011 南京町
初めての労働は想像以上にこたえるものだったらしい。僕は昼まで寝ていた。買い置きしていたカップ麺に湯を入れて、暇つぶしのゲーム実況動画をスマホで流した。
土曜日。予定はバイトのみ。今日も夜八時まででいいと言われていた。それに備えて身体を休めるため、カップ麺を食べた後はスマホを片手にベッドで寝転んでいた。
すると、昼の三時くらいに櫻井さんから電話がかかってきた。
「……はい。何でしょう」
「瑠偉くーん! 返事ちょうだいやぁ!」
「勝手に撮らんとって下さいよまったくもう」
どうでもいい話なら早々に切り上げよう、と思いながらあくびをした。
「なぁなぁ、明日は暇?」
「まあ、暇ですけど」
「神戸案内したるわ。まだそんなに探検してへんやろ?」
「確かにそうですねぇ」
そう答えてしまってから、正直に言ってしまったことを後悔した。どうせ櫻井さんのことだ、しつこく僕の童貞を狙っているに違いない。
「ほなさぁ、昼メシでも」
「行きません、何か理由つけてやらしーことするつもりでしょ」
「せぇへん、せぇへん! 瑠偉くんが行きたいとこだけ行くしメシも奢るから!」
奢り、という言葉に揺れてしまった。
「……じゃあ、
「おっ、ええやん。住んどったら案外行かへんねんよな。食べ歩きしよか」
そんなわけで、JR元町駅で待ち合わせることになった。これで昼食代が少しでも節約できる。
その日のバイトは初日よりも忙しく、ずっと厨房とホールを行ったり来たりしていた。普段運動をしないから足がパンパンだ。
櫻井さんとの約束に遅れるわけにはいかないので、きちんとアラームをセットして眠った。
日曜日は、家を出るギリギリになって、服装を悩んでしまった。春とはいえ今朝は肌寒かった。半袖のTシャツの上に長袖のカーディガンを着て向かった。これなら日中暑くなっても脱げる。
東出口には既に櫻井さんが来ていた。金髪長髪というだけでわかりやすいのに、けばけばしいピンク色のシャツを着ていたので、人混みの中でも一発で気付いた。
「お待たせしました」
「ん、時間丁度やん。ほな行こかぁ」
ここから南京町への行き方は知らない。僕は櫻井さんから離れないよう必死だ。何しろ人が多い。しかもみんな足が早い。
「なんや、瑠偉くん。不安やったら手ぇ繋いどく?」
「嫌です」
商店街の中を歩いて路地に入ると風景が一変、中華風の赤と金色の屋根が見えてきた。それがある広場に大勢の人たちがたむろしていた。
「着いたで。俺も久しぶりに来たわ」
「わぁっ……」
鮮やかな食べ物の看板。呼び込む人の声。香ばしいような甘いような匂い。僕たちは通りの端に立ち止まった。そして、ぐるりと周囲を見渡してみた。
「櫻井さん、僕今日はめっちゃ食べますからね!」
「ええよ、付き合うわ!」
まずは行列が気になった。豚まん六個六百円と書いてあった。
「櫻井さん、安くないっすか?」
「ああ、
「ぜひ!」
通りを挟んで並ばされたが、案外早く進み、櫻井さんが豚まんを買ってくれた。
「んんっ……肉々しくて美味しいです」
「えっ一口でいったん?」
僕が四個平らげ、次の店へ。
「パンダまん可愛い! あれにします!」
「はいよ。ほな俺はちまきにしよか……」
「ラーメンも食べたいです」
「はいはいっと」
ごっそり食べ物を持って広場に戻ると、櫻井さんが言った。
「俺ビール買ってくるわ」
「昼からですか?」
「せやからええねんや」
歩いて少し汗ばんだ。カーディガンを脱ぎたかったのだが、両手がふさがっていた。もうそのまま食べてしまうか、とラーメンをすすった。
「ふぅ……昼飲みは最高やね……」
僕は櫻井さんの手元をじっと見て言った。
「一口下さい」
「一口だけやで」
ビールなら、父親が飲んでいたのを何度か拝借したことがあった。暖かい陽気もあいまって、キンキンに冷えたそれは栄養剤のように身体に染み渡った。
食べ終わった後は、土産物屋をぶらぶら。甘いものが欲しくなったのでソフトクリームも追加した。
「櫻井さん、タバコ吸いたいです」
「ああ、南京町の中は確かないなぁ。三宮まで行こか。センター街のとこにドトールあるわ」
ドトールなら、岡山駅にあったので知っている。チェーンの喫茶店だ。櫻井さんの後をついて、店に入り二階に上がった。
「買ってくるわ。席座っとき。何がええ?」
「暑いんで、アイスコーヒーで」
櫻井さんも僕と同じものにしたようだ。しばしコーヒーを楽しんだ後、狭い喫煙スペースに二人で入った。
「……櫻井さん、近い」
「ええやん。髪触らせて、今度は肘鉄せんといて」
「嫌です」
僕は思いっきり櫻井さんの足を踏んづけた。
「痛ぁ……次はそっち?」
「大人しくタバコ吸っとって下さい」
お腹もいっぱいになったし、これで満足だ。コーヒーを飲み干して、JR三ノ宮駅から帰った。
「櫻井さん、今日はありがとうございました」
「俺も楽しかった。またデートしよなぁ」
「これ……デートだったんですか?」
「えー? 二人だけで遊んだらデートやないの?」
「僕の定義では違うんで。ほなまた……」
貞操の危機はつきまとうが、金払いがいい先輩だ。なんだかんだで櫻井さんのことが嫌いになれない自分がいた。
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