029 文化祭前夜

 夏休みが終わり、久々にボックスに四人が集結した。櫻井さんが小さな紙袋を澄さんに渡した。


「これ、俺と瑠偉くんから!」

「ここで開けてもいいんですか……」

「ええよ! 見てみぃ!」


 澄さんは表情が読みにくい人なのだが、この時ばかりは目を細めて喜んでくれているのがわかった。


「早速……付け替えます……ありがとうございます……」


 大城さんは薄いクッキーがくるりと巻かれているようなお菓子を持ってきてくれた。ヨックモックのシガールだと言われたが、すぐに忘れてしまいそうな名前だなと思った。だが、お菓子自体は美味しかった。

 しばらくタバコを吸いながらのんびりしていると、ドアがノックされた。大城さんが慌てて言った。


「だ、誰やろ? みんなタバコ消して!」


 現れたのは、軽音部の藤田さんだった。


「相変わらず……凄いね……けほっ……」

「ごめんなぁ藤田くん。どうしたん? いきなり」

「中ステのタイムスケジュール決まったから。データも送るけど、冊子渡したほうがわかりやすいと思って」


 椅子は四脚しかない。若輩者の僕が席を譲り、櫻井さんの隣に立った。藤田さんが冊子をめくって言った。


「ユービックさんは文化祭最終日の午後一番、一時から。三十分前には舞台袖に集合。少しでも遅れたら出演停止です」


 僕の誕生日。その日にステージに上がるのだ。


「九月十六日の午後二時からリハ。音出しの確認くらいしかできひんからそのつもりで。そんで、来週のどこかでサークル長の会合するんやけど、梨多ちゃん都合つきそう? 平日の四限終わりやねんけど」

「あたしはいつでも大丈夫」

「決まったら連絡するな」


 藤田さんが去った後、大城さんはカレンダーに「本番」と書き加えた。櫻井さんが口を開いた。


「いよいよやなぁ! あかん、めっちゃ楽しみ。せや、杉本と青木くんに連絡するわ」


 サークルの卒業生たち。来てもらえるのなら凄く嬉しいし、会ってみたい。澄さんが言った。


「入れるだけ……スタジオ入りたいですね……」


 大城さんが腕を組み、歯を見せて笑った。


「ふっふっふ。実はな、スタジオ仮押さえしまくっとうねん。文化祭直前は混む思ってな。いうても五日分しか取られへん決まりやったけどな」


 大城さんは次々とスタジオの予約日をカレンダーに書き加えていった。澄さんが言った。


「あっ、水曜日バイト……」


 櫻井さんが口を出した。


「ほなその日は澄ちゃん抜きでやろか」

「いえ……バイト休みます……中ステの方が大事なんで……」


 そして、その五日間。僕たちは完璧に三曲を仕上げた。時間をはかり、本番さながらの流れでやり通したのだ。

 リハーサルのある十六日まではあっという間だった。その何日か前から、芝生広場にステージが設営され始めたのは、タバコを吸いに行く度に目にしていた。

 また、客席も用意されていた。ベンチがいくつも並べられ、全体リハーサルが行われる時にはそこに座って順番を待った。

 集まったのは軽音サークル関係者ばかり。皆、知らない人たちだった。こんなにも多くの生徒が音楽をやっていたことに僕は驚いた。

 大城さんは見知った顔が多いのかあちこちで挨拶を交わしていたのだが、それに澄さんがくっついていた。僕は隣に座っていた櫻井さんに尋ねた。


「なんで澄さんも一緒に?」

「ああ、大城ちゃんが四回生になったら、次のサークル長は澄ちゃんになるからなぁ。それ見据えてやろ」

「サークル長は三回生がするっていう決まりやったんですか?」

「少なくともうちはそうやな。四回生になったら就活やら卒論やらで忙しなるから」


 僕たちの順番が回ってきた。時間はあまりない。先輩たちは手早く機材のセッティングだ。僕はというと、他のバンドのボーカルがやっていたのを真似して、マイクに向かって声を出した。


「ツーツー……ハッハー……」


 僕は不安になって澄さんの方を見た。ぐっと親指を立ててくれたので大丈夫ということだろう。

 楽器の音出しも終わり、僕は改めてステージからの景色を見た。そして、その広さに臆してしまった。今は関係者しかいないが、当日はここに不特定多数の人々が集まるのだ。

 終わってから、僕は櫻井さんに夕飯をねだった。


「ごはん……食べたいです」

「ええで。まあ、今日はそう言うてくるやろうと思っとった」


 今夜のメニューはビーフシチューだった。いつも美味しいはずの櫻井さんの料理が、上手く喉を通らなかった。


「瑠偉くん……ビビッとう?」

「はい……」

「初めてやもんなぁ。まあ、文化祭の一日目と二日目は俺と回ろうや。食いもんたくさんあるで。それで気ぃほぐれるやろ」

「だといいんですけど」


 シャワーを浴びながら、ねっとりと唾液を交換した。


「瑠偉くんやらしくなったなぁ……」

「櫻井さんが教えたんでしょう……」


 櫻井さんは色んな人を知っているのだろうが、僕はこの人しか知らない。知りたくないとまで思っている。けれど、それは絶対に口に出さない。そうすれば今の関係は崩れてしまうから。


「可愛い声聞かせて下さいよ……」

「んっ……」


 僕は、今ある幸せをそのままにできればいい。これ以上は望まない。

 そうして、文化祭前夜は更けていった。

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