第6話 神社ではお静かに

「ヤト様の神社では、いつも以上に軽率な行動は慎んでね。文字通り、神様の縄張りだと思ったほうがいい。この場所では、神様の機嫌が法律のようなものだからね」


 安穏の言葉に、タマキはごくりと唾を飲む。シータはそんなタマキの顔をひょいっと覗き込んだ。


「そんなに緊張しなくてもいいですよ。僕は子供の頃、よくここに遊びに来ていましたし」


「えっ」


 予想外の言葉に、タマキは目を丸くする。安穏は額を手で押さえて、息を吐いた。


「もー……。シータくんのそれは、ミハネ様の連れだっていう前提があってのことでしょ! ちゃんと緊張してくれてるのに、そんなこと言わないの!」


「はあ、申し訳ありません」


「ピンときてないな、もー!」


 コントのように愉快なやりとりをする安穏とシータに、タマキとココは顔を見合わせて、ふふっと笑い合う。


 そんな緩い空気のまま駐車場から少し歩いた地点から、ヤトの祀られた神社の参道は始まっていた。


 100メートル以上続く参道の入口には、巨大な石造りの鳥居がそびえ立ち、ここが神聖な場所なのだと視覚から思い知らせてくる。


 参道の奥に鎮座する社殿も、遠目で見ているだけだというのに、まるで巨大な怪物が座り込んでいるかのような存在感を放っていた。


「これは、すごいですね……」


 その雰囲気に飲まれて口が開きっぱなしのタマキに、シータはすすっと寄っていって教える。


「トコフェス当日は、この参道いっぱいに屋台が出るんです。僕はリンゴ飴がオススメです」


「リンゴ飴ですか。食べたことがないので、少し興味ありますね……」


「なるほど。では当日の休憩を使って食べましょう。僕が奢ります」


 まるで浮かれた学生のように和やかな雑談をするタマキとシータに、安穏は頭痛を堪えるようにこめかみを揉む。ココは二人にバレないように、そんな安穏をまあまあと宥めた。


 だが、そんな観光客じみた彼らの空気も、神社の社殿に近づいた途端、一気に霧散した。


 社殿正面の大門をくぐった瞬間、まるで強大な何かによって上から押さえつけられているような圧迫感を覚え、タマキは押し黙る。


 他の三人を伺うと、タマキと同様に、誰に指示されたわけでもないのに口を閉ざして真剣な顔になっていた。


 ここがヤトの居住する場所であり、同時に本物の神社であることを示すように、正面の拝殿の近くには手水舎がある。


 先に柄杓で手を清めた三人のやり方を見よう見まねでなぞり、タマキも水で手を清める。その後に向かった先では、出入口らしき小さな戸の前で、すらりと背の高い厄獣二人が、清浄な衣を纏って待ち構えていた。


 彼らの前に安穏は進み出ると、緊張した面持ちで口を開いた。


「し、市役所の厄獣対策室です。『客人まれびと』の名簿の件で参上いたしました」


 対する厄獣たちの返事は無言だった。


 聞こえなかったのかと思うほど、微動だにしないまま、厄獣たちはじっとタマキたちを見つめる。


 そしてたっぷり数十秒は過ぎた後、彼らは流れるような所作ですっと道を譲った。


「どうぞ」


「ヤト様がお待ちです」


 淡々と告げる厄獣たちに深く礼をすると、安穏は社殿へと入っていく。ココとシータがそれに続くのを見たタマキは、彼らを追いかけて慌てて中に入った。


 社殿の中は、異様なほどの静寂に包まれていた。発言を躊躇うほどの静けさの中、声を顰めて安穏は言う。


「……行くよ、ちゃんとついてきてね」


 そのまま歩き始める安穏の後ろを、タマキたちは無言でついていく。言葉を発することはもちろん、足音を立てることすら失礼にあたるのではという危惧に従い、タマキは極力物音を立てずに歩いていった。


 社殿の中は、ひんやりとした空気で満ちていた。足の裏に吸い付くような滑らかな廊下は遙か前方まで伸びており、左右は襖や簾で固く閉ざされている。いくら進んでも左右の景色が大して変わらないのもあって、まるで廊下が無限に続いているかのようにすら感じた。


 強大な存在による圧迫感と、遠近感が狂いそうな不可思議な空間のせいで、タマキは知らずのうちに萎縮しながらそわそわと視線を迷わせていた。


 そんなタマキの様子に気づいたのか、シータは歩くスピードを緩めると、タマキの隣に並んで声をかけてきた。


「タマキ後輩、手を繋いであげましょうか?」


「えっ」


 思わぬ申し出にタマキは間抜けな声を上げる。シータはいたって真面目な顔で告げた。


「迷子になっては困りますから。僕もここを通るとき、お母さんと手を繋いでいましたし」


「……何度も言いますが、同僚同士が手を繋いで歩くのは不自然ですよ」


「そうですか。分かりました」


 あっさりとシータは譲歩し、またタマキの前をすたすたと歩き始める。タマキは息苦しさから浅く呼吸をしながら、その後ろをなんとか追いかけた。


 その選択が間違いだったと悟ったのは、ほんの数分後だった。


「……あれ?」


 気づくとタマキは、薄くて半透明の帳が幾重にも垂らされた場所に、一人で取り残されていた。


 帳が密集する場所に入った記憶は確かにある。視界を遮る帳に苦心しながら、先導する同僚たちをちゃんと追いかけていたはずだ。


 しかし残念ながらタマキの周囲には、彼らは影も形もなく、耳を澄ましても足音すら聞こえない。


「えっ、まさか、迷子……?」


 困惑と心細さから呆然とタマキは呟く。だがその言葉もあっという間に帳の海に吸い込まれ、この場には自分一人しかいないのだと再確認した。


 タマキはパニックに陥りそうになる自分をなんとか落ち着かせ、辺りをぐるりと見回す。


 とにかくこの帳のエリアから脱出することを考えよう。たとえ同僚たちに追いつけなくても、脱出さえすれば合流できる可能性も上がるはずだ。


 そう考えながらタマキは首を巡らせ――とある奇妙なものが視界の端に映ったことに気がついた。


「……?」


 それは、カーテンの影から伸びている幼い子供の手だった。やけに白くて傷一つ無いその手は、まるで誰かを探すようにふらふらと所在なく揺れている。


 もしかしたら、自分のようにここで迷子になっている子供かもしれない。だとすれば、大人として手を差し伸べなければ。


 タマキは自分の現状を棚に上げてそう判断すると、そちらにそっと近づき、カーテンをそっとめくる。そして、その裏側にいるはずの手の持ち主を覗き込んだ。


「……えっ?」


 予想通り、そこにいたのは7歳ぐらいの幼い少年だった。その表情には心細さと驚きが浮かんでおり、この場所で迷子になっていたのだという推測は正しかったとタマキは考える。


 だが一つだけ想定外だったのは――


「シータさん……?」


 その少年が、シータをそのまま縮めたような見た目をしていることだった。

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