010 バイト

 僕が藤田さんに想いを直接伝えることができたのは、新歓ライブの翌日だった。大城さんに頼んで、軽音部の部室に連れて行ってもらったのだ。そこはボックスの三倍くらいの広さがある、とても整頓された空間だった。


「なんや、梨多ちゃんから連絡きたから、うちに入ってくれるんかと思ったら……ちゃうんかぁ」

「せやねん。ごめんなぁ。瑠偉くんはもう、うちの子やから」

「済みません、藤田さん。でも、どうしても言いたくて。ライブ、カッコよかったです!」


 藤田さんはメガネの奥の目を細めた。大城さんが言った。


「そんで、グレキャで中ステ出すから。審査ではビビらせたるわ」

「へぇ、楽しみやなぁ」

「えっと……」


 藤田さんが説明してくれた。


「軽音部の部長は審査員もするねん。他のサークルもグレキャで出してきた場合、通せるんはその中で一サークルだけやね。厳しくいくで」


 ボックスへの帰り道で大城さんが言った。


「決心揺らいだ? 部室綺麗やったやろ?」

「でも……タバコ吸える方がええですね」

「ははっ! ヤニカスターゲットにして声かけて良かった! 作戦成功やな!」


 ボックスの中にはあとの二人も揃っていた。


「瑠偉くーん! 中ステ目指してくれるんやてー?」


 櫻井さんが抱きついてきたので引き剥がした。


「目指しますけどくっつかないで下さい!」

「ええやんちょっとくらい!」


 澄さんがベースを弾きながら言った。


「まあ……よろしくね……」


 そして一服だ。大城さんが、壁に貼られていたカレンダーをペラリとめくって言った。


「録音データ提出の締切は七月二十日! それまでにサクラナミキ仕上げるで!」


 僕はすかさず質問した。


「提出は一曲だけでええんですか?」

「せやで。ステージでできるんは、時間的に三曲くらいかな」


 大城さんはカレンダーに「締切!」と赤ペンで書いた。櫻井さんが手を上げた。


「大城ちゃん、そもそも今年の文化祭いつからやっけ?」

「ああ、九月十七日から十九日です!」


 僕はあっと声を出した。


「僕、誕生日です……」


 大城さんが尋ねてきた。


「へえ、いつ?」

「最終日、十九日です」


 大城さんは矢印をひき、「文化祭」と「ルイくん誕生日」と書いた。櫻井さんが言った。


「ほな、ますます気合い入れなあかんな! ええ誕生日にしたいやろ?」

「はい!」


 澄さんがスマホをいじりながら僕に聞いてきた。


「それで……気が早いけど、あとの二曲何やるの……瑠偉くんの希望優先するけど……」


 僕はすかさず答えた。


「遠雷とフォーマルハウトで!」


 大城さんがぎゃっと声をあげた。


「フォーマルハウトのドラム難しいんやてぇ……」


 澄さんはちらりと大城さんに視線を向けた。


「……練習すればいいだけじゃないですか」


 これで話はまとまった。大城さんが、真っ白なコピー用紙に何やら書きなぐりだした。日程のまとめと曲目だった。それをカレンダーの隣に貼った。

 僕はスマホで時間を確かめて、先輩たちに告げた。


「僕、そろそろ行きます。今日からバイトなんですよ」


 そう、初出勤である。初日は説明することが多いから、開店時間である夕方五時より一時間早めに来てほしいと言われていた。

 一旦部屋に戻り、黒いポロシャツと黒いズボンに着替え、これから僕の職場となる「北斗七星」に向かった。

 僕がやるのはホールだ。客として訪れた時に僕と櫻井さんを迎えてくれた女性……店主の奥さんが教えてくれた。


「わからへんことがあったらすぐに聞いてなぁ。バイトは初めてなんやろ。頼ってくれたらええからなぁ」

「よろしくお願いします!」


 金曜日。予約がいくつも入っていて、ピークの夜七時頃には満席になるとのことだった。僕はびくびくしながら初めてのお客さんを迎えたのだが。


「いらっしゃいませ……?」


 やって来たのは、ついさっきまで顔を合わせていた三人だった。櫻井さんが僕の肩をバシッと叩いて言った。


「おう、シャキッとしいや!」

「なんで先輩たちが」


 大城さんがカラカラと笑いながら言った。


「知り合いの方が気楽でええやろ? そう思って!」

「はぁ……では席をご案内しますね……」


 彼らは予約外だったので、そういうお客さんが来た時に、と教えられていた席に通した。

 それからは、三人がどんどん肉もお酒も頼むので大忙しだった。他のお客さんも入ってきて、もはや一つの席を気にしている暇などなかった。

 初日ということで、夜八時で終わった。本当は休憩を挟んで翌二時までが営業時間だ。まかないで出された焼肉丼はボリュームたっぷりで、まだ忙しい時間帯だったし、本当にこれを頂いていいのかとびくびくしながら味わった。

 必要以上に気を張って疲れた身体を引きずって部屋に帰った。そのままベッドに飛び込めば匂いがつく。勢いのまま服を脱いでシャワーを浴びて、スマホを見ると、櫻井さんから画像が送りつけられていた。


「……うわっ」


 三人で仲良く写っているやつはともかく。必死に注文を取っている僕の隠し撮りもあった。僕はそれには何も返信しないことにした。

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