019 歴史

 スタジオでの練習の日だった。僕は自信をつけて歌えるようになってきた。ただ、それもこのメンバーだからできること。観客の前で、となると話は別だろう。もっと、もっと、練習しないと。

 終わってからはまた、ファミレスへ。この前野菜不足を指摘されたから、ハンバーグにサラダとスープのセットをつけた。


「そういえば……気になってたことがあるんですけど」


 僕はそう話し始めた。


「何でサークル名、ユービックっていうんですか? ややこしくないですか?」


 大城さんが答えてくれた。


「そういや知らんなぁ。ややこしい、ってどういう意味?」

「SF小説のタイトルなんですよ。知りません?」


 先輩たちは首を傾げた。誰も元ネタを知らなかったらしい。櫻井さんが言った。


「よう知らんけど、二十年くらい前からあるみたいやからなぁ……」

「えっ、そんなにですか」

「せやで。瑠偉くんは小説詳しいんや?」

「まあ、図書館はよう通ってましたから」


 文学部を選んだのも、本を読むのが苦ではなかったからだ。国語系の科目はほとんど勉強せずに高得点を取っていた。大城さんがあっと声を出した。


「ボックスに過去のアルバムありましたよね、櫻井さん」

「ああ、開いたことないけど」

「見てみます?」


 食べ終えた僕たちはボックスに戻った。櫻井さんが上の方の棚に手を伸ばしたのだが、危なっかしいと思って僕は言った。


「たわんでしょう、僕が取ります」

「……たわん?」

「え、櫻井さんの背ぇやったらたわんと思って」

「たわんって何?」

「もしかしてこれ……岡山弁ですか?」


 こくりと櫻井さんが頷いたので、顔がかあっと熱くなった。


「足りないとか……今のやったら届かへんって意味です」

「わっ、可愛っ! もっと方言出してくれたらええのに!」

「嫌です」


 僕は赤い表紙のアルバムを抜き出した。


「ほんまや……日付、二十年前ですね」


 図書館前で撮られたのだろう。六人の男女の集合写真がまず貼られていた。それから、ライブやこのボックスでの様子。皆、生き生きとした表情をしていた。この人たちは今は四十代なのだろう。大先輩だ。


「なぁ! 何か見つけたぁ!」


 大城さんが声を張り上げた。彼女が段ボール箱から取り出したのは、真四角のプラスチックの中に小さなCDのようなものが入っている奇妙なものだった。澄さんが言った。


「それは……MDですね……プレイヤーあれば聴けますけど……」


 それから、四人でそのプレイヤーなるものを探してみたのだが、見つからなかった。MDは何枚かあって、ケースに書かれていた文言から察するに、文化祭の中ステの審査に使われた音源らしかった。大城さんが言った。


「ふぅん……昔はこれ使ってたんやね。聴いてみたかったなぁ」


 澄さんが返した。


「中古のやつ探してみましょうか……多分ネットで出品されてると思うので……」


 それから、過去の勧誘のビラや手書きの楽譜なんかも出てきたのだが、サークル名にまつわるものは発見できなかった。

 元の位置にしまい、全員でタバコを吸い始めたのだが、櫻井さんがスマホを見て立ち上がった。


「しもた。帰るわ」


 大城さんが尋ねた。


「用事あったんですかー?」

「約束しとったん忘れとった。マンションの前で待たれとう。ほな!」


 櫻井さんは半分も吸っていなかったタバコを強引にもみ消して、早足で去っていった。大城さんがニヤニヤと言った。


「また男やな、あれは……」


 ちくり、と胸が痛んだ。澄さんがぽつりとこぼした。


「何人キープしてるんでしょうね……よくやりますよ……」


 僕は何も言う気が起きなかった。大城さんと澄さんの会話は続いた。


「澄ちゃん、他の相手と出くわしたことあったんやっけ?」

「ダブルブッキングしたやつですね……そのお相手、自分としてるのぼくに見てほしいって言ってきて……仕方がないから見ましたけど……」

「櫻井さんてスケジュール管理するのん下手やからなぁ。杉本すぎもとさんに任せっぱなしやったっけ」


 知らない名前が出てきたので、僕は聞いた。


「杉本さんって?」


 大城さんが答えた。


「櫻井さんと同学年の男の人やで。サークル長やった。あたしにドラム教えてくれたんもその人」

「へぇ……」


 澄さんが言った。


「そうだ……大城さんこそ、揉めたんでしょ、その杉本さんと、青木さんと」


 大城さんはポリポリと頬をかいた。


「んー、秘密にしとったつもりやってんけどな! バレてもたんはしゃあないし三人でやりましょか、って言ったら断られたわ!」


 このサークルにはろくな人がいないというのがよりハッキリしてきたが、童貞を売った僕も見事にその中の一人に成り下がっているという事実があった。


「僕……帰りますね」


 タバコを灰皿にこすりつけた。


「ほなあたしは澄ちゃんとこ泊まろうっと」

「ええ……またですか……」

「帰るん面倒やねんもん」


 大城さんがボックスの鍵をかけ、管理室に返却しに行った。正門を出て、二人とは途中で別れた。

 その日はなかなか寝付けなかった。今ごろ櫻井さんが誰かとしている、というのを想像してしまって歯を食いしばった。

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