第7話 パパではありません

「えっ……と――」


 思わぬ存在を前に、タマキは少年の前にゆっくりとしゃがみ込み、言葉を探す。


 見れば見るほど、少年はシータと瓜二つだった。虚無を思わせる第一印象も、体幹が不安定なせいでおぼつかない立ち方も、ひどく存在感が希薄なところも、鳥羽シータという人間の特徴と完全に一致している。


 唯一明確に違うのは、眼の前の少年の目はシータとは違い、鮮やかな紫色をしていることだ。


 タマキは様々な推測を脳内で精査し、一番可能性が高い内容を少年に問いかけた。


「もしかして君、シータさんの親戚?」


 彼はウブメドリに育てられた孤児のはずだが、一緒に保護された兄弟がいたのかもしれない。それにしたってこの少年はシータに似すぎているが、シータの双子の兄弟の息子であると説明されれば、ギリギリ納得できる。


 もしくは、シンプルにシータの隠し子だとか。


「シータ?」


 ぽつりと少年はタマキの言葉を復唱する。しかし、それ以上の言葉を発することはなく、彼は無言のままタマキを見上げ続けた。


 正体不明の沈黙に居心地の悪さを覚えながら、タマキはなんとか会話を成立させようと試みる。


「俺は東雲タマキ。鳥羽シータの同僚なんだ。今は少し同行者とはぐれてしまっているんだが……もしかして君も迷子なのか?」


「迷子……」


 少年は再びタマキの言葉を復唱し、それっきり黙り込む。


 タマキは奇妙な違和感を覚えつつも、あのシータの血縁者なら感情表現が下手くそでもおかしくはない、と自分を納得させた。


 もしくは、この少年はシータの姿を真似ているだけの厄獣なのかもしれない。だが、彼が途方に暮れていることは、全身から伝わってくる。


 正体が何であろうと、迷子かもしれない少年をこんな場所に放置するほど、タマキは酷薄な人間ではなかった。


「なぁ坊や。もし迷子なら、お兄さんと一緒に行かないか?」


 タマキは息をひとつ吐いて覚悟を決めると、少年に手を差し伸べた。


 するとそれまでタマキの顔をぼんやりと見つめていた少年は、初めてその視線を動かし、タマキの手を注視し始めた。


 僅かに見開かれた彼の目に浮かんでいるのは、明確な驚きの色だ。


 数秒かけてゆっくりと驚愕は戸惑いに移り変わり、本当に手を取ってもいいのかと尋ねるようにタマキの顔をチラリと見る。


 それでもタマキが手を引っ込める素振りを見せないと知ると、少年はおそるおそる自分の手をタマキの手に重ねようとし――




「何をしている」


 


 その瞬間、タマキの全身に襲いかかったのは恐ろしく冷たい重圧だった。


 まるで薄皮一枚の位置に、不可視の刃が無数に出現したかのような緊張感。命を握られているという明確な確信に、タマキは指一つ動かせずにごくりと唾を飲み込む。


「何をしている。答えよ」


 背後から包み込まれるように顔を両手で挟まれ、そのまま強引に上を向かされる。そして、背後に立っていたその手の持ち主を、タマキは直視してしまった。


 それは、真っ黒な長髪が印象的な長身の美丈夫だった。彼の額には二本の角が生えており、彼が人間ではないのだと雄弁に示している。


「我らと彼らの合いの子よ。ここで何をしていた」


 鋭利な空気を醸し出す切れ長の目はタマキをまっすぐに見据え、問いかけに答えるように強く促す。タマキは緊張からカラカラに乾いていく喉をなんとか動かして、質問に答えようとした。


