016 雨の日
澄さんと映画を見た夜は一旦帰宅してからバイトへ。日曜日はゲーム実況の動画を観てダラダラしていた。そして月曜日。バイト代の振込日である。
「おっ……おおっ!」
昼休みに、スマホで銀行のアプリを開くと、残高が五万円増えていた。僕の初めての労働に対する、初めての対価。服を買って手持ちが少なくなっていたし、何より……この手でお札を触ってみたくなったから。僕は四限が終わるとATMに行き、その五万円を引き出した。
「ふふっ……」
少しくらい贅沢をしてもいいか、という気分になった僕は、スターバックスへ行った。席は空いていなかったので、テイクアウトでストロベリーフラペチーノを注文し、公園のベンチに座って飲んだ。
飲み終わる頃になって、雨が降ってきた。予報は見ていなかった。傘が無いので、僕は慌ててベンチを立ち、早歩きでマンションに向かった。
そして。鍵を出そうとズボンのポケットに手を突っ込んだ時だ。鍵はあった。その反対側のポケットだ。そこに入れていた財布が、無い。
僕は会計をした時のことを思い返した。確かにあの時はあった。それから財布をポケットに突っ込んだのだ。落としたとしたら……ベンチか!
雨は強くなっていた。しかし、傘を取りに部屋に入る時間すら惜しい。僕はずぶ濡れになりながらベンチまで駆けた。財布はそこにあった。
「良かったぁ!」
それから、その場で中身を確かめたのだが。
「えっ……」
学生証、免許証、キャッシュカードはあった。あと小銭も。だが、お札が綺麗に抜かれていた。
僕の五万円。一ヶ月の頑張りの成果。それが一瞬にして奪い去られてしまったのだ。
わかっている。僕が悪い。落とした僕が悪い。けれどあれは、僕にとって大事な五万円だったのだ。これをアテにして買い物をしてしまったし、親に言ったところで呆れられるのがオチだ。
――コスパいいバイトだと思うよ。
いつかの澄さんの言葉を思い出した。僕はまた、駆け出した。
インターホンを押すと、櫻井さんは三度目で出てくれた。
「……はい」
「瑠偉です! 入れて下さい! 今すぐ!」
「えっ、瑠偉くん? どうしたんや」
「早く!」
「あっ、うん」
オートロックの自動ドアが開き、僕はツカツカとエレベーターホールへ急いだ。玄関に招き入れられ、僕は櫻井さんに詰め寄った。
「童貞買って下さい!」
「ええ……? 急やなぁ」
「いつでもいいって言うたん櫻井さんでしょ!」
「言うたけど……その、準備もあるしやなぁ」
「ほな準備して下さい!」
「わかった、わかったから落ち着き。なっ?」
僕の着ていた服からは水がしたたっていた。僕は洗面所に連れて行かれた。
「とりあえずシャワー浴び。風邪ひくわ。服は洗ったるから洗濯機放り込んどき」
「はい……」
熱いシャワーを浴びながら、勢いでここまできてしまったことに自分でも驚いた。もう櫻井さんの部屋には行かないと決めていたはずなのに。
そして、今からすることを考えて身体を入念に洗った。シャンプーも借りた。あの金髪を保つためだろう。ダメージケア用と書いてあった。
出てくると、櫻井さんのTシャツとジャージが置いてあった。これを貸してくれるということだろう。それを着てリビングに向かうと、櫻井さんがソファに座っていた。
「瑠偉くん、なんぼか落ち着いたか?」
「は、はい。いきなり済みません」
「ほんまに……ええんやな? 気ぃ変わったんならやめとくけど」
「いえ。変わりません。二万円下さい」
「んっ。ほなベッドで待っとき。もうちょいかかるから」
前回は入らなかった寝室。そこにはブラウンのシーツがかけられダブルベッドがあり、僕はふちに腰かけた。
――ああ、売ってしまうんじゃなぁ。
きちんと想いを言葉で伝え合った人としようと思っていた。こんな破れかぶれなやり方じゃなくて。心の準備もしっかりした上で。
けど、これしか手っ取り早くお金を手に入れられる方法はない。それに、櫻井さんはもう知らない仲というわけでもない。事が済んだ後も、僕に変わらず接してくれることだろう。
しばらくして、寝室の扉が開いた。
「お待たせ。横座るでぇ」
櫻井さんからは、ほんのりと石鹸の香りがした。
「瑠偉くん緊張しとうなぁ」
「そら……そうですよ」
「こわい事はせぇへんから。やめて欲しかったらちゃんと言うて。ひとまずぎゅーしよかぁ」
こうして人と触れ合うのは子供の時以来だろう。鼓動が高鳴っていくのを感じた。櫻井さんの身体は本当に細くて、力を込めれば折れそうで。僕はこわごわと腕を回した。
「瑠偉くんはなーんも難しいこと考えんでええよ。俺に任せて。気持ちよぅさせたる」
「はい……」
唇に軽く、そっと触れられるだけのキス。それをいくつか重ねられた後、ぬるりと舌が入ってきた。僕は櫻井さんに言われた通り、されるがままになっていた。
「ふふっ……瑠偉くん、可愛いなぁ」
僕はそっとベッドに寝かされて、あとは櫻井さんに全てをゆだねた。
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