005 渦

 先輩たちに連れられてカラオケに行った。大学からそう離れていないところにあった。昼のフリータイム。僕は一曲歌って幻滅してもらって、後は聴く側に徹する作戦を立てた。


「何歌えばええですかね……皆さんが知ってるもの……」


 僕はタブレットの履歴をとりあえず確認した。最近の邦楽が入っていた。その中の「グレーキャット」に目を留めた。男性四人組のバンド。「サクラナミキ」はスポーツ飲料のネットCMに使われていて、今ヒットしている曲だ。


「これ、わかりますか?」


 僕は隣に座っていた櫻井さんにタブレットを見せた。


「ああ、グレキャ? これやったらコピーしとったし全員わかるで」

「じゃあ、これにします」


 マイクを持つのはいつ以来だろうか。この曲は知ってはいたものの、自分では歌ったことがないことに、曲を送信してしまってから気付いた。まあいい。いつも通り自分が気持ちいいように歌おう。

 スキップをするかのように弾んだイントロ。僕は息を吸い込んだ。


 ――グラウンドを駆ける君を見た


 想いを伝えたけど、実らなかった恋の歌。グレーキャットらしい切ない歌詞だ。この場にいるのは両親だと思って気楽に構えた。

 さて、歌い終わるまでに誰かが次の曲を入れるだろう、と思っていたのに、何も入らず。とうとう歌いきってしまった。先輩たちが黙って僕の顔を見つめていたのにそこで気付いたので、マイクが入ったまままずは謝った。


「あの……何か、すんません」


 バッと立ち上がったのは、向かいにいた大城さんだった。


「凄い……凄いな瑠偉くん! グレキャってけっこう歌うの難しいんやで?」

「あ……そうなんですか?」


 大城さんの隣にいた澄さんが言った。


「音程完璧……高音も……よく出るね……」


 ついには櫻井さんに腕に抱きつかれた。


「声量あるなぁ! よし、次行こう次!」

「ええ?」


 櫻井さんが勝手にグレーキャットの曲をどんどん入れ始めた。わかるものばかりだったのでとりあえずこなしていったのだが、何で僕ばっかり。激しめの曲である「遠雷」が終わったところでバテてきたので止めてもらった。


「もういいですよね。皆さんも歌って下さいよ」


 ところが、櫻井さんが叫んだ。


「大城ちゃん!」

「はい! 思ってること一緒やと思います! 行きましょう!」

「えっ、行くって」


 澄さんがタブレットを取って退店ボタンをタップして言った。


「一度……ボックス戻らないと……」


 勝手に三人で話を進めないでほしい。僕は櫻井さんの腕を掴んだ。


「あの、どうするつもりなんですか?」

「スタジオ行こう! グレキャやったら何曲か合わせたことあんねん。そこでまた聴かせて!」

「はぁ……」


 カラオケを出て、ボックスに置いてあった楽器や機材を持った先輩たちは、慣れた様子でスタジオまでの道を歩き出した。今さら後には引けない状況だ。

 初めて入ったスタジオ。大城さんがメンバーカードを出して手続きを始めた。他のバンドの演奏だろう。フロントまで音が漏れていた。掲示板にはメンバー募集の紙がベタベタと貼られていた。


「ああ、Cスタしか空いてへんのですか……まぁ予約してへんかったし……」


 そんなことを大城さんが言っていたので、僕は櫻井さんに聞いてみた。


「Cスタって?」

「グレードがあるんよ。狭いのとドラムが安もん。まぁ、料金も安いけどな」

「そうですか」


 そして通された部屋は確かに狭かった。先輩たちはそれぞれ準備をしていく。僕はそれを突っ立って眺めるだけだ。

 櫻井さんはギターを。澄さんはベースを取り出し。大城さんは備え付けられていたドラムの位置を調整し始めた。


「あの、僕は……」


 澄さんが手元を見たまま言った。


「マイク……ぼくがやるから……待ってて……」


 そして、スタンドマイクの高さを澄さんに調整してもらった。立って歌うなんて初めてだ。大城さんが言った。


「櫻井さーん、何する?」

「遠雷でええんとちゃう? あれボーカル以外は簡単やし」

「ほなそうしましょか」


 ごくりと唾を飲み込んだ。この、ひりつく様な空気。カラオケとはまるで違う。歌詞を覚えていないので、慌ててスマホで検索した。大城さんが調子よく声をあげた。


「いくでー! 瑠偉くん、ええな?」

「あっ、はい!」


 タン、タン、タンタンタン。大城さんが長い棒を打ち鳴らした。続いて、シンバルの音、ギターとベースのうねりが僕を襲う。


 ――繰り返し見る夢がある


 何度か歌ったことのある曲だ。メロディーはおそらく大丈夫。多少外したとしてもこの人たちは絶対に笑わない。自信を持って突き進んだ。

 生で聴く楽器の音の分厚さに、僕はどんどん高揚していった。すぐ隣の櫻井さんを見た。あのヘラヘラした様子とは一転、真剣な表情でギターをかき鳴らしていた。

 サビを高らかに歌い上げ、終盤、たたみかけるところでは、僕はスマホを床に放り投げてマイクを握り、叫んでいた。


 ――何も考えるな、吠えろ、吠えろ、吠えろ!


 全ての音がピシッと静止し、終わった。


「でーれー気持ちええ!」


 ハッとして口を閉じると、大城さんがドラムから飛び出してきて僕に抱きついてきた。


「瑠偉くん最高やぁ! 決めた! 今年は中ステ目指そう!」

「ちゅうすて……?」


 こうして、僕は渦の中に頭を突っ込んだ。

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