023 手巻き寿司
慌ただしく日々は過ぎ去っていった。
中間レポートを出す必要がある講義もあったし、週末はバイト。時々スタジオに入って練習した。
母から電話がかかってきて、夏休みは帰らないと言ったら文句を言われたが、年末年始は帰省するからと丸め込んだ。
櫻井さんの部屋にはたまに通った。少しずつだけど、どうすればいいのかわかってきて、櫻井さんにも褒められた。ただ、泊まることはなく、その日のうちに帰るようにしていた。
梅雨が明け、七月になった。ボックスに行くと、僕以外のメンバーは揃っていた。櫻井さんが手招きして言った。
「なぁ瑠偉くん、四日空いとう?」
「はい。バイトもないですし。どうしたんですか?」
「大城ちゃん誕生日やねん」
大城さんは笑顔でピースサインをした。櫻井さんは続けた。
「俺の部屋でパーティーしよか。去年もそうしてん」
「ぜひやりましょう!」
当日、食べ物や飲み物は櫻井さんが準備するから、僕は手ぶらでいいと言われていたのだが、それも気が引けたので花束を買った。大城さんといえば明るいイメージだ。ヒマワリを中心としたものにしてもらった。
「大城さん、誕生日おめでとうございます。これ……」
「嘘っ、お花やん! めっちゃ嬉しい! 瑠偉くんありがとうなぁ!」
ダイニングテーブルの上には、米が入ったおひつと細長く切られた刺身やキュウリや卵、それに海苔が置いてあった。
「櫻井さん、手巻き寿司ですか?」
「せやで! 大城ちゃんお寿司好きやから」
実家で親戚が集まった時に母がしてくれたことがあったっけ。懐かしく思った。
「かんぱーい!」
僕だけ麦茶で、他の三人は缶ビールだった。具材はかなりの量があった。これを用意するのはさぞかし大変だっただろう。主役の大城さんに優先して選んでもらって、自分で巻くのを楽しんだ。
最後はケーキだ。澄さんが買ってきてくれたらしい。生チョコレートだった。
「うーん、幸せ!」
大城さんは頬をいっぱいにして微笑んだ。櫻井さんが後片付けをしている間、大城さんはビールをぐいぐい飲み進めた。これは……まずいんじゃないだろうか。
「澄さん、止めた方が」
「いいんじゃない……誕生日だし……」
案の定、大城さんは号泣し始めた。
「うわぁっ……あっ……あたしなんかのために……こんなに幸せでええんやろか……」
澄さんは全く顔色を変えずにビールを飲み続けているし、作業を終えた櫻井さんは大城さんのポニーテールを引っ張って笑い始めた。
「大城ちゃーん! ほんまに泣き上戸やなぁ!」
「だってぇ……だってぇ……」
「僕、タバコ吸ってきますね」
勝手知ったる櫻井さんの部屋のベランダ。灰皿代わりにしているフタつきの空の缶を開けた。リビングからは、延々と大城さんの泣き声が聞こえていた。
タバコを吸い終えて、僕は大城さんに声をかけた。
「そろそろ泣きやんで下さいよ。折角の誕生日なんですから」
「瑠偉くんのお花、めっちゃ感動したぁ……ほんまに瑠偉くんはええ子やなぁ……ううっ……」
何を言ってもダメそうなので、僕は澄さんに話しかけた。
「澄さんってお酒強いですよね」
「うん……なかなか酔えない……」
「酔うとどうなるんですか?」
「さあ……ぼくもわかんない……」
ぱたり、と大城さんが静かになった。テーブルに顔をつけて、目を閉じていた。櫻井さんがちょんちょんと大城さんの頬をつついて言った。
「あかん。またや」
澄さんが言った。
「去年もそうでしたね……」
「ソファに運ぼか。みんな手伝って」
三人がかりで大城さんをソファに寝かせた。大城さんは小柄なので、すんなり収まった。
「澄ちゃんも瑠偉くんも今日は泊まりぃ。飲めるだけ飲もうや」
櫻井さんはまだ食べる気らしく、ポテトチップスの袋を開けた。僕は櫻井さんにお願いした。
「僕もビール下さい」
「ちょっとだけやで」
酔うほど飲んだことはまだなかった。どうせ泊まりだし、と挑戦したくなったのである。苦味を我慢して、缶の三分の一ほど飲んだところで、目が回りだした。
「ふわっ……」
「おーい、瑠偉くん。大丈夫かぁ?」
胃からせり上がるものがあり、慌てて僕は立ち上がってトイレに駆け込んだ。
「うぇっ……」
澄さんが様子を見に来てくれた。
「うん……吐けるだけ吐いた方がいい……」
それからの記憶が飛んだ。気付けば僕はベッドの真ん中に居て、左に櫻井さんが、右に澄さんが眠っていた。
澄さんはまだいい。僕に背を向けていた。櫻井さんがべったり僕にへばりついていたのである。
「暑い……重い……!」
櫻井さんを引き剥がすと、ぱちりと目を開けた。
「ん……瑠偉くん気分どうやぁ……」
「マシになりました……」
「瑠偉くん……」
唇を重ねられた。お互い酒臭い。ここには澄さんもいるし、と僕は抵抗した。
「ちょっと、やめて下さいよ……」
「ちょびっとだけええやん。なぁ……」
櫻井さんは僕の服の裾から手を入れてきた。
「あっ……んっ……」
「可愛いなぁ」
ほだされそうになった、その時だった。
「……別に、勝手にやってもらっててもいいですけど……」
澄さんが背を向けたままそう言ってきた。
「櫻井さんっ、ダメです!」
「ええ……あかんかぁ……」
僕は澄さんの方に寝返りを打った。
「瑠偉くんのケチぃ」
「はよ寝て下さい」
僕はしっかりと目を閉じた。櫻井さんはなおも僕の腰の辺りを触ろうとしてきたので、何度も手を払って諦めさせた。
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