「自分、は、連れとはぐれて……ぐ、偶然、迷子を見つけたので、一緒に行こう、と……」


 何度もつっかえながらそう言うと、美丈夫は体を丸めてタマキの目をさらに覗き込んできた。


「迷子だと?」


「は、い……」


 存在ごと消し飛ばされそうなほど圧倒的な強者に接近され、タマキは命の危機を感じながら必死で口を動かす。


 対する美丈夫は、何を考えているのか分からない表情でしばらく押し黙っていた。


 もしかして自分は、今から彼に捕食されるのか。


 そんな最悪の想像すら浮かびかけたその時、聞き覚えのある声が、張り詰めていた空気に飛び込んできた。


「も、申し訳ありません、ヤト様! 彼はうちの部下でして……!」


 慌てて駆け寄ってきたのは、はぐれたと思っていた安穏だった。


 決死の思いすらにじませる安穏の弁明に、ヤトは無言のままそちらを振り向くと、ぱっとタマキの顔から手を離した。


「はっ……はぁっ、ぜぇっ……」


 床に落ちるような姿勢で解放されたタマキは、冷や汗をびっしりかきながら荒い息を何度も繰り返す。続いて駆け寄ってきたココとシータが、背中をさすってその介抱をした。


「誠に申し訳ありません! 今後はないように気をつけさせますので!」


 遠くで安穏が、謝罪の言葉を連ねているのをぼんやりと聞いていると、不意にヤトの視線が再びタマキに向けられた。


「合いの子よ」


「は、はいっ……!」


 うわずった声でなんとかタマキは返事をする。ヤトは心なしか柔らかな声で、はるか上方からタマキに告げた。


「覚悟がないのなら手を差し伸べるべきではない。たとえ、それが無意識の行動だとしても」


「え……?」


「だが、その優しさは評価に値する。今後も励むがいい」


 それだけ言い残すと、ヤトはきびすを返してどこかへと去っていく。


 タマキは、一体何のことを言われたのか分からず、間抜けな顔でそれを見送ることしかできなかった。






 帰り道の車内。


 安穏はハンドルを握りながら嘆いていた。


「もー! なんではぐれちゃうかなあ! ヤト様が君を気に入ってくれたみたいだから、結果オーライだけどさあ!」


「すみません……」


 今日だけで立て続けに二回も失態を犯してしまったタマキは、返す言葉もなく縮こまる。ココとシータは、そんなタマキに助け船を出した。


「まあまあ室長。無事に名簿は手に入ったんだから!」


「その通りです。タマキ後輩は単純に、自分の力を過信しただけですし」


「うっ……」


 フォローのつもりの追撃を受け、タマキは小さく唸る。コントじみたそのやりとりに、安穏はため息をついた。


「ところで、あんな場所で何してたの? 何かトラブルでもあったの?」


「はい、実はシータさんにそっくりの子供が、あそこで迷子になっていまして……」


 事情を話しながら、タマキは先ほどの出来事を思い出す。


 ヤトに解放されてから気づいたことだが、ふと気づくと、あの少年の姿はいつの間にかどこかに消えてしまっていた。


 もしかしたら、神社の主であるヤトに咎められるのが怖くて、逃げてしまったのかもしれない。もし彼が迷子だったのなら、悪いことをしてしまった。


「ちゃんと親元に帰ることができていたらいいんですが……」


 心配からそんなことを言いながら、タマキは視線を前に向ける。その瞬間、バックミラーに映った光景にタマキは硬直した。


「えっ」


 後部座席に座るタマキとシータ。その間に挟まれる形で、ちょこんと例の少年が腰掛けていたのだ。


「な、なんでここに!? いつの間に!?」


 慌てて横を見ると、少年は感情が読み取りづらい表情をタマキに向けていた。


 どうして気づかなかったんだ?


 この子は誰なんだ!?


 状況を処理しきれずにタマキが固まっていると、少年の向こう側に座るシータが不思議そうに尋ねてきた。


「タマキ後輩? どうしたんですか?」


「どうしたもこうしたも、ここにシータさんにうり二つの子供が……」


 少年を指さしながらタマキが言うと、シータは少し首をかしげてその場所を凝視した後、納得したという様子で頷いた。


「なるほど。確かに存在していますね」


 シータのその言葉に、少年は嬉しくてたまらないという表情になる。


 顔のパーツはシータと共通しているのに、その表情の変化はとても分かりやすいのだな、とタマキは混乱の末に場違いな感想を抱く。


 その頃になってようやく騒ぎ出したのは、前の座席の安穏とココだった。


「な、何その子!? いつの間に!?」


「ええー! 可愛い! お名前は言えるかな?」


「ほのぼのしてる場合じゃないでしょ、ココちゃん!? 君、どこの子!? ついて来ちゃダメでしょ!?」


 わいわいと騒がしくなる車内で、少年は満面の笑みを浮かべながら、タマキの手を勢いよく握った。


「認知してください!」


「えっ」


「僕を認知してください、タマキさん!」


 ……認知。認知!?


 その言葉の意味するところに、タマキの脳内は一気にパニックに陥る。


 いやいや、確かに自分は子供がいてもおかしくない年齢ではあるが、心当たりは全くない。女性と恋愛関係になったことすらなく、無責任に父親になる行為をした覚えもない。


 じゃあ、一体この子はどこの誰なんだ!?


 ぽかんと口を開けて固まるタマキに、ふむふむと考えていたシータは一つの結論を口にした。


「なるほど。彼はタマキ後輩の隠し子なんですね」


「違いますが!?」

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