悲しみで魔女が生まれるのなら人間はとうに絶滅している。

音三

 

 今日、私は死ぬ。

 怒号。罵声。喧騒。負に満ちたこの場所で死ぬ。


 王族を呪い殺した。

 病気を流行らせた。

 戦争を引き起こした。

 井戸に毒を入れた。

 作物を枯らした。

 太陽が出ない。

 長雨が続く。

 冷害。

 干害。

 獣害。


 全て私が悪いと言われた。

 私がやったのだと言われた。


 馬鹿馬鹿しい。けれどその馬鹿馬鹿しさに縋るほどに人々は疲弊していた。誰かが引き起こしているから。その誰かを消し去ればこの苦悩から苦痛から解放されると願ってしまった。真実はどうでもよくて、自分達の苦しみが終わることが一番だった。


 そうして私は『魔女』の冠を抱いて死ぬことになった。



◆◆◆



 ざり、ざり。先を歩く兵士が引っ張る度に手首を拘束する麻縄がやつれた皮膚に食い込んで擦れる。固い繊維が傷口をなぞる感覚は痛烈で最初こそ目尻に涙が溜まったが、今では痛覚も反応が鈍い。


 足には金属の輪がつけられた。重りのせいで動きの悪い私に痺れを切らしてまた縄が引っ張られる。悪循環だ。早く処刑台に連れていきたいならもう少し動きやすくしてくれればいいのに。


 体のあちこちは傷だらけ。癒えなかった部分は膿んで熱を帯びている。顔以外の場所には青黒く痣になった箇所がいくつもある。腹いせに殴られたそこは鈍く痛んで気持ちが悪い。


 死装束は麻のワンピースだけ。黄ばんで所々破れたそれを何時から着ているか。すえた臭いと鉄錆びの臭いはもう自分では分からない。




 石畳の道を歩く。歩いて、自ら死にに行く。

 ギロチンなんて一瞬で終わる優しい死に方は許されない。魔女だから。再生しないように聖なる炎で浄化しなければ。魔女だから。


 魔女。魔女。魔女。

 魔女は火炙り。殺せ。殺せ。

 息子を返せ。私の子供を返せ。

 パパを。ママを。愛する人を殺した憎き魔女。

 私に殺させろ。仇を討たせろ。お前だけは許さない。


 私を否定する声たち。批難の歌は大きくうねり人々を興奮させる。

 石を投げられた。当たった場所から流れる赤い血が、私を殺せと叫ぶお前たちと同じ成分だと知ったらお前たちはどう思うだろうか。二個、三個。次々に投げられる石が私を殺したいと叫んでいる。私を殺せば自分は救われると盲信している。私の血が緑だ黒だと言っていたやつらに、今の私はどう見えている。


 ああ。まったく愚かだなあ。




 ようやく辿り着いた私の死に場所。十字に組まれた木に張り付けられ、油を掛けられ生きたまま火炙りにされる。


 私に火を付ける役は決まっている。この国の一番の騎士であり王自らが業を背負う。私を殺せば国が救われると一番最初に言い出した張本人である。


 目の前の男はみすぼらしい私を見つめ、言った。


「言うことはあるか」


 この雑然とした空気の中で私に落とされた言葉は何ともシンプルな問いだった。何に対してなのか、誰に対してなのか。そんな装飾はない。ただ、言葉があるかを問うだけのそれ。


「陛下のお言葉ぞ!」


 リアクションのない私に焦れた兵士が縄を引く。つんのめって地面に体が叩き付けられる。丁寧に磨かれた男の鉄靴。その靴が人を殺した数と救った数を調べてみろ。私が殺した数を調べてみろ。


「………………」


 呻き声も上げない私が面白くないのか油でへたれ黒く煤けた髪を鷲掴み強引に体を引き上げる。私の目の奥を見ながら、卑下た顔の王が喉の奥で嗤う。


「言うことはあるか」


 再度掛けられた言葉。死に際の懇願も怨み言も呪詛も全て引き受けると言わんばかりの顔。情けをかける自分に酔った愚王の顔。罪なき私を殺す悪魔の顔。


 くれてやる言葉など一つもない。この世界に置いていくものは何一つない。私のものは全部私が持っていく。欠片だってくれてやる気はない。


「………………」


 逸らさずに王を見返せば、飽きたのか周りを囲む多くの民衆に体を向けた。


「始めろ!」


 男の無駄に響く声が雑音を裂いた。怒号が歓声に変わる。これから行われる人殺しの準備に人々が沸く。ああ、狂ってる。


 丸太に鎖で固定される体。最期まで自由はなく拘束されて朽ちる。油の臭いがツンと鼻の奥を刺す。足下に置かれた薪にもこれでもかと油が染みて変色している。


 黒焦げて骨すら炭になって灰に混ざって私が分からなくなればいい。


 教会に祀られた聖火の子がくべられる。瞬く間に私は火に包まれる。パチパチ、ごうごう。木のはぜる音と炎が焼く音が雑音を消す。熱い。痛い。熱い。苦しい。痛い痛い痛い。皮膚が爛れていく、焼かれた上から更に炙られ焦げていく。人の雑味がある脂が醜悪な臭いを辺りに撒き散らす。苦しい。痛い。熱い。痛い。


 誰も泣くことはない。空すら雨という涙を流しやしない。私の死は世界に望まれている。無意味な死だと私だけが知っている。私が死んでも変わらず病気は蔓延し戦争が人を殺し日照りが作物を枯らし天災が大地を犯す。なにも変わることはない。私が死のうが起きるそれらに彼らはまた贄を作って憂さを晴らすのだろう。


 くそったれなほどの青い空は、私を殺す炎で真っ赤に染まっている。まるで私の血の赤だと思った。



◆◆◆



『死ぬことに恐怖はありますか』


 極刑を命じられた人々に司祭は都度問うた。神の御許に向かう彼らの罪を少しでも灌ぐ必要があった。処される彼らは罪人として自分が何を贖う必要があるのか理解をしなければならない。


 ある時、魔女として断罪された少女にも同じ質問をした。彼女は最期まで司祭の言葉に反応を返すことはなかったが司祭は理解していた。罪無き者が返す言葉などないことを。



【終】

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