006 目標

 スタジオを出ると、日が傾きかけていた。ふわふわした気持ちが収まらない僕は、居酒屋へ行こうとはしゃぐ先輩たちの勢いにそのまま飲まれていた。

 店に入る時に年齢を確認された。その時に知ったのだが、澄さんは一浪で入って今二回生なので、もう二十歳らしい。なので、飲めないのは僕だけ。


「かんぱーい!」


 僕だけウーロン茶、他の三人はビールで乾杯した。恒例になっているのだろうか、澄さんが無言でタブレットを操作してフードを注文し始めた。


「瑠偉くん……食べられないもの、ある……」

「納豆とかキムチですかね」

「じゃあそれは避ける……」


 僕はまず大城さんに質問した。


「あの、目指すって何をですか?」

「文化祭の中央ステージ! 略して中ステやね」


 文化祭では、芝生広場にステージが設けられるのだが、そこを中央ステージというらしい。軽音部からは十組のバンドが出られる枠があり、軽音サークルにも十組の枠があるが、それは文化祭実行委員が審査して、出演できるサークルが決まるのだとか。

 櫻井さんが補足した。


「審査は演奏のレベルはもちろんやけど、大衆ウケするかどうかもポイントやね。まあ、仮にグレキャやるなら、メジャーなバンドやし問題ない。ただ、他のサークルもグレキャで出してくる可能性もある」


 澄さんが口を出した。


「瑠偉くんの歌唱力ならいけますよ。あとはぼくらの演奏です。櫻井さん、今日も走ってました。大城さん、いくつかごまかしたでしょう……」

「俺は乗ってまうとつい……」

「あちゃー、澄ちゃんにはバレてたか」


 説明を聞いている間に、テーブルはいっぱいになっていた。たこわさ、枝豆、鶏の唐揚げ、焼き鳥。確認していないがここは奢りなのだろうか。そうであってほしい。入学してまだバイトも決めていないのに散財はまずい。

 食べているうちに、段々冷静になってきた。確かにあのスタジオでの時間はスッキリしたのだが、もっと大勢の前で歌うだなんて想像すると肝が冷えてきた。

 三人は楽器の演奏の内容についてああだこうだと話し合っていたので、そのキリが良さそうなところで俺は咳払いをした。


「あのぅ、僕、入会はしましたけどボーカルやるなんて決めてないんで……」


 すると、ギロリと一斉に睨みつけられた。大城さんが言った。


「あれだけ歌っておいて抵抗するん? 気持ちええ言ってたやん!」

「その、それは……」


 澄さんがぼそりと呟いた。


「ちっ……このまま流されてくれたら楽だったのに……」


 最後に櫻井さんが俺の肩を掴んでガクガク揺らしてきた。


「瑠偉くんお願い! 俺六年おるけど中ステ出たことないねん! 夢叶えさせてやぁ!」


 揺れで気持ち悪くなりながら、僕はひとまずこんな言葉を口にした。


「もう少し……考えさせて下さい……」


 あれだけ盛り上がっていた席が一気に静かになってしまった。僕は居心地の悪さを感じながらも、ウーロン茶が尽きてしまったのでタブレットを手に取った。


「あの……皆さん何か飲まれますか?」


 櫻井さんが言った。


「生三つ」

「あっはい」


 僕のせいでこういう空気になってしまったことはわかっているので、せめて誰かにすがろうと思って、櫻井さんに話を振ってみることにした。


「櫻井さんはいつからギターやってるんですか?」

「ああ、中学やで。最初はアコギ」

「あこぎ……?」

「アコースティックギターな」


 どうやら今日櫻井さんが弾いていたエレキギターは、機材に繋がないと音があまり出ないらしい。アコギというのはそのまま音が響くのだとか。大城さんが話に入ってきた。


「あたしもギターやろうと思ってサークル入ったんやけど、手ぇちっちゃいやろ? 三十分で諦めたわ。ドラムはええわぁ、叩いたらそのまま音出るもん」


 大城さんはそう言うが、手と足でバラバラの動きをするなんて、考えただけでも頭がこんがらがりそうだ。澄さんが言った。


「ぼくはギターが一番好きなんだけど……他にベースできる人いないから……」


 櫻井さんがそれに応えた。


「すまんなぁ澄ちゃん、いつも助かるわぁ。ああ、瑠偉くん。純粋な腕では澄ちゃんが一番やねんで。キーボードもいけるしなぁ」

「へぇ……」


 こうして楽器の話になると三人とも多弁になる。本当に音楽が好きなんだな。それからも、話は続いたのだが。二杯目のビールが半分になる頃に、大城さんの挙動が怪しくなってきた。目はフラフラと虚空を見つめ、口は半開きだ。俺は声をかけた。 


「あの……大城さん?」

「うっ……うっうっ……よかったぁ……ボックス没収されんで済んだぁ……あたしの代でユービック無くなってしもたらどうしようかと思ってたぁ……」


 そして、顔を両手で覆って号泣し始めたのだ。僕はあわあわしてしまったが、他の二人は素知らぬ顔。櫻井さんが言った。


「ああ、いつものやで。そのうち収まるから気にせんとき。澄ちゃん任せてええ?」

「はい、持って帰りますね」


 お代は櫻井さんが払ってくれた。澄さんの腕を掴んで、フラフラ歩く大城さんの後ろ姿を見ながら、僕はおそるおそる櫻井さんに尋ねた。


「あの二人……付き合ってるんですか?」

「そういうことやないけど、やることやっとうなぁ」

「大人の関係ってやつですか……」


 そして、櫻井さんが僕の両手をぎゅっと握ってきた。


「今から俺らもなるかー? スタジオ童貞卒業してんからこっちの童貞も卒業しとこ!」

「だから何でそうなるんですか! 絶対嫌ですからね!」


 櫻井さんの手を振り払い、僕はスタスタと自分のマンションに向けて歩き出した。


「瑠偉くーん! またボックスでなー!」

「……はーい」


 軽く手だけは振っておいた。

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