017 二万円

 呆気なく終わってしまった、というのが正直な感想だった。

 ただ、櫻井さんの手つきはずっと優しくて。言葉でも導いてくれて。


 ――あれに似てるんじゃ。スタジオで歌った後。


 気だるい身体を横たえて、僕はしばらく櫻井さんの金髪の先を見つめていた。


「……瑠偉くん、一服する?」

「はっ、はい」


 櫻井さんが、床に散らばった服を手早くかき集め、僕に渡してくれた。リビングへ行き、そこからベランダに出た。雨はもう、やんでいた。


「あっ……僕、タバコ切れてました」

「ほな一本やるわ。はい」


 僕は櫻井さんのセブンスターを貰った。


「キツいっすね、これ」

「普段キャメルやもんなぁ。こだわりあるん?」

「いえ。安いからあれにしてるだけです」


 僕はこの人とセックスをした。大人なら、みんな当たり前にやっていることなのかもしれないけれど。僕にとっては大事件だったわけで。


「夕飯食べて帰る? 二人分の食材ないからピザとか頼むことになるけど」

「それで大丈夫ですよ」


 会話はそつなく交わしたけれど、櫻井さんの顔を見ることはできなかった。

 ピザが届き、それを食べながら、櫻井さんが尋ねてきた。


「それにしても、ほんまにびっくりしたわ。何があったん?」

「その……財布落として」

「えっ?」


 僕は自分がしでかしたことをそのまま説明した。


「なんや……理由ちゃんと聞いたったらよかった。金なら貸したったのに」

「貸し借りは……したくないです」

「後悔、してへんか……」


 僕はうつむいた。これを言ったら、どんな反応をされるだろう。でも、ここで自分と櫻井さんを偽るわけにはいかないと思った。


「その……後悔はしてないです。あの、えっと……またしたいです」


 ちらり、と櫻井さんの表情を伺うと、ぱちぱちと瞬きをした後にだらしなく頬がゆるんだ。


「ほんまかぁ! えー、そんなに気持ちよかった?」

「は、はい……」

「俺も気持ちよかったぁ! ええで、またしよなぁ!」


 そう。僕はまんまと快楽の沼に浸かったのだ。


「瑠偉くん可愛い声出してくれとったしなぁ」

「言わんとって下さい……」


 ピザを食べ終わり、片付けをしてから、櫻井さんがお札を二枚差し出してくれた。


「ほなこれ。約束通り」

「ありがとうございます……」

「金借りるん抵抗あっても、奢りは大丈夫やろ。メシ代足らんくなったら俺のとこ来たらええ」

「はい、でも、できるだけ、自分で何とかしますんで」

「そうかぁ。ほな、あんまり遅くならんうちに帰り。服はまた今度ボックスに持って行くから」


 玄関で、スニーカーをはいてしまってから、僕は櫻井さんをじっと見下ろした。


「ん? どうしたんや?」

「その……ちょっとだけ」


 僕は櫻井さんの頬に手をあてた。


「……しゃあないなぁ」


 今度は僕も舌を絡めた。もう少し奥まで、という時に離された。


「気ぃつけて帰りや」

「はい。ありがとうございました」


 雨上がりのアスファルトの匂いをかぎながら、僕はとぼとぼ歩いた。


 ――泊めて欲しかったのぅ。


 引き止められることをどこかで期待していた。重ねた肌の温もりを思い返した。あれに包まれて眠りたかった。

 けれど、澄さんだって言っていた。櫻井さんは遊び人だからって。僕には他の人より倍の値段がついたけど、ただそれだけ。性欲を満たすために使われたに過ぎないのだ。

 自分の部屋に戻り、新しいタバコの封を切ってベランダで吸った。この煙と一緒に想いも消えてしまえばいいのに、かえって肺の中にくすぶるだけだった。




 翌日、ボックスに行くと、大城さんと澄さんがいたので、早い方がいいだろうと自分から切り出した。


「童貞……売りました」


 すると、大城さんが拍手してきた。


「わー! 卒業おめでとう!」


 そして、澄さんはこうだ。


「これから瑠偉くんのこと二万円って呼ぼうかな……」

「それはやめて下さい」


 澄さんは相当根に持つタイプらしい。大城さんが聞いてきた。


「でもどうしたん? 絶対に売らへんみたいなこと言うてたのに」

「実はですね……」


 僕は二人にも財布の一件を話した。


「それで、売りました」


 大城さんが大きく頷いて言った。


「なるほどねぇ。別に櫻井さんのことが好きになったわけやないんや」


 澄さんも口を出してきた。


「あの人は……やめた方がいいからね……誰かとまともに付き合ったことない人だから……」

「あっ、そうなんですね……」


 すると、櫻井さんが紙袋を提げてやってきた。


「みんなお疲れ! 瑠偉くん、服持ってきたで」

「ありがとうございます」


 大城さんが、櫻井さんの肩をちょんちょんと突いた。


「聞きましたよぉ? 瑠偉くんの童貞買えたんですって?」

「うん! いやぁ、昨日の瑠偉くん……」

「内容話したら怒りますからね!」


 それからは、次のスタジオ練習をいつにするか、という話になり。それが決まり、それぞれ自主練がしたいから、と先輩たちが楽器を取り出したので、僕は帰ることにした。

 帰宅してすぐに、僕はベッドに飛び込んで身を丸めた。下着に手を突っ込んで、繋がった時のあの感触を想起した。


 ――あかん。あかん。好きになったらあかん。


 そう言い聞かせるのに、動きが止められなくて。僕は一人、激しく息を漏らした。

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