021 尊重
僕は同級生たちとも交流を深め、講義も何人かと一緒に受けたし、昼食もとったけど。触れたい、もっと知りたい、と思える人はいなかった。
それで、結局ボックスに足を向けてしまうのだ。あの人がいることを期待しながら。
月は変わって六月になっていた。もうすぐで梅雨入りだ。それが明ければ待ちに待った夏。僕の大好きな季節だ。
ボックス内には澄さんだけがいて、電子タバコを吸っていた。
「澄さん、お疲れさまです」
「お疲れ……」
机の上には、銀色の四角い機械が置いてあった。
「MDのプレイヤー。ネットで買った」
「じゃあ、あれ聴けるんですね!」
「うん……一緒に聴く?」
僕は澄さんの隣に座り、イヤホンを分け合って耳にはめた。流れてきたのは、激しいドラムの音だった。
「おおっ……」
男性ボーカル。これは……デスボイスというやつか。何を歌っているのかさっぱりわからなかったが、凄みがあった。
MDは何枚かあったので、次々と聴いてみた。どれもハードめの曲ばかりだった。
「どうやら昔のユービックはメタラーばっかりだったみたいだね……」
「これ、中ステ通ったんですかね?」
「さあ……少なくとも一般ウケはしないと思う……ぼくは好きだけど……」
けっこう時間が経ったが、櫻井さんも大城さんも来る気配はなかった。
「今日は僕たち二人だけですかね?」
「みたいだね……夕飯でも食べに行く?」
「そうしましょうか」
僕たちは駅前の牛丼屋に行った。澄さんはキムチを二つも頼んで上にかけていた。
「澄さん辛いの好きなんですね」
「うん……まあね……」
僕は辛いものがてんでダメだ。実家でもカレーは甘口にしてもらっていた。
「そういえば澄さんってどの辺りに住んでらっしゃるんですか?」
「坂の上の方……不便だけど、家賃安かったから……」
「へぇ、行ってみたいです」
「来る? 汚いけど……」
澄さんの住むマンションまでは確かに坂がキツかった。夜だというのにじわりと汗をかいた。エレベーターがないらしく、三階までは階段をのぼった。
「お邪魔します……」
まず目に飛び込んできたのは、玄関に置かれたゴミ袋だった。ワンルームのようで、すぐにベッドが見えた。洗濯物がその上に干しっぱなしになっていた。
パソコンデスクが置いてあり、その周りによくわからない機材と、吸い殻だらけの灰皿があった。床には空のペットボトルが何本も転がっていた。
「本当に汚いですね」
「瑠偉くんは……遠慮がないね……」
澄さんはパソコンデスクの椅子に腰掛けた。床はまるで隙間がなかったので、仕方なくベッドに座った。クローゼットは開いており、変な物が見えた。
「あの服なんですか? ヒラヒラしてますけど」
「ああ……大城さんの趣味……」
「えっ」
「セーラー服でもメイド服でも何でも着るよ……」
「着るって澄さんがですか?」
「うん……」
つい、想像してしまった。
「まあ、髪を伸ばしだしたのも大城さんが言ったからなんだけどね……」
「そこまでしておいて真剣には付き合わないんですか?」
澄さんは足を組んで天井を見つめた。
「大城さん、ああ見えてお嬢だから……彼女にするには重いし……お互い飽きたらぼくも別のおっぱい探すだろうし……」
この人今、女性のことをおっぱい呼ばわりした。
「それに、ぼくは卒業したら東京に戻るつもりだしね……大城さんは神戸で就職したいって言ってるから……どのみちそれで関係は終わりだよ」
「どうしたら……そうやって割り切れるんですか?」
「えっ……そうだなぁ……」
澄さんは黙り込んでしまった。壁にかかっている時計の秒針の音がいやに大きく聞こえてきた。
「……大城さんの人生を尊重したいからかな」
そういう答えを出してくれた。
「大城さんって……高校生までは厳しい家庭でね……本当は女子大に進むように言われてたらしいんだけど、それ振りきって今の大学受けて……ようやく自由になれたんだよ」
「そうだったんですね」
大城さんが奔放なのは、今まで締め付けられていたからだと考えると納得がいった。
「僕も……割り切りたいです」
「……櫻井さんのこと?」
澄さんは、真っ直ぐ僕を見つめてきた。
「あっ……大城さんから聞きました?」
「ううん……見てたらわかるから……」
「態度に出てます?」
「出てる……分かりやすい……」
僕はうなだれた。
「まあ、あの人優しいもんね……うん……」
「諦めたいです……」
「時間が解決してくれるんじゃない……さすがに三年留年はないだろうし、付き合いもあと一年ないよ……」
澄さんは精一杯の慰めを言ってくれたんだと思う。けれど、僕は櫻井さんと過ごせる期間がとっくに一年を切っているということに動揺してしまった。
「瑠偉くん……大丈夫?」
「大丈夫じゃないです……」
ぽた、ぽた。膝に涙がこぼれた。澄さんが隣に来てくれて、僕の背中をさすってくれた。
「瑠偉くん、いい子だから……他に幸せになれる人きっと見つかるって……」
「ありがとう、ございます……」
澄さんは、僕が泣き止むまで、ずっと続けてくれていた。
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