバがやってきた。
「さっきから聞いていればうるさいぞ、厄対。そんなに暇なら、もっと仕事を回してやろうか?」
「め、滅相もない! ちょっとイレギュラーが起きただけです、はい!」
「イレギュラーだと?」
ぎろりとしたフタバの眼差しに射すくめられ、少年はその場で硬直する。そんな少年にフタバは無遠慮に近づくと、彼の匂いを嗅ぎ始めた。
まるで警察犬のように匂いを確かめているフタバを見ながら、タマキは小声で安穏に尋ねる。
「室長、あれって……」
「結城課長は、君と同じく厄獣と人間の間の子だからね。人よりも少し嗅覚に優れてるんだよ」
安穏は同じく小声で答え、納得したタマキは二人のやりとりを静観する。
そして数秒後、少年から顔を離したフタバは、確かめるように言った。
「お前、人間ではないな」
「っ……!」
少年は顔をこわばらせて息を呑んだ。その反応の意味するところを察し、安穏は納得したという顔で携帯電話を取り出す。
「あー……やっぱり厄獣の子なんですね。ヤト様のところの子なら、すぐに連絡を取れば対応できるかも……」
「いや、単なる厄獣でもない。もっと厄ネタだ」
安穏の言葉を遮り、フタバは突き放すように宣告した。
「こいつには、『
フタバの言葉の意味を真っ先に飲み込んだのは、安穏だった。
「ま、『
早口でそんなことを言いながら、安穏は携帯でどこかに電話をかけはじめる。その慌てようにタマキは怪訝な顔になった。
「……そんなにまずいことなんですか? 『
独り言のようにそう呟くと、意外にもその疑問に答えてくれたのはフタバだった。
「はぁ……分かっていないな、新入り。『
そう言いながら、フタバは少年を睨みつける。少年は可哀想なぐらい怯えて震え上がった。
シータは、そんな二人の間に割って入り、果敢に彼女を睨みつけた。
「結城課長、あまり怖がらせないであげてください。彼は僕の子供らしいので」
「はあ?」
肉食獣の威嚇めいた低い声でフタバは凄むが、シータの表情は全く変わらない。
おそらく虚勢ではなく、本当に怯えていないのだろうが、このまま上司に盾突き続けていればシータの立場が危うくなる。
そう判断したタマキとココは、目を見合わせると、一緒になってフタバをなだめ始めた。
「まあまあ、落ち着いてくださいって」
「シータさんにも悪気があるわけではないので、どうぞご勘弁を……」
牙を向いて唸る獣を前にしたような冷や汗が、タマキの背中に流れる。ココも、いつもと同じ飄々とした表情ではあるが、こころなしか焦りで口の端が引きつっていた。
そんな膠着状態が続くこと数十秒。
離れた場所で電話していた安穏が声を張り上げた。
「みんな! 僕ちょっと確認のためにヤト様のとこ行ってくるから、その子のこと見張っておいて! 絶対に見失っちゃ駄目だからね!」
言うが早いか、安穏は素早く荷物をまとめ、ばたばたと騒がしく事務所から出ていく。
その場の全員でそれを見送っていると、ふと言い争いの輪の中に入っていなかったシータが口を開いた。
「……すみません、早速見失いました」
「はあ!?」
声をそろえて聞き返し、一同はシータの後ろを見る。
そこには、シータの背中に庇われていたはずのあの少年の姿は、どこにも見当たらなかった。
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